テラーノベル
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見なければよかった。
本当に。
廊下の向こうで、職員同士がいちゃついているところなんて。
「……おい」
「うん?」
隣を歩いていた職員が、何も知らない顔で振り向いた。
何も知らないわけがない。
こいつはさっきから、俺が向こうを見ていることに絶対気づいている。
廊下の先。
二人の職員が並んで立っていた。
片方の襟が少し曲がっていたらしい。
もう一人が手を伸ばして直す。
「朝から曲がってたぞ」
「気づいていたなら早く言え」
「今直してるだろ」
襟を整える指が、そのまま首元を軽く撫でた。
触れられた方が何か言う。
触れた方が笑う。
そのまま肩がぶつかるほど近い距離で、二人は歩いていった。
俺は隣を見る。
「…………」
「どうした?」
「今の」
「うん」
「何だよ」
「職員同士だね」
「見りゃ分かる!!」
思わず声が響いた。
向こうを歩いていた二人が振り返る。
隣の職員は笑顔のまま軽く会釈した。
「すみません。こちらの利用者が少し興奮していて」
「誰のせいだよ!!」
「俺?」
「お前だよ!!」
職員二人が何とも言えない顔で去っていく。
俺はその背中を睨んだ。
そして、もう一度隣の男を見る。
「なんであいつらはいいんだよ」
「職員同士だから」
「だから!!」
「うん」
「俺とお前はなんで駄目なんだよ!!」
職員が、ぱちりと瞬いた。
それから笑った。
「廊下で大きな声で告白しない方がいいと思うよ」
「告白じゃねえ!」
「違うの?」
「……違わねえけど!」
「じゃあ合ってるじゃないか」
「そういう話してねえんだよ!」
腹が立つ。
本当に腹が立つ。
この男はいつもこうだ。
俺が、
「今日の俺、結構格好いいだろ」
と言えば、
「うん。格好いいね」
と即答する。
「お前、俺みたいなの好きそうだよな」
と言えば、
「よく分かったね」
と笑う。
「じゃあ俺のこと好き?」
と聞いた瞬間だけ、
「その質問は答えられないな」
と綺麗に逃げる。
俺が腕を出して、
「筋肉ついた」
と言えば普通に触って確かめる。
「本当だ。訓練の成果出てるね」
「もっと触っていいぞ」
「それは必要ないかな」
「必要ある!」
「何に?」
「俺に!」
こんなやり取りを何度したか分からない。
先日は、とうとう手まで握った。
「手ぇ出して」
「はい」
そう言われたから出した。
握られた。
俺も握り返した。
一秒。
二秒。
三秒。
離れない。
俺の心臓が暴れ始めた頃になって、ようやく手が離れた。
「…………今の何?」
「握手」
「十秒くらいしてただろ」
「そうだった?」
「絶対分かってやってるだろ!」
「何のことかな」
その男が。
今も俺の目の前で。
にこにこしている。
「お前さ」
「うん」
「俺が卒業したら困ることでもあんの?」
「どうして?」
「だって俺が卒業したら、もう利用者じゃなくなるだろ」
「そうだね」
「職員と利用者じゃなくなる」
「そうだね」
「そしたら俺、お前と付き合えるよな」
職員が黙った。
ほら。
これだ。
いつもここだ。
ここまで散々乗ってくるくせに、肝心なところだけ綺麗にかわす。
「答えろよ」
「卒業してから考えようか」
「今考えろ!」
「今の俺は職員だからね」
「ずるい!!」
「規則を守ってるだけだよ」
「規則守るやつが毎日俺のアピールにあんなノリノリで返すか!?」
「利用者との円滑なコミュニケーションは大切だから」
「嘘つけ!!」
職員は笑っている。
絶対楽しんでる。
「じゃあ俺、いつ卒業できるんだよ」
「それは俺一人で決めることじゃないよ」
「俺もう大体できるだろ! 衣も大丈夫。厠も大丈夫。食堂も一人で行ける。公共区画の規則も全部覚えた!」
「うん。かなり安定してきたね」
「だろ!?」
「頑張ってると思うよ」
褒められた。
嬉しい。
――じゃない。
