「あの、君は誰?」
「え、アンタ……え」
不安そうに見つめてくるその澄んだ満月の瞳に私は目を奪われていた。その瞳は、本来なら濁っていて、そこの見え無い狂気を閉じ込めているはずなのに、どうして、そんな綺麗さっぱり洗われたような瞳で私を見ているのだろう。
手に集めていた魔力がそろそろと抜けいてく感覚を覚えながらも、私は、その人、つまり、アルベドではなくて、アルベドの弟であるラヴァインから目が離せなくなっていた。
「エトワール様」
「あ、リュシオル」
そして、私に追いついたリュシオルも私の顔を見て、そして私の足下で倒れている人物を見て顔を引きつらせた。だが、その異様さに気づき、眉間に皺を寄せる。いったい、どうしたのかと。
「りゅ、リュシオル……あ、あの」
「兎に角、落ち着いて。まだ、そうと決まったわけじゃないわ」
と、リュシオルは瞬時に状況を理解して、私の前に立って、守るような体勢をとる。本当に言葉がいらないなあ、何て感心しつつも、私の警戒心は晴れなかった。
(私達を騙そうとしてる?出を伺ってる?そんな、此奴に限って)
目の前のラヴァインは、まるで記憶喪失かのように私達を見ている。本当に純粋にそんな目で見るので、私は訳が分からなくなってしまった。本当に頭を打ったのではないかと。そう思うぐらいに。
「アンタ、何も覚えてないの?」
「えっと、あの、君は俺のこと知ってるの?」
「私のこと騙そうとしている?」
「ごめん、話通じてないかな?」
どちらも一方通行、噛み合わない。
いいや、もう記憶喪失だ、と認めてしまった方が楽になれるのだろうが、此奴がやってきたことを考えたとき、本当にそれを信じて良いのか分からなくなってしまった。現に、未だに種明かしをしずに私に絡んできているところを見ると。
(ううん、でもボロボロの状態で打ち上げられているんだし……そうだって考えた方が、良いのかも)
じゃなきゃ、こんな手の込んだこと。
「はあ、分かったわ。百歩譲って、信じてあげる」
「ええっと、ありがとう?」
ありがとう? え、今、此奴ありがとうって言ったの?
私の頭の中は、少しパニックを起こしていた。何だって、あのラヴァインが、私に向かってありがとうと感謝の言葉を述べたのだから。私の反応は可笑しくないはずだ。
(調子狂うなあ……というか、本当に記憶喪失?)
まだ、疑わしい。これまでの行いのせいだ。
でも、さすがに純度100%の瞳で見つめられるので、可哀相になってきて、私が折れるしかなくなった。本当に、百歩譲ってのことだ。
「アンタ、それで何も覚えていないわけ?」
「そういう君は、俺の事知ってるみたいだけど」
「質問を、質問で返さないでよ。矢っ張り、アンタ記憶があるんじゃないの?」
記憶を失っていても、元からこんな性格なのだろうか。だとしたら、たちが悪すぎる。だが、アルベドより年下で、私よりも年下? なのかもしれない、ラヴァインに大人げないことは出来ない。ここは、大人にならないと、と。
だが、思っていた反応とは違い、ラヴァインは記憶があるのかと聞いたとき、悩ましい顔をしていた。その顔は、作ったものではないだろうと、すぐに分かった。本当に、記憶喪失なのではないかと。
自分の記憶を思い出すように、ラヴァインはうーんと唸っている。こう、ただ黙っていれば可愛い部類なのだが、口を開くと、アルベドと似ていて煽り癖120%ぐらいで対抗してくるのだから、本当に達がわるい。
(まあ、それはさておいてだけど)
「何か思い出せた?」
「いいや、何も」
「というか、アンタ何でここにいるのよ。本当に漂流してきたわけ?」
「……矢っ張りさあ、その言い方からすると、俺の事知ってるんだよね。俺は、記憶喪失って奴らしいから、俺の事教えてよ。思い出すかも知れないじゃん」
「何で、アンタに上から言われないといけないのよ」
腹立つ、意味分かんない。腹立つ。
口に出したとおりで、記憶喪失と良いながら態度は大きいし、人に頼む態度ではないしで、最悪だ。けれど、彼の瞳が揺れていて、本当は記憶を失ったことに対して、不安感もあるのではないかと思ってしまった。本当に、思ってしまった訳で。
