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月曜の朝、教室に入った瞬間に、
西尾先生が黒板に書かれた文字が目に飛び込んできた。
《進路個別面談 今週・来週で全員実施》
クラス中から、
「うわー」「ついに来たか」という声が上がる。
村上が椅子に座りながら振り返った。
「安藤、お前さ……
面談でなんて言うつもり?」
「その話題、朝イチから出す?」
「だって気になるだろ。
“やりたいこと分かってない代表”なんだから」
的確すぎて反論できない。
俺は鞄を置きながら、ため息を一つ吐いた。
「まあ……“まだ決めてないけど、方向は少し見えてきた”って言うつもり」
「へえ、前よりマシなやつじゃん」
「山本さんに色々整理してもらったからな」
言うと、村上は納得したように首を縦に振った。
「いいじゃん。
あの人、話しやすそうだったし。
……で、国公立はちょっと考える気になった?」
「ゼロではなくなった、って感じ」
「おお、成長じゃん」
軽く背中を叩かれる。
けれど、まだ本番はこれからだ。
◇
放課後、進路指導室。
扉をノックすると、西尾先生が資料の束を抱えたまま顔を上げた。
「よし、安藤。入れ」
丸テーブルに座り、
先生が俺の調査票を一枚めくって言った。
「“やりたくないことリスト方式”……
お前、これ意外と筋が通ってきたな」
「あ、見たんですかそれ」
「当たり前だ。
担任に提出した以上、読むに決まってる」
言いながら、先生は赤ペンで何かを書き込みつつ続けた。
「で。
山本さんから連絡もらった。
“安藤くん、進路の棚卸しがうまいタイプですよ”ってな」
「……棚卸しって俺なんかの商品ですか」
「進路指導ではよく使うんだよ。“棚卸し”」
先生は、指で机を軽く叩いた。
「で、現時点の整理としては──
文系寄り、
国公立か私立文系、
専門・短大は保留……で合ってるか?」
「あ、はい。そうです」
「じゃあ次。
“その中でも、避けたい領域”は何が残ってる?」
昨日山本さんと話した内容が、そのまま口をついて出る。
「理系は今の自分には厳しいです。
あと、英語ガチ勢の国際系とか、プレゼンばっかりの学部は……」
「苦手だな?」
「はい」
先生はきれいに丸をつけ、斜線を引いていく。
「よし。
ここまでは“避けたい領域”の整理。
次は“使える科目”」
「使える科目……」
「世界史、嫌いじゃないんだろ?」
「……なんで知ってるんですか」
「昨日の山本さんの報告に書いてあった」
また情報共有されていた。
恥ずかしさと安心が、同時に込み上げる。
「世界史とか社会系が苦じゃないなら、
文系学部での選択肢はそれなりに広い。
ただし──」
先生はペンを置き、指を組んで俺を見た。
「“大学に行けば何とかなる”と思ってるなら、それはやめとけ」
鋭い言い方だった。
「……そんなつもりじゃないですけど」
「お前は、“決められないまま大学に入ったら後悔するタイプ”だ。
自覚してるか?」
図星すぎて、黙る。
先生は深く息を吐いた。
「安藤。
高校の時期に“決まらない自分”がいていいのは、確かだ。
でもな──“決まらない理由”だけは言葉にしとけ」
「……理由」
「そうだ。
“やりたいことがないから決まらない”じゃなくて、
・知らないことが多すぎて決められないのか
・怖くて踏み出せないのか
・どの選択肢もピタッと来ないのか
これを区別しておけ。
そうしないと、大人はお前の状態を読み違える」
「……なるほど」
確かに、昨日の山本さんとの会話で、
“分かってないのは、何が分かってないのか”だと感じた。
「それと──」
先生は何かを思い出したように目線を下げた。
「今年、元教え子が学校に来られるかもしれない。
宮崎って子だ。覚えてるか?」
「あ、なんか聞きました。
一度就職してから進路変えた人、ですよね?」
「そう。
“決めたあとに変える”側の経験者だ。
大学に行ったやつの話だけじゃなく、
“遠回りした大人の話”も聞いとくといい」
宮崎さんの存在が、急に身近なものとして感じられた。
「お前は“今の時点では文系進学寄り”だが、
固定しなくていい。
大事なのは──」
先生は、俺の調査票を指先で押さえた。
「“言葉にしておくこと”だ。
進路は、黙ってたら誰も読み取れない」
言葉にする。
昨日の山本さんの「棚卸し」と、同じ方向の話だ。
「……分かりました。
とりあえず、“今分かってること”は全部書き出しておきます」
そう言うと、先生は少しだけ笑った。
「うん。
それでいい。
“昨日よりちょっとマシ”を積み上げろ」
◇
進路指導室を出ると、
廊下の窓から夕方の光が差し込んでいた。
カバンの中からノートを取り出し、
歩きながらページをめくる。
昨日のメモには、
『“決まってなくていい時間”を、ちゃんと使う』
と書いてあった。
その下に、新しく書き足す。
『決まらない理由を、言葉にしておく』
ノートを閉じると、
胸の奥にひとつだけ輪郭のはっきりした感覚が残った。
――決まってないけど、確実に前より進んでる。
初めてそんな実感が、ほんの少しだけ