◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ外縁/王国警備局・医療棟前】
石畳の坂を駆け上がった先に、白い塀と鉄柵の門が見えた。
門の向こう――奥に、白い建物の屋根が覗く。
医療棟だ。
だが、空気が変だった。
守りの兵の声も、出入りの足音もない。
静かすぎる。静かさが、喉の奥に貼りつく。
アデルが足を止め、剣を下げたまま門を見た。
「……静かすぎる」
イヤーカフからノノの声が飛ぶ。
『門の周り、熱が跳ねてる。普通じゃないやつ。
……たぶん、罠っぽい』
サキがバッグを抱えたハレルの横で、息を呑んだ。
「罠……って……」
返事をする暇もなく、門の内側で光が走った。
ボッ――!
炎が地面から立ち上がる。
焚き火じゃない。
線みたいな炎が道を塞ぎ、壁の形になって揺らめいた。
熱が、顔を叩く。
ハレルは反射でサキを背中へ引いた。バッグを抱えた腕に、汗が滲む。
門の内側へは――入れない。
炎が、通路そのものを塞いでいる。
「火……!?」
サキの声が震える。けれど目は逸らさない。逃げ腰にならない。
リオが前へ出た。マスクの奥で息を吸う音がする。
アデルも剣を握り直し、門と炎の“距離”を測った。
二人の後ろには、選抜の隊員が二人。
片方は腕に布を巻いている。
さっき負った傷がまだ熱を持っているのが分かる。
(レアが追ってくる)
背中の皮膚が、ずっと薄く痛い。
“気配”が、廊下の向こうではなく、
こちらへ伸びてくる感覚。だが今は――目の前だ。
炎の向こうに、影が立った。
細身の体格。短い髪。
王国警備局の制服を基調にした装備
――そのはずなのに、胸だけが異様だった。
焼け焦げた跡を覆うように、半導体にも宝石にも見える板が埋め込まれている。
硬い光。細かい魔術紋。淡い赤橙の脈動。
そして、顔を上げる。
瞳は――真っ黒。
白目がない。夜の穴を二つ、はめ込んだみたいな黒。
アデルの喉が、わずかに動いた。
「……カイト」
その名前に反応するように、影は首を傾げる。
「カイト?」
声が、ひとつじゃない。
少年の高い声と、青年の声と、女の囁きと、年老いた低音が、薄く重なって輪郭になる。
「それ、前の持ち主の“ラベル”だよね」
リオの指先に力が入る。
「……代用(サロゲート)」
影が嬉しそうに笑う。
「うん。呼び方、分かってるじゃん」
炎の壁が、ゆらりと揺れた。
熱が増す。空気が乾く。
ハレルは歯を食いしばった。
(最悪のタイミングで……)
サロゲートの黒い目が、こちらをなぞる。
――リオ。アデル。隊員。
そして最後に、ハレルの腕のバッグに止まる。
「それ、持ってるの?」
多重の声が、子どもみたいに弾む。
「へぇ。今日は“お届け物”の日なんだ」
サキが、息を呑む。
「……こいつ、知ってる」
アデルが一歩だけ前へ。
剣先が、炎の手前で止まる。
「ここは通さない」
サロゲートは肩をすくめた。
「ボクも、殺しに来たわけじゃないよ。今日は――」
胸のプレートが、カチ、と小さく鳴る。紋様が切り替わる。
「“足場”の確認。あと、邪魔」
言葉と同時に、炎が“伸びた”。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ外縁/医療棟前・門外】
「〈炎輪・第二階位〉」
サロゲートが軽く指を弾く。
炎は輪になり、門前の地面を舐めるように広がった。
火花が跳ね、草が一瞬で黒く焦げる。
隊員のひとりが、息を詰めた。
「……っ、熱っ」
「下がって」
アデルの声は短い。命令じゃない。位置の共有だ。
アデルは剣を地面へ向けた。
「〈封縛・座標杭〉――二点」
白い杭が二本、地面へ打ち込まれる。
杭と杭の間に、透明な“板”が立った。
炎の輪がぶつかり、バチバチと音を立てて散る。
それでも熱は抜けてくる。
息を吸うと喉が焼ける。目が痛い。
リオが前へ出る。
「〈閃撃・第二級〉――射線、通す」
白い線が一本、炎の向こうへ走った。
狙いは顔じゃない。胸のプレートの少し上――魔力の歪み。
当たる寸前。
サロゲートの胸が、淡く光った。
プレートの表面が“回転”するみたいに切り替わり、閃撃の光がすうっと沈む。
「へぇ」
多重の声が、楽しそうに笑う。
「その線、気持ちいい」
リオの背中に冷たい汗が流れた。
(吸った……?)
