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「分かったわ。……神楽坂さんのお話を受け入れる」
「良かった……!」
私はホッと安堵し、あとは私と副社長の問題だと感じた。
確かに母が言ったように『娘を売ったみたい』と感じるのは仕方がない。
実家の店を悪く言うつもりはないけれど、副社長のお気に入りの店とはいえ、茨城にあるちょっと古いだけが自慢の小さな蕎麦屋なんて、彼にとって旨みはないからだ。
副社長ならその気になれば、都内のいい立地にある店を買収する事だって可能なのに、彼はあえて私たち親子を助けるために二億ものお金を出そうとしてくれている。
(私はそれに報いるために努力しなければならない)
副社長は契約書を作ると言ってくれたけれど、もしもその中に〝恋人ごっこ〟の延長で体を求めても拒否しないと書かれてあっても、私は受け入れるしかない。
スイートルームで副社長と接近し、確かに拒否感は感じなかった。
とても素敵な男性だし、むしろドキドキしたぐらいで……。
でもいくらイケメンの副社長でも、初対面であり雇用主とプライベートな仲になると思うと、微妙な気持ちになる。
(彼の申し出を嫌々受け入れる訳じゃない。……でも、もしもそういう事をするなら、段階を踏んでくれたらいいな……。我が儘を言える立場じゃないけど)
私は心の中で呟き、これで一つ心配事が減った事に安堵した。
**
その週末、副社長がわざわざ実家まで来てくれた。
休日でも、彼はビジネスの話をするからスーツ姿だ。
「初めまして。神楽坂グループの副社長をしております、神楽坂暁人と申します」
副社長は母と私、弟と叔父に感じのいい笑みを向け、名刺を配る。
「芳乃さんからお話は窺っていると思いますが、私のほうから改めてご提案をしたいと思います」
彼はそう言ったあと、話が分かりやすくするように、私たちに資料を配った。
経営に関して素人と言っていい私たちに、ここまでしてくれるとは思わず、私は副社長の細やかな気配りに感謝した。
副社長は資料を用いて〝みつみね〟再建に向けての計画を説明していった。
店は暁人さんが個人で買収する事にし、蕎麦の打ち手はかつてうちの店から独立していったお弟子さんの所から、筋のいい人を紹介してもらえないか当たるつもりらしい。
まったく別の職人が来て違う味になってしまったら元も子もないので、〝みつみね〟を大切に思ってくれる、父の味を理解してくれる人を迎えたいと言った。
二億の負債については肩代わりしたあと、再度店を再開して利益が出てから、無理のないペースで五パーセント――一千万円を目指して地道に返してくれたら上々だと言ってくれた。
「失礼ですが、それで神楽坂さんに何か旨みはあるのでしょうか?」
おずおずと尋ねた母に、副社長は微笑む。
「ボランティアや寄付って、応援したい気持ちでお金を出すじゃないですか。クラウドファンディングも、応援する気持ちに加えて、少しばかりのお礼をもらう。今回の件もそれに似た感情なんです。私は無類の蕎麦好きで、休日になるとあちこち食べ歩いています。最初は都内の高級店を回っていましたが、それに飽き足らず立ち食い蕎麦や色んな店に足を運ぶようになりました。〝みつみね〟に出会ったのもその活動の一環で、自分の味覚とドンピシャの蕎麦に出会えて感動しました」
そこまで言い、副社長はにっこり笑う。
「実際〝みつみね〟にはファンが多かったでしょう? 皆さん、本当に美味しいと思うからこの店に通っていたのです。私は少し金を持ってるだけの、一ファン。大好きな店がなくなる事だけは避けたいので、なんとか金の力で解決しようとしている。……そんな感じです」
そのあと、彼は私に話したように〝みつみね〟の蕎麦の魅力を饒舌に話し、母や弟、叔父たちも副社長が本当にうちの店のファンなのだと理解した。
「……その上で、これは非常に言いづらいのですが、神楽坂グループの息子として、私はいま両親から結婚やお付き合いについてせっつかれています。ですが私は、今はまだ仕事に身を入れたいと思い、結婚については現実的なビジョンを描けずにいます。……そこで芳乃さんに協力していただき、恋人役を請け負っていただきたいと思っています。加えて、私が住んでいるマンションの同じフロアに住んでいただき、健康的な家庭料理を作っていただけたらと思っています。今回のお話は、芳乃さん越しに聞いたものです。私は〝みつみね〟に出資しますが、芳乃さん自身にも何らかの形で少しお返しをしていただけたら、私としても個人的にとても助かります」
副社長は真剣な表情で続ける。
「大切な娘さんに恋人〝役〟、家政婦の真似事など求めて申し訳ございません。ですが相応に給料を支払いますし、マンションの家賃や光熱費などもこちらで持ちます。私は仕事で多忙を極めていまして、接待で外食が多い他にも、疲れてデリバリーや外食で済ませる事が多いです。理由があって家政婦さんには拒否感があり、そこで芳乃さんと出会い、お互い需要と供給が一致するかな……と思いました」
彼の説明を聞き、叔父が控えめに尋ねる。