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レッスンを終え、リビングでコーヒーを飲みながらくつろいでいると、侑が不意に質問してきた。
「今は基礎練中心だが、お前、いずれ吹いてみたい曲とかあるのか?」
彼の問いに、瑠衣が口元のホクロに指先を当て、斜め上に視線を向ける。
「う〜ん…………」
過去に吹いた楽曲を、記憶の引き出しから片っ端から開けてみるが、どれももう一度吹きたいと思う曲はない。
大学時代は、侑が選曲した楽曲を吹かせられていた、というのもある。
けど、憧れの楽曲はある。うんと時間が掛かるかもしれないけど……。
「あ…………『鬼パン変奏曲』ですね!」
彼女が、手をパンッと鳴らしながら答えると、侑の眉間が徐々に深く刻まれていき、瑠衣をジト目で見ながら低い声音で冷たくあしらった。
「…………何だそれは。そんな曲のタイトル、俺は知らんな」
「…………嘘です……『ナポリ民謡による変奏曲』です……」
「…………フンッ」
『ナポリ民謡による変奏曲』は、L.デンツァ作曲『フニクリ・フニクラ』を主題とし、コルネット奏者でもあるH.ベルシュテットが二つの変奏を加えて編曲した、コルネットのあらゆる演奏技術を要する技巧的変奏曲。
ネット上で演奏している動画も数多くあり、コルネットで演奏している奏者を始め、トランペット、ロータリートランペット、中低音楽器のユーフォニウムで演奏している動画などがアップされている。
原曲の『フニクリ・フニクラ』は、イタリアのヴェスビオ火山の登山電車を宣伝するCM曲として作曲され、世界最古のCM曲と言われているが、日本では、『♪鬼のパンツはいいパンツ♪』の替え歌で有名な子ども向けの歌『鬼のパンツ』で知る人が多いのかもしれない。
瑠衣も幼少の頃『鬼のパンツ』を歌った事があり、彼女の中で、あの躍動感のある旋律は、『フニクリ・フニクラ』よりも『鬼パン』のイメージが強い。
「…………お前があの変奏曲を吹けるようになるまで、毎日練習を積み重ねたとしても、十五年くらい掛かるだろうな」
「…………ですよね。ハハハハッ……」
侑がコーヒーを飲み干し、カップをコトリと置くと、腕を組みながら目を閉じて思案する。
「…………あの曲はかなりキツい曲ではあるが、吹けるようになると楽しくなる曲だな」
「先生、大学にいた頃、レッスンの空き時間に『ナポリ民謡による変奏曲』を吹いてましたよね? ここに住まわせてもらって、こんな機会はなかなかないので、是非もう一度聴かせて下さいっ」
瑠衣が手を合わせてお願いすると、何で知ってるんだ、と言わんばかりに瞠目した後、『仕方ないな。こっちへ来い』と防音室へ促した。