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#恋愛
ばたっちゅ
20,605
83
meyu0530
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夕方、実家から戻ると、ふらふらとリビングのソファに腰を下ろした。
昨夜母からすべてを聞き、未だ頭は混乱したままだ。
つまり伊織さんは、私の火傷の責任をとって結婚したってことだよね……。
決して母はそうは言わなかったが、誰が考えてもわかることだった。実際、智美さんにも似たようなことを言われていたのだから。
そう考えると、今まで疑問に思ってきたことすべてが腑に落ちた。父が突然持ってきた縁談話、伊織さんほどの完璧な男性が結婚に前向きだった意味、そしてなぜ彼がここまで私を大切にしてくれるのか。それはすべて、二十年以上も前に起きた事故に繋がっていたのだ。
半信半疑だった部分もあったが、母の話を聞いてぼんやり思い出した。遠い昔、どこかの厨房で見た光景に、誰かがそばにいたことを。何より母が嘘をつく必要なんてないのだから。
過去を知って、彼の愛に浮かれていた自分が、甚だ滑稽に思えた。
伊織さんの人生を狂わせたのは私自身。この結婚だって彼の責任感と優しさから。伊織さんの好きなところだというのがまた皮肉なものだ。
彼のことを思えば身を引いたほうがいい。そう、わかってはいるのに……これからどうすればいいのか、正解がわからなかった。
昨夜から考え事ばかりで、あまり眠れていない。そっと目を閉じると、そのままうとうとと意識を手放した。
◇
「……さ……な」
――ぼんやりとした意識の中、誰かが私を呼ぶ声がする。
柔らかくて、心地良い声色で。
「緋真」
「ん……」
ぱちりと目をあけると、夕陽に染まっていたリビングは、いつの間にかカーテンが閉められていた。
傍には、いつの間にか帰宅した伊織さんが立っている。
「伊織さん、おかえりなさい。あれ、私……」
「ごめん、気持ちよさそうに寝てたから迷ったんだけど。明日は仕事だろうし、このまま寝かせるのもどうかなと思って」
「あ……」
時刻は夜の九時を回っている。随分長い間眠っていたのだと気付き、飛び起きた。
「ごめん……! 寝ちゃってたみたい……すぐご飯用意するから」
「特に用意がなかったみたいだから作ったよ。俺もさっき帰ってきたところだから、簡単なものだけど」
「うそ……!」
「もし緋真もまだだったら一緒に食べよう」
伊織さんは一人暮らしが長く、簡単な料理は作れると聞いていた。だけどこうして彼に作ってもらうのは初めてだった。
「ごめんね……伊織さん、疲れてるのに」
自分は休みだったにも関わらず、出張帰りの伊織さんの手を煩わせてしまったことを、申し訳なく感じる。しかし彼は小さく首を振った。
「これくらい気にしないで。緋真こそ珍しいね、ソファで寝るなんて。疲れ溜まってた?」
「ううん、私は大丈夫……」
昨夜眠れなかったせいだと言って、余計な心配をかけたくない。
立ち上がろうとすると、伊織さんに手を引かれ額がこつんとぶつかった。
「熱はない、か。体調が悪いわけではない?」
「っ、平気だよ……」
突然近づいた距離に、心臓が早鐘を打つ。同時にかあっと頬が熱くなった。
「……あれ、でも顔赤い。やっぱり熱あるのかも」
「そうじゃなくて……」
そう言って、伊織さんはわざとらしく口角を上げる。
そして否定する間もなく、口づけを落とされた。
「んっ……」
重なった唇から、すぐに舌が割り入る。首筋に触れた彼の手のひらが、覆うように輪郭を撫でた。際限なく深まるキスは気持ちが良くて、このままずっとしていたいとさえ思ってしまうほどだ。
「い、おりさん……」
息継ぎの合間に、彼の胸を押し返す。すると伊織さんは、してやったりな顔をして体を離してくれた。
「ああ、ごめん。緋真が可愛くてつい」
「そんな……」
「それに昨日の夜は一人だったから、緋真不足かな」
ああ、まただ。私に優しくするのも、喜びそうな言葉をくれるのも、全部責任感からなのだろうか。そう思うと、途端に重石を飲み込んだ気分になる。
痛みにほんの一瞬顔をしかめると、伊織さんが心配そうにこちらを覗き込んだ。
「……どうかした?」
「う、ううん。そうだ夕飯、作ってくれたんだよね。伊織さんのご飯楽しみだな!」
「緋真」
誤魔化してその場を離れようとすれば、腕をしっかりと掴まれてしまう。
先ほどの甘やかな雰囲気ではない。伊織さんの表情は真剣だ。
「何かあったって顔してる。隠さないで」
「っ……」
「もしかして……また白鷹さんに何か言われた?」
ただ「何でもない」と笑顔を作ればいいのに、今の私にはそれすらできなくて。伊織さんにはすべて見透かされてしまう気がした。
