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山の中腹に、その病院はあった。
白かったはずの外壁は灰色にくすみ、割れた窓が風に鳴る。
看板の文字は半分剥がれ落ち、それでもかろうじて読めた。
――聖和総合病院。
十年前に閉鎖された廃病院だ。
理由は「経営難」とされている。だが地元では、別の噂があった。
「四階の隔離病棟には、退院できなかった患者がいる」
生きているのか、死んでいるのかは、誰も知らない。
大学生の陸は、動画配信のネタに困っていた。
「廃病院、夜に突入。これバズるだろ」
友人の梓は嫌がったが、結局ついてきた。
深夜一時。
懐中電灯を片手に、二人は正面玄関から中へ入る。
ガラスは割れ、床にはカルテや注射器の空き箱が散乱している。消毒液の匂いが、いまだに微かに残っていた。
「……寒くない?」
梓が腕をさする。
確かに、外よりも空気が冷たい。
まるで、建物が呼吸していないかのような、止まった冷気。
三階までは何も起きなかった。
手術室、ナースステーション、空の病室。
だが、四階へ続く階段の前で、陸のカメラが突然ノイズを吐いた。
ジジジ……。
画面が歪む。
「やめよう、ね?」
梓の声が震える。
そのとき。
上から、車輪の軋む音がした。
……キィ。
……キィ。
ストレッチャーを押す音。
陸はごくりと唾を飲み込む。
「誰かいるってことだろ?」
強がりながら、階段を上る。
四階の廊下は、異様に長かった。
蛍光灯は割れているのに、奥だけがぼんやり明るい。
隔離病棟と書かれたプレート。
ドアがひとつ、半開きになっている。
中から、低い声が漏れていた。
「まだ……終わっていません」
二人は顔を見合わせる。
陸はカメラを構え、そっと中を覗いた。
ベッドが並ぶ広い部屋。
その中央に、白衣の人物が立っている。
背を向けたまま、何かを記録しているようだ。
「すみませーん」
陸が声をかける。
白衣が、ぴたりと止まる。
ゆっくりと、首だけが回る。
ぐるり。
体は前を向いたまま、首が180度こちらを向いた。
顔には、目も鼻もない。
ただ縫い合わされた皮膚だけ。
「退院は、許可されていません」
声は、四方八方から響いた。
背後で、ドアが閉まる音。
梓が悲鳴を上げる。
廊下に、無数のベッドが並んでいる。
さっきまでなかったはずの、患者たち。
全員、点滴をつけ、顔に包帯を巻いている。
ゆらり、と一斉に上体を起こす。
点滴スタンドが、キィ、と鳴る。
「まだ……治療中……」
「まだ……帰れない……」
陸はドアを蹴るが、開かない。
カメラが床に落ち、映像が転がる。
そこに映ったのは、自分たちの背後。
いつの間にか、カルテが貼られている。
――患者名:陸
――患者名:梓
――症状:外部への帰還願望
「違う、俺たちは患者じゃない!」
叫んだ瞬間、白衣の存在が目の前に立っていた。
縫い合わされた顔が、至近距離に迫る。
冷たい手が、陸の肩を掴む。
「入院、完了」
視界が暗転した。
翌朝。
山道で、壊れたカメラだけが見つかった。
映像の最後には、病室の一角が映っている。
ベッドが二つ、増えていた。
窓際の名札。
「陸」
「梓」
そしてその横に、白衣の医師が立っている。
今度は、顔に目があった。
カメラ越しに、はっきりとこちらを見つめている。
廃病院は、今日も静かだ。
だが四階の窓だけは、夜になると明かりが灯る。
退院できない患者たちが、まだ治療を続けているから。
By主
定番って感じで書きやすかった!