イヤーカフから、ノノの声が飛ぶ。
『その胸、やっぱり変換板みたいになってる。光系、飲まれるかも』
一拍置いて、続く。
『炎、広げてるのは“場”そのもの。門前を焼いて、座標を固定してる』
サロゲートが、嬉しそうに頷く。
「うんうん。ノノ、相変わらず目ざといね」
ハレルが顔を上げた。
「……聞こえてるのかよ」
「聞こえるよ」
サロゲートは軽く両手を広げる。
「だって、ここ、観測が濃い。
みんな、見てる。感じてる。だからボクも、ここに立てる」
その瞬間、炎の中から“火球”が生まれた。
掌の上の小さな太陽。熱で空気が歪む。
「〈焼痕標(ブレイズ・マーカー)〉」
火球が放られた。
狙いは――門の真下、地面。
ドン、と鈍い衝撃。爆発ではない。
地面が黒く焼け、円形の焦げ跡が生まれる。
そこから、黒い亀裂がじわりと伸びた。
まるで“ここが入口だ”と書き込むように。
『やばい……印』
ノノの声が少しだけ速くなる。
『後から好きなだけ開け閉めされるタイプ。ここ、長居したくない』
アデルの眉が一瞬だけ動く。
「……上書きする」
剣先が焦げ跡の手前をなぞる。
「〈封縫・戻り線〉――書き換え」
白い線が、黒い輪郭を上から塗りつぶすように走った。
黒い亀裂が、じり、と後退する。完全には消えないが、広がりが鈍る。
サロゲートは拍手するみたいに指を鳴らした。
「いいね。ほんと、いいデータ」
そして、黒い目がハレルへ戻る。
「で、ハレルくん」
多重の声が甘くなる。
「そのバッグ、貸して。ちょっとだけ“見せて”」
ハレルの胸元で主鍵が熱を持った。
(見せたら終わる)
理屈じゃない。体がそう言っている。
サキが、ハレルの袖を掴んだ。
「お兄ちゃん……」
怖いのに、手を離さない。
その温度が、ハレルを現実に戻す。
「渡さない」
ハレルは言った。声は震えてない。
サロゲートが口を尖らせる。
「じゃあ、困るなあ」
次の瞬間。
炎の壁が、一段“高く”跳ね上がった。
門前の視界が真っ赤に染まり、熱波が押し寄せる。隊員が半歩下がる。
アデルが低く息を吐いた。
「ここで押し返す。医療棟に入れないなら――門前で折るしかない」
リオが頷く。
「やる」
ハレルとサキは、まだ門の外。
炎の手前。逃げ道は背後の森道だけ。
だが背後には――レアの気配が、薄く近い。
二方向から挟まれる。
サロゲートが笑う。
「そうそう。そういう顔、好き。
“守りたいのに守れない”って顔」
黒い瞳が、炎の揺らぎの向こうで歪んだ。
「じゃ、もう一回。挨拶、続きね」
炎が、さらに――
◆ ◆ ◆
【現実世界・学園跡地/森・中心部・石造建物内】
白い円の向こうからの爪音が、はっきりした。
コツ。
コツ、コツ。
音は“近づいている”んじゃない。
円の縁を叩いている。
まるで、こちらが開けるのを待っているみたいに。
特殊部隊の銃口が揃う。
ライトの輪が白い円を照らし、円の内側だけ影が薄い。
木崎がカメラを構えた。
喉が鳴る。
「……また、来んのかよ」
日下部がノートパソコンを抱え直す。
顔色は悪い。でも目が逃げていない。
「この円……」
日下部が低く言う。
「“入口”だ。たぶん、向こうと同じ種類の」
城ヶ峰が短く息を吐いた。
「開けるな。勝手に開くなら、押さえる」
その直後――
円の内側が、ふっと明るくなった。
光じゃない。色が抜ける明るさ。
そして、円の中に“白い廊下みたいな景色”が一瞬だけ滲んだ。
木崎の背中が粟立つ。
「……白い、廊下……?」
コツ、という音が、今度は“こちら側”の床に響いた。
全員が凍った。
円の内側から、黒い影がにじむ。
布みたいに見えて、布じゃない。
輪郭だけが先に出てくる。
城ヶ峰が小さく指を立てる。
合図はひとつ。撃つな、待て。
影が、円の縁に“指”をかけた。
指――というには、細すぎた。
爪が長い。石を削る音がした。
「……来る」
城ヶ峰の声が硬い。
その瞬間、円の中の白が一段濃くなり、部屋の空気が冷えた。
冷えたのに、汗が出る。
理屈が追いつかない。
日下部が、息を飲んで言った。
「……触れたら、持っていかれる」
木崎が反射で一歩下がる。
でもカメラは下げない。
城ヶ峰が、隊員に目だけで合図した。
“押さえる準備”。
“閉じる準備”。
ただし――どうやって?
白い円が、静かに呼吸しているみたいに脈打った。
向こう側の影が、こちらへ来るのを楽しんでいるみたいに。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ外縁/医療棟前・門外】
炎がうねる。
サロゲートの笑い声が、赤い光の中で重なって響く。
リオが掌を上げる。
アデルが剣を握り直す。
隊員が槍を構える。
ハレルはバッグを抱え、サキの手を離さない。
――門の向こうに、ユナの器がある。
なのに、今は一歩も入れない。
そして背後から、別の“切っ先”が近づいてくる気配。
次に来るのは、炎か。
それとも、光刃か。
ハレルは息を吸った。
吸った空気が熱く、喉が痛い。
それでも、声は出た。
「……守るぞ」
炎が、答えるみたいに跳ねた。






