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翌日
鏡に映る自分の目元は、昨日散々泣き明かしたせいで、見るも無残に腫れぼったかった。
なんて情けない顔をしているんだろう。
まぶたは重く、視界の端がぼんやりとしている。
昨日の出来事が、まるで鉛の塊のように胸にのしかかっていた。
これまでの人生で感じたことのない、底知れない絶望感と
どうしようもない自己嫌悪が朝の光の中でも消えることはなかった。
重い足取りで学校に向かう道中も、心臓は不規則なリズムを刻み続けていた。
誰にもバレたくない。
特に、圭ちゃんに。
彼の前ではいつも通りでいなくちゃ。
そう、いつもの「俺」で
作り笑いを浮かべ、呼吸を整え、何でもないふりを装う。
胸の奥では激しい嵐が吹き荒れているのに、表面だけは平静を保とうと必死だった。
圭ちゃんに何か詮索されたり、心配されたりするのは、今の自分には耐えられそうになかった。
この醜い姿も、弱い心も、絶対に悟られたくなかった。
教室のドアを開ける音と同時に、馴染みのある
少しダルそうな、でも優しい声が耳に届いた。
「おはよ、りゅう」
圭ちゃんの声だ。
一瞬、心臓が大きく跳ねた。
ああ、来てしまった。この時間が。
「あっ、おはよ、圭ちゃん」
俺もできるだけいつも通りに、いや、むしろ普段よりも少しだけ明るい声を出そうと努めた。
喉が乾いて、声がかすれそうになるのを必死で堪える。
昨日、早退した件。
圭ちゃんからLINEが来ていた。
「お前早退したらしーけどどした、珍しいじゃん」
そのメッセージを読んだ時、胸が締め付けられるような痛みを感じた。
彼の優しさが、今の俺には毒のように思えたのだ。
平気だと嘘をつくことも、本当のことを打ち明けることもできなかった。
どちらを選んでも、もっと彼を傷つけてしまうような気がした。
だから、返事をしなかった。
苦しい沈黙を選ぶしかなかった。
当然、圭ちゃんはそれに関してすぐ聞いてきた。
「なあ、昨日なんで急に帰ったんだよ?LINEも送ったんだぞ昨日」
心臓がドクンと、鼓膜を揺らすほど大きく跳ねた。
どうしよう
やはり、この話題に触れられた。
体が硬直し、頭の中は真っ白になる。
どんな言い訳をすれば、彼を納得させられるだろう。
「あー…ごめん、朝気付いてさ。ちょっと体調悪かっただけだから気にしないで」
必死で笑顔を作り、声を弾ませてごまかした。
この話から一刻も早く逃れたい。
その一心だった。
圭ちゃんの視線が、嘘を見抜くように俺の顔をじっと見つめている気がして
内心、冷や汗が止まらなかった。
◆◇◆
その日の放課後…
授業が終わり、ざわめく教室の中で
いつものように圭ちゃんと「どっか行く?」という話になった。
カラオケ、家、ゲーセン…いくつか候補が挙がる。
いつもの何気ない会話が、今日の俺には重く響く。
胃のあたりがキリキリと痛み、指先が冷たくなっていく。
このタイミングしかない。
圭ちゃんに、話さなきゃいけないことがある。
昨日からずっと、頭の中でシミュレーションを繰り返してきた言葉を今、口にしなければならない。
恐ろしいほどに重いその言葉を。
「じゃ、じゃあさ、俺の家来る?今日親いないし、圭ちゃんに…話したいこともあるんだ」
そう口にすると、圭ちゃんは一瞬、少し驚いたような顔をした。
予想通りの反応に、緊張で喉が詰まる。
だが、すぐに彼はいつものように肩の力を抜いて「おう、いいぜ」と返してくれた。
その言葉を聞いて、張り詰めていた心がわずかに緩み、ホッと息をついた。
これで一歩前進だ。後戻りはできない。
鞄を持って肩を並べて校舎を出ると、空は既に少しオレンジ色に染まり始め
日が傾きかけていた。
