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#片思い
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大学を卒業して新社会人となった七香は、経理部に配属された。同期の仲間たちとの交流が増え、特に同じ部署に配属された|織田《おだ》|珠姫《たまき》とは気が合い、一緒に過ごすことが特に多かった。
珠姫は端正な顔立ちと、まるでモデルのようなスタイルだが、あまり笑顔を見せたりしないので、社内では『クールビューティー』と呼ばれている。
ただ七香は知っていた。確かに言い方は強いがそれだけ仕事も正確で早い。それに仕事に向かう姿が格好良すぎて、ついうっとりと見惚れてしまう自分がいた。
それに、なんとなくだが昴と重なる部分を見つけ、時々ドキッとさせられる。例えば無表情だったのが、突然自分にだけ笑顔を向けてくれた時や、美味しいものは無言で食べ続けるところ。気付くたびに嬉しい気持ちになった。
あの再会の日から、ほぼ毎日のように昴からメッセージが届く。その日にあったことや天気のこと、時には早紀の話など、内容はさまざまだったが、二人の間に友情が育まれていることを実感していた。
体の関係があっても友人でいられるなんてーー昴と早紀の関係を知った時にはあり得ないと思っていた自分が、今はそれを肯定するような生き方をし始めているのだ。環境によって考えも変わることを改めて感じる。
昴も早紀と出会わなければ、普通の高校生活を送っていたのかもしれないと思うと切なくなる。だが彼女と知り合っていたからこそ、自分は彼と出会えたのだ。複雑な感情ではあったが、今は彼と出会えて良かったと心から思えていた。
ただあの日から一度も帰国をした様子はなく、間も無く年度末を迎える。早紀は仕事でアメリカを訪れることがあるらしく、彼女のSNSからも知ることが出来た。七香は昴とのメッセージのやりとりはかかさないものの、彼が帰るのを日本で待つだけだった。
「七香、そろそろご飯行く?」
ちょうどパソコンをシャットダウンした七香は、隣の席の珠姫の方を向くと、お腹をポンポンと叩いた。
「行く行く。いつも以上に頭を使ったから、お腹ぺこぺこだよー」
「同感。何食べたい?」
「うーん、そうだな……オムライスが食べたいかも!」
「よし、じゃあ前に行ったあそこにしようか」
「賛成!」
二人は会社を出て、以前見つけた店に向かう。通りから一本入った場所にあるお店は、裏路地の名店と呼ばれる洋食屋だった。今の主人は二代目で、建物自体は時代を感じさせるが、店内は海外の田舎の風景のようなレトロ感が漂っている。
席に案内され、オムライスとサラダとスープのセットを注文した時だった。七香のスマホから、メッセージの受信を知らせる音が響く。ふと画面を見ると、昴の名前が記されている。
いつも大体同じ時間に届くのは、彼が家に帰る時間と七香のランチタイムを合わせているからだろう。
「いつもの友達から? 毎日マメだよねぇ」
「うん、私も意外だった。もっと放っておかれると思ってたから。今日のランチはホットドッグで、夜は中華のテイクアウト……あの人、どんな生活を送ってるんだろう」
「アメリカにいるんだっけ? ドラマから飛び出てきたみたいなメニューだね」
「だよねぇ。ちょっと憧れるかも」
昴の性格上、きちんとした生活を送っていることは考えにくい。むしろスタイル抜群な女性たちと、奔放に過ごしているんじゃないかーーこの感情がただの心配なのかヤキモチなのかはわからなかったが、彼とのささやかなメッセージのやり取りは、七香の心に穏やかな風を吹かせた。
こうして昴との繋がりが出来、毎日彼をそばに感じられる。恋愛感情がなくても、昴の存在は七香に大きな安心感を与えていた。そして彼も同じように感じてくれていたら、それは七香にとってこの上ない幸福だった。
そんなことを考えていると、二人の前にサラダとスープが届く。
「そういえば、新人研修の時にお世話になった|片寄《かたより》さん、今度結婚するんだって」
ふと思い出した話題を口にすると、珠姫は微笑んだ。
「あぁ、あの可愛い感じの人ね。今度会ったら、おめでとう御座いますって伝えなきゃ」
