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盛大な姉夫妻の結婚式は、何事もなく終わった。
ショコラは、何も行動を起こさなかったグゼレス侯爵の事は、取り越し苦労だったようだと胸をなでおろしていた。
それから自室に戻ると、バタンと倒れるようにしてベッドへ横になった。
「――…それにしても、今日は疲れたわ……。いつも、夜会から帰って来た時のお母様の気持ちが、よく…わかったわ……」
うとうとしながら呟くと、その日ショコラは、いつもよりもずっと早くに眠りに落ちてしまったのだった。
考えなければならない問題がある事も、次の日の事も、何もかもを忘れて――…
そしてはっと気付いた時にはもう、すでに朝になってしまっていた。ミエルたち数人の侍女たちに世話をされて支度を整えると、両親の待つ朝食の席へと向かった。
――そこにはもう、姉の姿は無い。
「今日から、お姉様は別館にお住まいになるのね。」
この場所からは見えないのだが、ショコラは別館のある方向へと顔を向けた。
今自分たちがいる大きな本館のすぐ側には、それよりも少し小さめの別館がある。…とは言っても小貴族の本邸よりあるのではないか、という規模の建物だ。そこは、数代前の公爵の時、その兄弟一家が暮らすためにと造られた場所だった。その後は代替わりの時など、一時的に前公爵夫妻の住まいとして使用されるようになったのだが、そういう事情がない今はほんの一部が使用人の住居として使われているだけである。――そこでしばらくの間、姉夫妻が仮住まいをする事になったのだ。
「そうねえ。食事くらい一緒にしたっていいと思うけれど、そういうわけにも行かないんでしょう。寂しくなるわあ。」
母・マドレーヌはふうっと溜息を吐いた。すると父・ガナシュは、軽く笑った。
「新婚の邪魔をしては悪いよ。それに、本来ならばこの屋敷からはいなくなっているはずが、もうしばらくいてくれると言うんだ。まだ良い方ではないか。」
そんな時、威勢の良い声がダイニングに響いた。
「――そうだぞ、ショコラ!今日は代わりに俺たちがいるからな!」
ショコラはその声が聞こえて来た方――扉の方へと、顔を向けた。
「ジャン叔父様!お祖父様、お祖母様、おはようございます!」
そこにいたのは、叔父である子爵のジャンドゥーヤ・フィグ・オードゥヴィである。彼は前公爵夫妻である祖父母を伴って現れた。
独り身のジャンドゥーヤは、その両親と共に今はオードゥヴィ領にある屋敷で多忙な兄に代わって領地を治めているのだ。
「それにしても、あのフィナンシェがまさか嫁いで行ってしまうとはなあ。俺たちもびっくりだよ!」
ドカッと席に着くなりそんな話をする叔父は、公爵令息であったにも拘らず、良い意味で貴族らしくない。とても気さくで豪快な人なのだ。――…その反面、少々繊細さには欠けるのだが……
そんな弟を窘めるように、兄は言った。
「ジャン、その話はまた、後でな。」
「はいはい、兄上サマ。まずは朝食を頂くとするかな。」
少し茶化すように返したジャンドゥーヤだったが、きちんと座り直すと手慣れた様子で作法を守り食事を始めた。何だかんだ言って、そういうところが無意識に出てしまう辺り、やはり彼も公爵家の人間なのだった。
――…このテーブルにフィナンシェの姿は無くなってしまったが、この日はこんな風にして、いつもよりも賑やかな朝食になったのだった。
『……そうだったわ……。今日はこれから、この家の今後についての話し合いをするのよね。昨日は忙しくて、すっかり忘れてしまっていた……』
食事をしながら、ショコラはふと思い出すと考えた。
『――…もしも養子が来たら、やっぱり私はここにはいられないわよね。お姉様だったら喜んでいさせてくれたのでしょうけれど、“義弟”にとっては、私は邪魔者のはずだもの。だけどそうなると、このお屋敷にいるみんなとはお別れしなければならないという事よね……』
主人一家である自分たちとこの屋敷で働く使用人たちには、上下関係があるとは言っても、ショコラにとっては全員が家族そのものだった。……すぐにという事ではないにしても、今度は沢山の家族をも失うかもしれない……
家の中から「姉の存在」を失ってしまったショコラは、その事に何とも言えない寂しさを感じた。
『……そうなった時、“その子”はちゃんとここのみんなを大事にしてくれるかしら?このお屋敷を、大切にしてくれるのかしら――……』
その日の午後、ダイニングには朝食での顔ぶれにフィナンシェとクレムもやって来て、それぞれが席に着いていた。それに加え家令に執事、次期執事となる従僕までもが立ち会ってのオードゥヴィ家の家族会議が始まったのだった。
現公爵・ガナシュは口を開いた。
「皆、よく集まってくれた。」
「“よく集まった”って、一昨日からみんな屋敷にいたけどなあ?」
ジャンドゥーヤがおどけたようにして口を挟んだ。どうやら、改まった話し方を始めた兄を冷やかしているようだ。ガナシュは「ゴホン」と咳払いをした。
「…ジャン、茶々はいい…話の腰を折るな。――とにかく!分かっていると思うが、この先この家をどうするか、という話だ!」
面倒になったガナシュは、さっさと本題へ入る事にした。そして会議の中心にいる彼は、一同を見回した。『何か意見は?』と言うように……