夕焼けの光が、今日の決意を嘲笑うかのように眩しい。
「なんか圭ちゃんを家に呼ぶって久々かも」
「確かにな」
俺は前を向いたまま、わざと何気ないふりをして話しかけた。
圭ちゃんは相槌を打ちながら、いつも通りズボンのポケットに手を突っ込み
俺の左隣を歩いている。
その無邪気な様子が、これから彼に伝えなければならないこととのギャップを際立たせ
胸を締め付けた。
いつも通り駅に着き、電車に乗り込む。
夕方の電車は、予想以上に混んでいた。
つり革を握り、お互いスマホを操作する。
ふと、風に乗ってふわっと優しい香りがした。
シャンプーの匂いだ。
一瞬だったけれど、圭ちゃんの髪の毛から漂ってきたのだと、すぐに分かった。
彼の日常に、こんなにも自然に溶け込んでいる香りに、不意打ちを食らったような衝撃を受ける。
「あ」と思わず声が漏れた。
「ん?どした」
圭ちゃんが顔を上げて、心配そうにこちらを見た。
「あ……ううん!なんでも」
慌てて首を振り、視線を液晶画面に戻す。
だが、一度意識した香りは、ずっと鼻腔に残っていた。
もっと近くで匂いを嗅ぎたい。
このまま彼の背中に手を回して、抱きしめてしまいたい。
そんな、馬鹿げた衝動が湧き上がったが、流石に我慢した。
これ以上、圭ちゃんを困らせるわけにはいかない。
札幌駅に着いて、いつものようにバスに乗車する。
空いていた前方の2人席に並んで座り、揺れに身を任せてしばらくした頃
隣から微かな寝息が聞こえ始めた。
急に圭ちゃんが腕を組んだままウトウトしだしたと思ったのも束の間。
「ん、」と小さく声を漏らすと
俺の肩にふわりともたれ掛かってきて
そのまま規則正しい寝息を立て始めた。
「え……圭ちゃん?」
小声で呼びかけてみたけれど、反応はない。
完全に眠っているらしい。
どうしよう。心臓がバクバクと激しく脈打つ。
こんなに近くに圭ちゃんの体温を感じるなんて。
彼の髪が俺の首筋に触れる。嫌ではない。
むしろ、嬉しい。
こんな状況で嬉しいなんて、自分はなんて卑しいんだろう。
だって、好きな相手だから。
この瞬間が、永遠に続けばいいのに。
そっと、まるで壊れ物を扱うかのように、圭ちゃんの頭に自分の頭を寄せた。
シャンプーの匂いが、一層強く香る。
もっと嗅いでいたい
このまま時間を止めてしまいたいな、と思ったその時、バスが停車した。
『次は〜〇〇一丁目前〜』という音声が流れ、ハッと我に返る。
夢のような時間は、あっけなく終わりを告げ
俺はそっと、圭ちゃんを揺り起こした。
「圭ちゃん、起きて!降りるよ」
「んぁ……あ?」
圭ちゃんは、目をこすりながらゆっくりと頭を上げると、キョロキョロと辺りを見渡した。
まだ夢の中にいるような、少しぼんやりとした表情が、たまらなく愛おしい。
「俺寝てたか」
「うん、ぐっすり」
俺は平静を装ってそう答えたが、内心では胸が高鳴りっぱなしだった。
「……悪ぃな」
圭ちゃんは少し恥ずかしそうにしながらそう言った。
その、照れたような仕草が、子どもみたいで可愛くて、思わず笑みが溢れる。
(こんなにも好きなのに…)
流れるように定期を翳して運転手にお礼を言い
バスを下りた。
「お前ん家あっちだろ」と圭ちゃんが言うので
俺は少しドキッとした。
彼の言葉一つ一つに敏感になってしまう。
「あ、うん…行こっか」
圭ちゃんを家に誘うのは久しぶりだから、その事実だけでも十分緊張するのに
今日はさらに大きな目的がある。
頭の中で、伝えたい言葉が何度も反芻される。
でも今日は、ちゃんと話をしなきゃ。
そう決意して、俺は歩き出した圭ちゃんの隣にぎこちなく並んだのだった。
「おじゃましまーす…つっても親いねぇのか」
そう言いながら靴を脱ぐ圭ちゃんの所作は、いつものだらしなさとは裏腹に
