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朝の屋敷は、まるで別の顔を見せる。
高い天井から差し込む光が廊下を照らし、
夜の闇に沈んでいた壁や床は、何事もなかったかのように輪郭を取り戻している。
使用人たちの足音が重なり、銀食器の触れ合う音が、館に生活の気配を運び込んでいた。
僕はいつも通りの時間に起き、制服に袖を通した。
特別な変化はない。
昨夜のことも、口に出して話す者はいなかった。
この屋敷では、夜と朝のあいだに線が引かれている。
消灯後に起きたことは、原則として翌朝まで持ち込まれない。
それが、暗黙の了解だった。
そしてそれは、家主の意向でもあった。
この館の主は、滅多に姿を見せない。
だが、決まりごとだけは細部まで行き届いていた。
執事長を通して伝えられる指示は多く、理由が添えられることはほとんどない。
ただ、言われたことを守り、いつもと同じことを繰り返せば給料が支払われる。
ここで働く者は皆、そのやり方に慣れていた。
廊下の窓を拭いていると、遠くで執事長の声がした。
「……全員、食堂に集まりなさい」
その一言で、空気がわずかに張りつめる。
食堂に集まった執事たちは、互いに目を合わせず、静かに立っていた。
執事長は一拍置いてから告げた。
「昨夜、事故があった」
それだけだった。
詳しい説明はない。
名前も、場所も、伏せられたままだ。
それでも、何人かの肩がわずかに揺れた。
この屋敷で「事故」という言葉が意味するものを、皆が理解している。
「……以上だ。今日の業務に戻りなさい」
解散の合図とともに、人の流れが生まれる。
誰もが、いつもより少しだけ無言だった。
そのとき、玄関の方から、聞き慣れない音がした。
スーツケースが床を転がる音。
軽く、乾いた音だった。
誰かが、ぽつりと呟く。
「……まさか」
僕は、そちらに視線を向けた。
新しい人間が来る。
その事実だけで、空気が微かに変わる。
理由を考える者も、考えないふりをする者もいた。
だが誰も、それを口にはしなかった。
そして次の瞬間、
扉の向こうから、一人の少女が姿を現した。