七香はキョトンとした。こういう話題になると、大体相手はどんな人かとか、式はいつだろうという話題で盛り上がるのに、珠姫は冷静に受け止めただけだったのだ。
「珠姫って、もしかして恋愛とか結婚とかに興味ない人?」
「うーん……まぁそうだね。報告されれば嬉しいけど、別に自分はいいかなぁって感じかな。結婚なんかしなくたって生きていけるし」
「あっ、それわかる! 私も無理してするもんじゃないと思う」
大きく頷いた七香を、珠姫はサラダを食べながらじっと見つめる。
「七香は誰かを好きになったことってある?」
そう聞かれ、七香の時が止まる。ふと頭に昴の顔が浮かび、胸が苦しくなった。
「……一応」
「私はないんだ。小さい頃に遊んだ男子のおかげで、男性に対してトラウマがあってね」
「トラウマ?」
「そう。まぁイタズラ小僧のくだらないイタズラ。なのにそれをこんなに、引きずっちゃうんだもの。困ったものよ」
「そうだよねぇ……マイナスな記憶は心から消えてくれれば楽なのに」
「ふーん、七香も深い根っこがありそう」
「あるよー、すっごく太くてしぶといのが。たぶん私もあのことがトラウマになっている気がする」
二人が笑い合うと、ちょうどタイミングよくオムライスが届いた。
「この話の続きはまた今度ってことで」
「うんうん、お腹空いたし、早く食べちゃおう!」
そして二人は空腹を満たすように、オムライスを口に含んだ。
* * * *
お腹も心も満たされて会社に戻ろうとした時だった。エントランスに入ったところで、突然誰かに呼び止められたのだ。
「島波さん!」
声のした方を振り向くと、そこには長身のスーツ姿の男性が立っていた。それが人事部の|岩田《いわた》|宗典《むねのり》だと気付き、七香は慌てて頭を下げた。
「岩田さん! あの、先日はご迷惑をおかけしてしまって申し訳ありませんでした!」
先日データの打ち間違いをしてしまい、彼に多大な迷惑をかけてしまったのだ。なんとか先輩たちにも協力してもらい事なきを得たが、あの時のことを思い出すたびに、恐怖で体が震える。
「いや、こちらこそ、あの時はありがとう」
甘いマスクと柔らかな物腰で、女子社員からの人気も高い彼とは以前から面識はあったが、最近はよく話しかけられるようになった気がしていた。
「織田さんと二人でランチでもしてきたのかな?」
岩田は爽やかな笑みを浮かべ、七香をじっと見つめる。その視線に何故か緊張感を覚えながら、とりあえず同じように笑顔を返した。
「あっ、そうなんです。そこの洋食屋さんのオムライスがすごく美味しくて」
「へぇ、気になるなぁ。良かったら今度一緒に行かない?」
「い、一緒に……ですか?」
普段は愛想を振りまき、なるべく問題なく穏やかに過ごせるよう気を付けているが、この時ばかりは表情が硬くなり、声も低くなってしまう。
きっと普通なら岩田に誘われたら嬉しいはずなのだが、そう思えないのはやはり七香の中で昴のことが気になっているからだろう。
早紀と昴のことがあって恋愛に興味がない自分と、少し憧れはあるけど、昴以外の人に恋をすることに臆病になっている自分がいた。
それにここは会社のエントランス。社員の目も気になってしまった。
「あぁ、ごめん。急にこんなこと言って。ほら、やっぱり知っている人に連れて行ってもらった方が安心じゃない?」
「そ、そうですね! じゃあタイミングが合えば是非」
とはいえ、やはり自分の中で違和感を覚えて、先に進むことを躊躇った。
「七香、そろそろ行かないと」
その時、珠姫が声をかけてくれたおかげで、岩田はようやく諦めたように二人から離れた。
「あっ、本当だ! では失礼します」
「あぁ、じゃあまた」
二人は岩田に頭を下げてから、手を振ってその場を離れた。
「ナイスパスだよ〜! ありがとう」
「あの人、絶対に七香を狙ってるよね。あえてこの場所で声をかけた気もするし」
会社のエントランスという人が多い場所。何も考えずにただ声をかけたのか、人に見られることを意識しての行動だったのか、それは七香には判断は出来なかった。でも珠姫の言葉で助けられたのは確かだった。
「まぁ私は七香の味方だから、変な男が寄ってきたら全力で守るけど」
なんて頼もしい言葉だろう。嬉しくなった七香は、珠姫にきつく抱きついた。