驚くほど綺麗で、思わず見惚れてしまう。
すらりとした手足、無駄のない動き。
そんな圭ちゃんの姿が、今の俺には眩しすぎた。
「あ、うん……どうぞ」
俺はどぎまぎしながら答えると、重い心でドアの鍵を閉め、自分の部屋まで彼を案内した。
部屋に入ると、彼の視線がざっと室内を巡る。
「そこらへんに座ってていいよ」
圭ちゃんはソファの前にある小さなテーブルの傍に腰を下ろした。
俺は、まるで時間が止まったかのように
彼の一挙手一投足に意識が集中しているのを感じた。
「確か冷蔵庫にコーラあったから持ってくるよ」
少しでも、この緊張から解放されたかった。
キッチンに向かうことで、時間稼ぎをしたかったのだ。
「お、頼むわ」
圭ちゃんの声に、少しだけ安堵する。
俺は部屋を出てキッチンに向かい、冷蔵庫から500mlのコーラを取り出した。
冷たい缶が指先に触れて、ようやく現実に戻ったような気がした。
食器棚からオーロラグラスを2つ出して、均等に注ぐ。
泡がシュワシュワと音を立てて弾ける音が、やけに大きく聞こえた。
残り半分ほどになったコーラを冷蔵庫に入れ直し、パタンと閉める。
重い扉の音が、心臓に響く。
コーラの入ったコップを両手に抱え、俺は圭ちゃんのところに戻った。
「お待たせ。はいこれ」
「おう、サンキュ」
圭ちゃんはグラスを受け取ると、早速口を付けた。
ごくりと喉仏が上下するのを見て、俺も圭ちゃんの隣に腰を下ろして一口飲む。
コーラの甘味料が口の中に広がるが、その味を心から楽しむことはできなかった。
それから俺たちはSwitchを起動して、スマブラやマリオカートで遊び始めた。
いつもの俺たちなら、時間を忘れて熱中するはずなのに。
俺は全然集中できていなかった。
頭の中は、圭ちゃんに何をどう話すかでいっぱいで、キャラクターの動きもぎこちない。
コントローラーを握る手に力が入らず、何度もミスを繰り返す。
圭ちゃんが何度か「おい、りゅう、大丈夫か?」と声をかけてくれたが
俺は生返事をするばかりだった。
たぶん、圭ちゃんにはバレバレだっただろう。
それでも、彼は何も言わずにゲームを続けてくれていた。
その優しさが、ますます俺を苦しめた。
どれくらいの時間が経っただろうか。
ゲームの音だけが虚しく響く。
沈黙が耐え難いものになってきた頃、圭ちゃんの声が、静かにその沈黙を破った。
「そういや、俺に話あるっつってたよな」
その言葉にハッと我に返る。
心臓がドクンと跳ね、体が震えそうになった。
もう、逃げられない。
コントローラーを置いて、俺もそれに倣った。
意を決して、本題を切り出すことにした。
「あ……あのさ、圭ちゃん」
少し緊張しながら声をかけると、圭ちゃんはゆっくりとこっちを見て、首を傾げた。
その、どこか無邪気な仕草が、これから伝えなければならない言葉の残酷さを際立たせる。
俺は唾を飲み込み、震える声で言葉を続けた。
「その……えっと、俺、圭のこと好きだって言ったでしょ?」
「あぁ、言ったな」
圭ちゃんは短く返事した。
「それを…なんていうか、忘れて、なかったことにして欲しい、んだよね」
俯き加減に、苦笑いを浮かべながら言った。
声が情けないほど震えている。
嫌われたくない。
でも、これ以上圭ちゃんを巻き込むわけにはいかない。
昨日、あの場所で感じた恐怖と絶望が、再び俺の心を支配する。
圭ちゃんに同じ思いをさせるわけにはいかない。
圭ちゃんは一瞬固まって、それから眉間にしわを寄せた。
彼の表情から、驚きと、困惑と
そして少しの怒りが読み取れる。
「は…?急になんでだよ」
声が、俺と同じように少し震えている。
俺の身勝手さに怒っているのだろう。
当然だ。
こんな身勝手なことを言っているのは、自分が一番よく分かっている。
