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◆ 3話 普及5年後
5年の普及期を越え、MINAMOはついに、
“国の認可を受けた主要通信端末”になった。
その影響は、ある朝突然やってきた。
******
大学生の 三森りく(24) は、
水色寄りのMINAMOを額にかけながら、
灰のトレーナー姿でキッチンに立っていた。
耳には、
髪に隠れるようにUMI AirWayが自然に掛かっている。
コーヒーを注ごうとした瞬間、
視界右端に大きな通知が浮かぶ。
『LINE 新仕様:無料テレビ電話へ完全移行
音声通話サービス終了のお知らせ』
りくは目を細めた。
「……ついにか。」
部屋には、
観葉植物の緑が静かに揺れている。
AirWayからは、
生活音を邪魔しない程度の、
微かな環境音だけが残っていた。
りくが喉を震わせる。
「LINE、仕様説明。」
AirWayの骨伝導で、
静かな声が直接伝わってくる。
『従来の電話番号は、
MINAMO識別番号へ自動統合されます。
テレビ電話は手首返しジェスチャーで起動可能です。
音声はAirWay経由でのみ出力されます。』
ちょうどその時、
テレビから朝の情報番組が流れた。
MCの横に立つアナリスト、
新海えみこ、36歳。
水色のブラウスに、
灰のパンツスーツ。
落ち着いた話し方と、
耳元にはさりげなくAirWayが見える。
「電話番号の廃止は、通信史上もっとも大きな転換です。
いまや学生の8割がスマホを持っていません。
連絡はすべてMINAMO識別番号、
つまり“個別視界アドレス”へ統一されます。」
MCが続ける。
「そして今年の流行語大賞、発表されました!」
画面が切り替わる。
『流行語大賞:手首返し』
スタジオが笑いに包まれる。
りくが無意識に手首を軽く返すと、
視界にテレビ電話の待機画面が、
ふわりと立ち上がった。
画角は、
顔だけではなく、
肩まで入る少し引いた視界。
AirWayからは、
呼び出し音ではなく、
「接続準備中」という、
短い案内だけが流れる。
街中では小学生が、
ふざけて手首を返し合い、
会社では上司が部下に、
むやみに返して怒られ、
SNSでは、
「返しすぎ部門」という動画がバズっていた。
******
駅へ向かう途中、
いまりからテレビ電話が入る。
りくは歩いたまま、
視線を軽く固定する。
通話が繋がる。
いまりの姿が、
視界の左端に、
自然な大きさで映る。
顔は近すぎず、
駅の風景も一緒に見える。
音声はすべてAirWay経由。
周囲に漏れることはない。
「りくくん、おはよ。
見た?“手首返し”が大賞。」
「見た。
今年は完全にAR年だな。」
歩きながら話しているのに、
誰にも“通話している”と気づかれない。
これがもう、普通だった。
******
大学構内では、
講義中の“ジェスチャー暴発問題”が、
多発していた。
学生がノートを取ろうとして、
うっかり手首を返し、
視界にテレビ電話が出てしまう。
教授が声を張る。
「返すな返すな!
AirWay外す必要はない。
授業モードに切り替えなさい!」
学生たちは苦笑しながら、
無声で設定を変更する。
教室は静かだが、
情報だけが確実に流れている。
******
帰り道。
人混みの中でも、
テレビ電話をしながら歩く人は、
珍しくない。
音はない。
ジェスチャーも小さい。
りくは思う。
「……スマホの時代、
ほんとに静かに終わったな。」
AirWayから、
ミナ坊の声がそっと届く。
『りく。
これが“声を上げない通信”の完成形です。』
視界と音が溶け合い、
生活の邪魔をしない。
MINAMO社会は、
この日を境に、
“完全移行期”へ入った。
それは騒がしい革命ではなく、
気づいたら戻れなくなっている、
静かな変化だった。