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#契約結婚
草原草原

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#王道
涙乃
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#ざまぁ
草原草原

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三千二百万円を盗んだのは、私ということになっていた。
鷹宮タワー四十二階、役員フロアの会議室。毛足の長い絨毯が、人の足音を全部吸い込んでいく。
長机の向こうに五人。こちら側には、パイプ椅子が一つだけ。
「経理部派遣社員、瀬名ともりさん。間違いありませんね」
人事部長は名簿から顔を上げなかった。
「あかり、です」
「はい?」
「灯と書いて、あかりと読みます」
「ああ、失礼。まあ、どちらでも結構です。今日で終わる話ですから」
誰かが小さく鼻で笑った。
派遣三年目、二十六歳。経理部の島で、窓から一番遠い席。人の顔を見なくていい仕事だから、私はここを選んだ。
その三年の終わりに、横領犯という肩書きがつこうとしている。
コンプライアンス部長が書類をめくる。
「四月七日、十九時四十分。経理システムから取引先の口座へ、三千二百万円が送金されました。操作されたのは、瀬名さんのIDです」
「私は、十八時二分に退館しています。入館ゲートの記録を見ていただければ」
「ゲートの記録は総務部の管轄で、取り寄せに時間がかかります。本日はシステムのログで十分と判断しました」
十分。
三千二百万円と、私の三年間が、十分。
膝の上で手を握る。爪が掌に食い込んだ。
母の顔が浮かぶ。心臓の持病でパートを休んでいる母は、来週から検査入院が決まっている。入院費のための封筒は、私の給料日を当てにして、台所の引き出しに空のまま入っている。
懲戒解雇になれば、派遣会社との契約も切れる。刑事告訴されれば、次の仕事はない。
「証人をお願いします」
扉が開いて、ピンクベージュのネイルが目に入った。
経理部主任、早乙女ゆりな。ゆる巻きの髪を耳にかけて、彼女は申し訳なさそうに私を見る。
「あの日、私、七時半すぎに忘れ物を取りに戻ったんです。そしたら、瀬名さんの席だけデスクライトがついてて……。瀬名さん、遅くまで残ってましたよ」
私は彼女の顔を見た。
輪郭は、一本の線のままだった。
ぶれない。
この人は、本当にそう信じている。
私の目には、少し変わったところがある。
人が嘘をつく瞬間、その人の顔の輪郭が、一瞬だけ二重にぶれて見えるのだ。本当のことを言っているあいだ、輪郭はくっきりした一本の線のまま動かない。
初めてそれが見えたのは十一歳のとき、父の葬儀の日だった。それ以来、私は度の入っていない黒縁の眼鏡をかけて暮らしている。人の顔を見すぎないための、柵として。
ゆりなは嘘をついていない。
なら、あの夜、私の席にいたのは誰だ。
「課長からも、一言お願いします」
私の上司、経理部第二課長の野々村達也が立ち上がった。日替わりのブランドもののネクタイは、今日は紫。薄くなった前髪を、指で横に撫でつける。
「いやあ、残念ですよ。派遣さんにもね、私なりに目をかけてきたつもりなんですがねえ」
笑うと、歯茎が見えた。
一週間前、私は匿名で内部通報をした。
野々村課長の交際費の精算に、同じ取引先の、同じ金額の領収書が、日付だけ変えて何枚も並んでいたからだ。
通報窓口の受付番号は手帳に書き写してある。名前は、どこにも書いていない。
それなのに、通報の三日後から、課長は私の机の横を通るたびに足を止めるようになった。
そして、この送金記録が出てきた。
「課長は、あの夜、何時まで社内にいましたか」
私が聞くと、会議室の空気が少しだけ動いた。被告人が証人に質問するなど、誰も想定していなかったのだろう。
野々村は大げさに肩をすくめる。