拳をぎゅっと握りしめ、爪が手のひらに食い込む。
「ほ、ほら、やっぱお試しで付き合ってみるっていうのも変だし」
もっともらしい理由を並べた。
圭ちゃんが納得してくれるように。
俺は必死だった。
そんな俺の様子を見て、圭ちゃんはハァとため息をついた。
その深い溜め息が、俺の胸に重く響く
頭をガシガシ掻いてから、諦めたように口を開いた。
「お前、やっぱり昨日なんかあったのか」
ギクッと心臓が音を立てた
鋭い
こんなに動揺している俺の気持ちを、彼は見抜いている。
でも、言えない。
言ったら終わりだ。何もかも。
「別に、なんもないけど……」
精一杯平静を装って答えると、圭ちゃんは訝しむような視線を俺に向けてきた。
その視線が、まるで真実を暴こうとする探偵のようだ。
「……本当にそれだけかよ?」
疑ってくるような口調に、思わずムッとする。
これ以上追及されたら、本当に耐えられない。
俺はなんとか笑顔を作った。
「ほんとだってば」
そう言って誤魔化すと、圭ちゃんはますます眉間にシワを寄せた。
彼の顔に刻まれる不機嫌な表情に、俺は焦りを募らせる。
「圭ちゃんイケメンなんだし、俺なんかの相手してるよりさ」
そう言って、視線をそらした瞬間、圭ちゃんに言葉を遮られた。
「なんか、隠してんだろ。その顔」
見透かされている。怖い。このままでは、全部バレてしまう。
「なんもないってば、本当に圭ちゃんって疑い深いよね」
俺は必死に笑って取り繕った。
どうして、彼にはこんなにも嘘が通じないんだろう。
「お前、俺のこと好きなんじゃなかったのかよ」
圭ちゃんの言葉が、ぐさりと胸に刺さる。
好きだよ。今も、ずっと。
彼の言葉を聞くたびに、胸の奥がズキズキと痛む。
でも、この関係は、ここで終わらせなければならないと思う。
「そ、そう、だけど。でも別に付き合えなくてもさ、これまで通り遊んでくれればいいし…」
声が震えそうになるのを必死で抑えながら言う。
圭ちゃんは納得いかなそうな表情を浮かべながらも、一応頷いてくれた。
良かった。
これで丸く収まるはずだ。そう思った矢先だった。
「じゃあ何でそんなに辛そうな顔してんだよ」
ギクッと心臓が跳ねると同時に、背筋に冷たい汗が流れる。
「そんな顔してない…」
思わず言葉を詰まらせると、圭ちゃんはさらに詰め寄ってきた。
まるで尋問だ。
俺は内心焦りながらも、平静を装おうと必死だった。
「誰になんて言われた、急に忘れてとかりゅうが言うように思えねぇんだけど」
「だ…誰にも言われてないし」
「じゃあ何でだよ」
圭ちゃんは納得してくれないみたいだ。
どうしよう。もうこれ以上は誤魔化せそうにない。
でも、言うわけにはいかない。
俺が答えに窮していると、圭ちゃんは深くため息をついた後、再び口を開いた。
「お前、嘘つくときわかりやしぃからな」
「……っ」
図星をつかれて、何も言えなくなる。
彼の言葉が、重く、俺の心に突き刺さる。
「隠してることあるならなんでもいいから言えよ、俺に隠す必要ねぇだろ」
圭ちゃんの言葉が優しくて、胸が締め付けられる。
その優しさが、今の俺には毒のように感じられた。
言ってしまいたい。
全部話して、彼に助けを求めたい。
でも、できない。
「そんな、隠してることなんてないよ」
必死で、絞り出すように言った。
その声は、自分でも情けないほど弱々しかった。
「…あっそ」
ようやく納得してくれたかと、ほっとして胸を撫で下ろした、その矢先だった。
「…前から思ってたけど、お前っていつも大事なことは言わないよな」
「え?」
圭ちゃんの声が、急に冷たくなった気がして
思わず顔を上げてしまう。
そこには、冷めた目つきで俺を見る圭ちゃんがいた。
彼の視線は、まるで俺の愚かさを嘲笑うかのように、俺を射抜いている。