ここまで来てしまえば、もう私の負けなのである。気になったことは放っておけないタイプだし、周りの人曰く、お人好しらしいから。
でも、此奴に本当のことを話したらどうなるか。瞬間的に、全て思い出して、襲い掛かってきたら……そんな不安は拭いきれない。
私は、後ろにいるリュシオルと目配せした。絶対に口を外さないようにと。まあ、リュシオルの事だから、そんなことしないだろうけど。
「名前は、覚えてないの?」
「うん、何も思い出せない」
「笑顔で言うことなの?」
「不安な顔しておいた方が良い?」
「別にいい。面白くもなんともない」
面白さは、別に求めていないが、不安なのか、今の状況を楽しんでいるのか分からなかった。前から、よく分からない人だったから。
(ラヴァインのこと、よく知らないからなあ……)
偽名で私の前に現われて、敵か味方か分からないような思わせぶりな態度をとって。どうして、初めてであったとき、私は此奴をアルベドの親族だって見抜けなかったんだろうか。それが自分でも不思議でたまらない。
似ているというのは何となく雰囲気で気づいたのだけど、それでも、全然違う人に見えて、ラヴァインはラヴァインって言う個体だと思っていたから。
「何、人の顔ジロジロ見て」
「別に」
「俺に惚れた?」
「はあ?いったいどうなったら、そうなるのよ。なわけないじゃない、私には――――」
「私には?」
言葉が詰まった。詰まらせる理由なんてもう無いのに。もう『元』ではなくて『今』彼なのに、どうして、その言葉を言えなかったのだろうかと、後悔した。今からいっても遅くないけれど、ラヴァインに復唱されたので、言う気が失せた。
「何でもない」
「そう?ああ、でも、俺は惚れたかも」
「はあ?また、何言って」
「だって、君の顔好きだもん。俺の好みって感じ」
「……」
「引かないでよ。純粋に誉めてる。下心とか無くて……女神みたいな?」
と、ラヴァインは笑った。
女神、何て言葉も此奴の口から出てくるのかと、もう何が何だか分からなかった。此奴は、今、記憶を失っている。だから、今ある情報で、言葉で喋っているんだろう。今は、ラヴァインは『ラヴァイン』という存在を忘れているのだから、ただの少年に過ぎない。
そう思うと、可哀相にはなってきた。
(もし、此奴が記憶があったら……ボロボロだし、拘束は出来ただろうけど……アルベドの居場所を吐いて貰おうと思ってたのに)
色々思うことはあった。それに、ラヴァインじゃなくてアルベドがここにいたら……アルベドが記憶喪失だったとしたら、それはそれでまた大問題にはなるんだけど、それでも何というかラヴァインだったかあ……何て、肩を落としている自分もいる。
私は、心の底から、アルベドに会いたいと願っているのだ。勿論、本当に勿論、リースとは違う感情。そんな二股するような人間じゃないし、それがどれだけ非道なことか分かっている。二股して良いのは、二次元だけだ。いや、二次元でもそれはむかつくキャラ認定為れてしまう。
「それで、俺の名前は?」
「は?」
「だから、俺の名前、何て言うのかなあって。ほら、君は、俺の名前知ってるんでしょ。教えてよ、それだけでも」
「……」
「教えて」
と、子供がお菓子を強請るように言うので、私は大きくため息をついた。
ここで本当のことを言ってもよかったのだが、これまでにされてきた仕打ちを考えたら、意地悪しても良いんじゃないかと、悪意が湧いてきた。だから、私は、あえて、わざと、此奴が口に下名前を言ってやる。
「ヴィ……」
「ヴィ?」
「そう、それがアンタの名前」
「嘘だ」
「嘘じゃないわよ」
「嘘ついてる顔してる」
ラヴァインはそう言って笑う。
何てめざといんだ。本当に、記憶喪失か? と何回でも疑ってしまう。
私は、もう一度ため息をついた。
「そうよ。でも、アンタがそういったの。だから、アンタは思い出すまで、ヴィよ」
「はいはい、分かったよ。可愛いお姫様。で、お姫様の名前は?」
「…………エトワール」
「エトワールか、いい名前。君にぴったりなキラキラ輝く星のような名前だ」
そう言って笑ったラヴァインの笑顔は無邪気な子供そのものだった。
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