「じゃあ卒業!」
「それとこれは別かな」
「何が残ってんだよ!」
職員は少し考えた。
そして、思い出したように言った。
「ああ」
「何だよ」
「君は、お風呂の訓練がまだ要訓練だったね」
俺は固まった。
職員が爽やかに笑う。
「応援してるよ」
「…………」
「次回も頑張ろうね」
「…………そこ拾う?」
「大切な生活訓練だから」
「俺は今、お前と付き合う話してんだぞ!?」
「うん。聞いてるよ」
「じゃあ風呂関係ねえだろ!」
「卒業の話になったから関係あるね」
「くっそぉぉぉ……!」
頭を抱えた。
確かに。
風呂はまだ苦手だ。
湯そのものではない。
他の利用者と同じ浴場へ入ると、どうしても落ち着かなくなる。
背後に誰かがいる。
水音がする。
身体を洗う間、視界から周囲が外れる。
それだけで由来生態の警戒が出る。
最近ようやく、一人なら落ち着いて入れるようになったところだった。
「でも俺、個別浴なら普通に入れる!」
「うん」
「洗える!」
「知ってるよ」
「出た後の衣も一人で着られる!」
「それも知ってる」
「じゃあいいだろ!」
「共同浴場で緊張が上がった時、自分で退避を判断できるかはもう少し確認したいね」
「…………」
正論だ。
腹が立つほど正論だ。
「次回、俺も評価に入ろうか?」
「…………え」
「嫌?」
一瞬で顔が熱くなった。
「いや……」
「じゃあ入ろうか」
「待て」
「何?」
「お前がいると余計緊張するかもしれねえ」
「じゃあ別の職員に頼もう」
「それは嫌だ!」
即答した。
職員が目を細める。
「難しい利用者だね」
「お前のせいだろ!」
「俺がいると緊張する。でも俺じゃないと嫌なんだ?」
「…………」
「へえ」
「その顔やめろ!!」
完全に楽しんでいる。
俺は勢いよく指を突きつけた。
「いいか!」
「うん」
「絶対卒業するからな!」
「うん」
「風呂も完璧にしてやる!」
「期待してるよ」
「卒業したら逃げんなよ!」
職員の笑みが、そこで少しだけ変わった。
からかうようなものではなくなる。
「逃げないよ」
俺の口が止まった。
「…………本当か?」
「卒業した君から話があるなら、ちゃんと聞く」
「それって」
「そこから先は卒業後」
「またそれかよ!!」
笑顔が戻った。
俺は本気でこいつを一発殴ってやりたいと思った。
もちろん殴らない。
そんなことをしたら訓練記録に残る。
卒業が遠ざかる。
今の俺は、誰より卒業を望んでいる男なのだ。
廊下の向こうから別の職員が歩いてきた。
「ちょうどよかった。今から面談なんだけど、来られる?」
「行く!」
「今日は随分やる気だね」
「当然だ!」
相談室へ入る。
記録板を開いた職員が、少し嬉しそうに言った。
「最近、本当に卒業への意欲が高いね」
「ああ!」
「何か目標でもできた?」
「ある!」
勢いよく答えてから。
隣を見る。
意中の職員が、涼しい顔で座っている。
絶対に俺の答えを待っている。
「…………」
「目標は?」
「…………自立」
横から、ぷっ、と音がした。
「笑うな!!」
「ごめんごめん」
「お前絶対分かってるだろ!」
「何のことかな」
「卒業したら覚えてろよ!!」
「うん」
職員は楽しそうに笑った。
「まずは、お風呂頑張ろうね」
「そこに戻すなあああ!!」
俺の卒業は。
どうやら、風呂にかかっているらしい。
#BL
はるさよ
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コメント
1件
え〜〜〜!?第3話、たまらんかった!!😭💕 主人公の「なんで俺だけダメなんだよ!!」って叫び、めっちゃ可愛すぎるでしょ!!職員さん、絶対楽しんでるやつやんww あの「風呂頑張ろうね」で全部かわすスタイル、ずるすぎる!!でも「卒業したら逃げないよ」の真顔からのギャップにやられた〜〜〜!!二人の距離感と空気感がエモすぎて、卒業後が待ち遠しすぎるよ!!次回も絶対読む!!🌸