まだ真実を彼の口から聞く覚悟はできていないが、これ以上は隠しきれない。
「……白鷹さん、昨日また教室のビルまで来たの。授業はなかったのに」
「職場まで……? それで、彼女は何て?」
「伊織さんと、別れてほしいって」
「は――」
さすがの伊織さんも、白鷹さんの言動に驚きを隠せないようだ。
だけど、問題はそこじゃなかった。
「……それから、伊織さんの弱みに付け込むのはやめろって言われちゃった」
「弱みって……」
「昨日、お母さんから全部聞いたの。昔のこと」
その一言ですべてを悟ったのか、伊織さんは大きく目を見開く。
「ごめんね、私全然覚えてなくて……昔伊織さんと会ったことも、事故のことも。話を聞いてもまだぼんやりなんだ」
「……いや、仕方ないさ。そんな小さいころの話、記憶がなくて当たり前なんだ」
確かにそうかもしれない。現に小さいころの記憶なんて、ほとんどが断片的なものなのだから。
「……でも、もし私が覚えてたら、伊織さんのこと苦しめずに済んだのかなって」
「苦しめる?」
「縁談も、伊織さんからの申し出だったって聞いたの。だから伊織さんが責任を感じて私と結婚しようとか――」
「違う」
言い終える前に、伊織さんが言葉を遮る。彼にしては珍しく、強い口調だった。
「縁談を申し込んだのは確かにあの事故がきっかけだけど、それだけで緋真と結婚したわけじゃない。実際に緋真の両親からも、何度ももう時効だから気にしないでほしいって言われていたし、本当に形だけの縁談だったんだ」
「え? じゃあ、どうして……」
「単純な理由だよ。緋真と再会して、純粋に心惹かれたんだ。話をして緋真のことを知れば知るほどそう思い始めて……結婚してからだって、ますます惹かれてる」
「ほんと、に……?」
「事故のことは今でも申し訳ないと思ってる。でも、あの日あの場所で出会ったのが緋真でよかった。緋真じゃなかったら、こんな感情になんて――」
伊織さんはそこまで話して言い淀む。
そして、真剣な眼差しで私を真っ直ぐに射抜いた。
「俺は緋真が好きだ。過去のことは関係ない。今の緋真が好きなんだ」
「っ……」
「緋真は、俺のことどう思ってる? 親の立場を考えて受けた縁談だった? それでも構わないから、正直に言ってほしい」
初めて聞いた、伊織さんの本心。ずっと彼の気持ちがわからなかった。
私が負い目を感じないようにしてくれているのはわかる。しかしながら彼の言葉は、信じるに値するものだった。伊織さんの瞳は、ちっとも嘘をついていないのだから。
「私は……」
そして、彼に問いかけられて気付かされた。私だって、自分の気持ちを伝えたことがない。伊織さんの本心がわからなくて、自分ばかりと、怖かったのだ。
「……私も、伊織さんが好き。お見合いで会ったときから、惹かれてたのも一緒だよ」
「本当に?」
「嘘なんかつかないよ。ずっと、伊織さんも私のことを想ってくれたらいいのにって思ってた」
いつもほしい言葉をたくさんくれるのに、「好き」と直接的な言葉をくれないことが不安だった。どこか距離があるのがもどかしかった。私に触れないことで毎晩寂しさを募らせた――それらの感情は、紛れもなく伊織さんが好きだから生まれたものなのだ。
「……なんだ、お互いに一目惚れしてたんだな」
「そ、そうなるのかな……?」
「ああ。こんな風に不安にさせるなら、もっと早く話しておけばよかった」
伊織さんの手が頬に触れる。慈悲を含んだ瞳に、胸がとくんと鳴った。
「もう一度言うよ。俺は緋真が好きで、誰よりも愛しい存在だと思ってる。この気持ちだけはこの先も変わらない」
「……うん。私も伊織さんが好き」
言い切ると、伊織さんの腕の中に抱きとめられる。
そのまま額へ優しいキスを落とし、彼は穏やかに微笑んだ。
「もう遅くなるから、夕飯にしようか」
「そうだね……ありがとう、ご飯作ってくれて」
「どういたしまして。口に合うかはわからないけど」
そう言って、ダイニングテーブルのほうへ手を引かれ立ち上がった。
お互いに言えていなかった気持ちを伝え合うことができた。
誰がどう見ても、今この瞬間は、ハッピーエンドであるはずなのに……。
未だ、胸の奥で何かがざわついている。その正体がわからない以上、伊織さんに話すこともできなくて――そっと、胸の奥にしまい込んでしまった。
コメント
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いやー、23話ついに来たね!! 伊織さんの「好きだ」が過去の責任とかじゃなくて、ちゃんと今の緋真さんへの気持ちだったってわかって、こっちも胸熱になったよ🔥 でも最後の「胸の奥で何かがざわついてる」ってのが気になる……。ハッピーなはずなのに、まだ何か隠れてそうで続きが気になるわ。お互いの気持ちを伝え合えたシーンは本当に良かった!