そして、彼は鼻で笑って言った。
「いっつも平気な顔して笑って、バカじゃねぇの」
「バ、バカって…!バカは圭ちゃんの方でしょ、俺が大丈夫って言ってるんだからほっとけばいいじゃん!」
「圭ちゃんなんか友達も恋人も選び放題なんだから…俺に構わなくたって、いい…じゃん」
感情が溢れて、気づけば俺は圭ちゃんに食ってかかっていた。
心の奥底に押し込めていた怒り、悲しみ
そして彼への意味もわからぬ嫉妬が、堰を切ったように噴き出す。
「は?どういう意味だよそれ」
圭ちゃんの声が、さらに低くなる。
殺気すら感じるような、冷たい声だ。
俺はハッとして口をつぐんだが、もう遅かった。
「選び放題とか適当言うんじゃねぇよ」
圭ちゃんが、ゆっくりと立ち上がった。
その威圧感に、俺も気づけば反射的に立ち上がり、口論になっていた。
「なんと言おうとお前のがバカだかんな、小学生のころから一人で抱えて、それで自爆してたときもあったろーが」
上から目線に、指をさして言ってくる圭ちゃんに、俺は反論した。
「そ、そんな昔のこと今関係ないし……!」
だが、圭ちゃんの攻撃は止まらない。
彼の言葉は、容赦なく俺の弱点を突き刺してくる。
「大体、お前のそういうウジウジしてるとこキメェし」
「なっ……なに、それ」
圭ちゃんの言葉が、地味に、でも深く俺の胸に刺さった。
胸の奥がチクリと痛む。
圭ちゃんの声が冷たく聞こえるのは、気のせいじゃない。
「そんなに言わなくたっていいじゃん」
俺は俯いて、唇を噛む。
悔しさと、悲しさで、体が震える。
すると、圭ちゃんは舌打ちをしてから、さらに語気を強めて言ってきた。
「あーもううぜぇな…お前のそういうとこが昔から気持ち悪ぃっつってんだよ」
思いもよらぬ言葉に頭も心も、一気に凍りつく。
その瞬間、頭の中が真っ白になった。
圭ちゃんに、「気持ち悪い」と言われた。
俺の、全部が?存在が?
固まって、圭ちゃんの言葉が繰り返し脳内で響く。
俺はその場に立ち尽くし、圭ちゃんの顔を見つめた。
彼の目は、確かに俺を軽蔑しているようだった。
すると、だんだん視界が滲んできて、頬を熱い涙が伝っていくのが分かった。
もうダメなんだ。
そう思ってしまったら、涙腺が壊れたかのように、涙が溢れて止まらない。
「…っ、圭ちゃん…俺の、こと…ずっと……そんな風に思ってた、の?」
声が震えて、掠れて
やっと絞り出した言葉は、ひどく情けない響きだった。
それでも、彼の口から直接聞きたかった。
彼の本心を。
「違っ、今のは違う」
圭ちゃんはそう言って、急いで歩み寄ってくる。
彼の顔には焦りの色が浮かんでいた。
「さっきのは……その」
バツが悪そうに視線を泳がせる圭ちゃんの様子に、俺は悟った。
本心じゃなければ、あんな言葉は出てこない。
彼の言葉は、嘘じゃない。
それが、俺の心をさらに深く傷つけた。
「……っ……け、圭ちゃん、だ、けは……っ、俺の、味方で……い、てくれるって……っ、思って、たのに……っ」
涙で視界が滲んで、拭っても拭っても止まらない。
手の甲で必死に顔を押さえるが、温かい涙は指の間から溢れ落ちる。
喉の奥がヒューヒューと鳴り、呼吸もまともにできない。酸素が足りない。
「……っ、はぁ……っ、でも、それも……っ、結局……っ、俺の……勝手な、勘違い……で……」
嗚咽の合間に、言葉を紡ぎ出す。
「圭ちゃんにとっては……っ、俺……うざくて……キモくて……っ、ただ……重たくて……っ、迷惑で……っ、そんなんだっ、たんだ……?」
涙声で言うと、圭ちゃんはぐっと言葉を詰まらせた。
何も言えない彼を見て、確信に変わる。
もう、消えてしまいたい。
俺のこの感情は、彼にとってただの重荷だったのだ。