「…私はもう、引退した身だ。現公爵の決めた事に異存は無いよ。」
祖父がまず始めに口を開いた。するとジャンドゥーヤがそれに続いた。
「俺も、特には言う事は無いかな。――というか、フィナンシェが嫁いだなら、ショコラが婿を取ればいいんじゃないか?」
そこへ、彼をギッと睨み付けたフィナンシェが噛み付いた。
「叔父様‼ショコラが穢れるような…可哀想な事をおっしゃらないで!!」
「おいおい、穢れるとか可哀想だとか……相変わらずだなあ、フィナンシェは……。じゃあ、養子を取るって事なんだな?なんだ、もう決まってるんじゃないか。」
姪のあまりの剣幕に、ジャンドゥーヤは思わずたじたじになっていた。
そんな中、家族同然だと言われたもののやはり部外者のような気がしていたクレムが、遠慮がちに口を開いた。
「まあまあ皆さん。ここはとりあえず、ショコラの意見も聞いてみませんか?どうかなショコラ。君はどうしたい⁇」
「えっ??」
急に話を振られたショコラはきょとんとした。
“どうしたいか”――。
ショコラは、“どうなるか?”という事は考えたが、“どうしたいか”までは考えていなかった。そんな事を、聞かれるとは思っていなかったからだ。
「うう―――ん……」
長く唸りながら、ショコラは考えた。
「…お婿さんは、お相手になる方に何だか申し訳なくて……。無い、と思っています。」
「それじゃあ、養子を取るという事だね?」
確かめるようにクレムは尋ねた。ショコラは焦ったように父の方を見た。
「でもお父様、そうなると私は…」
「ああ、それなら心配する事はない。いずれ私たち夫婦が領地の屋敷へ移る時、お前もちゃんと一緒に連れて行くさ。そこで今と変わらず自由に過ごすといい。」
父は笑顔で答えた。しかし、ショコラのもやもやとした気持ちは晴れない。
『…だけど、やっぱりこのお屋敷からは出て行かないといけなくなるのね……。そうなったら……ここは本当に、“オードゥヴィ家”と言えるのかしら……?』
ダイニングにはすでに、「養子を取る」という事でその空気が出来上がりつつあった。もちろん、養子がいけないとか気に入らないとか、継ぐのは直系でなければ、とかそういう事を思っているわけでは無い。だが……
今ここにいる自分と姉と両親、全てが去ってしまった後の屋敷の事を思うと、もう実家とは呼べなくなってしまったような気がして堪らなくなるのだ。
――『「貴女は、楽しいと思う事をなさっていれば良いのです。」』――
そんな時、なぜかショコラの脳裏には昨日ファリヌに言われた言葉が思い浮かんだ。
『……楽しいと思う事……ここを出て行くのは、“楽しい事”なのかしら……。』
何度か頭の中で巡らせてみた想像は……はっきり言って、何一つ、楽しくてわくわくする事などなかった。決して領地の事を悪く思っているわけでは無いが、たぶんこの屋敷を離れなければならない事自体に抵抗を感じているのだ。
では、どうしたらいいのか――…
その時ショコラは、ハッとして気が付いた。
まだあと一つ、方法が残っているではないか――!
「――お父様!私、決めましたわ。私がお父様の後を継ぎます‼私がオードゥヴィ公爵になって、このお屋敷を守って行くのです!!」
頬を紅潮させ、席から立ち上がったショコラは意気込んだ。
「なッなんだって!?」
ガナシュは声をひっくり返した。それに、マドレーヌたちや家令たちも含めた一同は、当然ながら仰天して言葉を失ってしまった。しかし、そんな事はお構いなしにショコラはぶつぶつと独り言を呟いている……。
「そうよ、私が息子だったらこんな会議、しなくてもよかったはずなのよね。…よっぽど駄目息子だったら別だけれど…。だけど、娘が家督を継げないというわけではないわ。そうしない事が多いというだけで。だから、私が跡継ぎになれば何の問題も無いのよ……。ねっ!そうでしょう⁇お父様!」
あまりの事に、ガナシュは口をパクパクとさせて上手く言葉が出て来なかった。他の者たちも皆、戸惑っている。
そんな中でただ一人、ショコラだけはキラキラと目を輝かせていた。彼女は久しぶりに、とてもわくわくとした気持ちになっていたのだ。こうなっては、誰もショコラを止められそうにない――…。
「……あっははははは!!!」
動揺が広がっていたダイニングに、突然ジャンドゥーヤの大笑いが響いた。
「それは思い付かなかった!面白そうじゃないか、俺はいいと思うぞ。なあ、親父!」
彼は笑い過ぎて出た涙を拭いながら、前公爵にそう声を掛けた。すると、まだ戸惑ったままの様子で答えが返って来た。
「…あっああ……私は、ガナシュの判断に任せる……よ……。」
祖父は現役の頃、豪傑な公爵だったという話を聞いた事があるのだが……。今ここにいる彼は動揺して、その面影が見えなくなっている。
またフィナンシェに至っては、ショコラを応援するために賛成すべきか、いやこれからのショコラの事を考えれば反対すべきなのか、と頭の中が右往左往していた。
……ジャンドゥーヤが言ったように、「そんな事」は誰も思い付きすらしなかったのだ……。ガナシュもまだ困惑している様子で、無言のまま考え込んでいる。
すると突然、部屋の端の方から声が上がった。
「――僭越ながら、わたくしは反対です。」
一歩前に出て、毅然とした声でそう主張したのは――…
この家の次期執事となる、ファリヌだった。