「何を言ってるんだか。私はね、六時半には帰ってますよ。それにね、私は経費システムには一度も触っていない。部下のIDの管理なんて、課長の仕事じゃありませんから」
言い切った瞬間、彼の瞬きが止まった。
一秒、二秒。そして、ぱち、ぱち、ぱち、と三回続けて落ちた。
――ぶれた。
課長の顔が、ずれたフィルムのように二重になる。
私は眼鏡を外した。
「今の、嘘です」
一拍置いて、会議室が笑いに包まれた。
「嘘、ですか」
人事部長が、口元を書類で隠している。
「瀬名さん。ここは懲戒委員会ですよ。占いの館じゃない」
「派遣さんが何を言い出すかと思えば。いやはや」
野々村が首を振る。片側の口角だけが、一瞬上がるのを私は見た。勝った、と思った人間の顔だ。
「……すみません、つい」
頭を下げながら、私は自分の手が震えていないことに驚いていた。
笑われるのには慣れている。人の顔をじろじろ見るなと、子どもの頃から何度言われてきたことか。
ただ、嘘を嘘のまま通されるのにだけは、どうしても慣れない。
「では、委員会としての結論を――」
そのとき、会議室の扉が開いた。
ノックはなかった。
入ってきたのは、背の高い男だった。黒髪をきっちりと後ろに流し、チャコールグレーの三つ揃い。切れ長の目の、左の下に、小さな泣きぼくろ。
半歩後ろに、シルバーフレームの眼鏡の男が、タブレットを抱えてついてくる。
五人が一斉に立ち上がった。椅子の脚が絨毯をこする音だけが、やけに大きい。
「しゃ、社長」
鷹宮怜。鷹宮ホールディングス代表取締役社長。
社内で「氷の社長」と呼ばれる人だ。就任してから役員を何人も解任し、誰のことも信じない男だと、給湯室では毎日のように噂されている。
派遣の私が、こんな距離で見るのは初めてだった。
社長は人事部長の手から名簿を取り、一行目に目を落とした。
「瀬名……あかり」
一度で、正しく読んだ。
この部屋の誰も読めなかった名前を。
社長は名簿を机に戻し、私の前まで来た。見下ろされる。
「さっきの声は、君か。今の、嘘です、と」
廊下まで聞こえていたらしい。
「……はい」
「嘘がわかる、と言うのか」
「顔を見れば、わかります」
人事部長がまた笑いかけて、社長の視線ひとつで黙った。
「なら、試す」
社長は私の正面に椅子を一脚引き、腰を下ろした。目の高さが合う。
「今から三つ言う。一つだけ嘘だ。当ててみろ」
私は外したままの眼鏡を、膝の上で握った。
「一つ。私は今朝、五時に起きた」
輪郭は一本の線。
「二つ。私は、この会社の役員を、一人残らず信用している」
言い終えたとき、彼の頬の筋肉だけが、わずかに持ち上がった。笑おうとした頬に、目がついてこない。
――ぶれた。
「三つ。私は、嘘をつくのが下手だ」
一本の線。むしろ、さっきより濃く見えた。
「二つ目です」
誰も笑わなかった。
社長は少しのあいだ、私の顔を見ていた。それから、右の口元だけがかすかに上がる。笑ったのかどうか、私にはよくわからなかった。
「正解だ」
彼は立ち上がり、長机の五人を振り返った。
「この女は嘘を見抜ける。処分は保留だ」
「しかし社長、送金の記録は――」
「保留だと言った」
野々村が、慌てたように一歩前へ出た。
「お言葉ですが社長、派遣の言うことを真に受けては、示しがつきません。顔を見れば嘘がわかるなんて、そんな――」
「君の話は、あとで聞く」
社長は、野々村のほうを見もしなかった。
「時間をかけて、ゆっくりとだ」
紫のネクタイの上で、課長の喉が上下するのが見えた。
シルバーフレームの男が、社長の耳元で何か言いかける。社長は片手を上げて、それを止めた。
氷の社長が、私を見下ろす。
「――今日から、私の隣に置く」
コメント
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おお、これ第1話にしてめっちゃ掴まれたわ…! 嘘を見抜くっていう能力の設定の見せ方が上手いし、会議室の空気感がヒリヒリしてて読みながら息止めてた。 派遣の立場で「今の、嘘です」って言い切ったシーン、震えたね。 社長登場からの流れも完璧。続きめちゃくちゃ気になる!!🔥