「りゅう、落ち着けって…!違う、全部違う。泣かせたくて言ったんじゃない」
もうダメだ。全部終わったんだ。
そう思ったら、もう涙も嗚咽も止まらなかった。
「……っ、もう……もういいから……っ、お願い、もう……帰って……」
ぽたぽたと落ちる涙を拭う余裕もなくて、顔を伏せたまま震える声で、絞り出すように――
追い出すように、でも本当は誰よりもすがりたいその人に、言ってしまう。
もう、これ以上、圭ちゃんに嫌われるのが怖かった。
この醜い姿を見られるのも嫌だった。
俺は無理やり圭ちゃんの背中を押して、部屋の外へ出した。
「一人に……して……っ」
俺が必死にそう言うと、圭ちゃんは少しの間立ち尽くしていたが、やがて諦めたように口を開いた。
「……悪い」
そう言って、俺に背中を向けて玄関の方に歩いていった。
彼の背中が、どんどん小さくなっていく。
俺はその背中を見送って、そのまま静かに扉を閉める。
鍵を閉める音は、俺の心のシャッターが下りる音のようだった。
そして、その場にずるずると座り込んだ。
嗚咽が漏れ、涙が止まらない。
辛い
苦しい
寂しい
助けてほしいのに、側にいてほしいのに
それを口に出す勇気もない自分が嫌いだ。
「うっ……ひっく……」
絶対、圭ちゃんに嫌われた。
もう友達としてもいられないかもしれない。
そう思うと涙はどんどん溢れて、俺は膝を抱え込んで顔を埋めた。
世界が、暗闇に閉ざされていくようだった。
それからどれくらい経っただろう。
俺は気がつくとベッド上で目を覚ましていた。
扉を背もたれにしていたはずなのに。
どうやってここまで来たのだろう。
自分で移動した覚えは無い、誰かが移動させてくれたのだろうか。
……圭ちゃん、はもう帰ったよね。
母さんとかかな。
微かな希望が湧き上がるが、すぐに消え去る。
圭ちゃんがあんなにも冷たく、俺を「気持ち悪い」と言ったのだ。
圭ちゃんが俺を気遣うはずがない。
そう思って立ち上がってリビングに向かうと、既に母さんと父さんがダイニングテーブルの椅子に座っていた。
テーブルの上には、俺の好きなビーフシチューとサラダが並んでいる。
温かい湯気が、心とは裏腹に、部屋を満たしていた。
「あれ、もう夜ご飯…?」
俺が目を丸くして言うと、母さんは心配そうに言った。
「あら、りゅうやっと起きたのね、お母さんがりゅうのこと呼びに部屋行ったら扉の前で寝てるもんだからびっくりしちゃったわよ~」
「そっか、母さんが…」
母さんの声が、まるで遠くから聞こえるようだ。
全てがぼやけている。
「って、りゅうせい…その目どうした?赤く腫れてるぞ」
父さんが心配そうに言うから
「あ、うん……ちょっと寝すぎちゃって」
と笑って誤魔化した。
笑顔は、ひどく引きつっていたかもしれない。
「もう、りゅうは昔からよく寝るんだから……」
母さんが呆れながら言うのを聞きながら、俺は椅子に座った。
目の前のビーフシチューは、いつもなら食欲をそそるはずなのに、今日はあまりにも魅力がない。
「いただきます」
そう言ってビーフシチューを口に運ぶ。
美味しいはずなのに、あまり味がしない。
温かさも、肉の柔らかさも、シチューのコクも、何も感じられない。
ただ、胃の中に物を入れているだけだ。
圭ちゃんのことばっかり考えてしまう。
今頃何してるのかなとか
もう俺のことなんか忘れているだろうかとか
明日からどんな顔して会えばいいんだろうとか。
彼に会うのが怖い。
彼の冷たい視線に、もう二度と耐えられない。
そんなことばかり頭に浮かんでくる自分が嫌だ。
もう全部忘れなきゃって思うけれど
でも、そう簡単にできるわけない。
俺は重いため息を一つくと、残りのシチューを黙々と口に運んだ。
食卓の温かい雰囲気と、俺の心の中の冷たい嵐が、あまりにも対照的だった。