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テラーノベルの小説コンテスト 第4回テノコン 2025年1月10日〜3月31日まで
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第六章 天竺葵




































































































青城烈 孟冬


















































ここに来てからというもの、俺の部屋は煙草臭くなった。


体臭も少しだけ煙草の臭いが漂うようになり、俺が住んでいた場所から持ってきた香水で紛らわせるしかなかった。


この香水が無くなる時に、丁度この家を出ていれば良いなと心の底から願っている。


あと四ヶ月。


卒業したら白金台駅近くの小さなマンションに住むのも良いかもしれない。


俺はもう進学しないで就職したい。


だが、清羅が進学するならば俺も自ずとその選択を選ばざるを得なかった。


ハンガーに掛かったパーカーをとり、袖を通す。


パーカーにも香水を振りかけ、親の身分証明書を待つ。


これは犯罪だ。


でもこれを無くせば俺はどうなるのだろう。


溜まった汚物を抜き取るためにやっているのに、それが出来ないとなれば、清羅に頼るしかない。


自分でも情けないのは分かっている。


でもそれが無いと、俺はどんどんと堕ちていく気がしてしまうのだ。


手に掴めないものを欲したところで落ちぶれるのは誰が見てもそうだ。


だから俺は ──。


音を立てないように扉を開け、清羅の家族が寝静まっている間に外を出る。


幸いにも、清羅の家族の寝室は二階にあるので一階にいる俺に気付かなかった。


周りを見渡せば、このマンション以外オフィスビルばかりだ。


これにもあの女は夢を抱いていたようだが、いざとなれば毎日毎日この光景を見て新しい何かを求めるようになってしまう。


それはまるで、空っぽのものを埋めたい未熟者のように。


すれ違う人も数人程度しかおらず、コンビニに入っても店員は寝ていた。


夜中の二時だからそりゃあ、まぁ眠くなるよなと思いつつ、なぜ気づかないのかと疑問を感じる。


「すみません。」


「….ん?あっ、すいません。」


やっと起きたようだ。


「百五十五番ください。あと、ホットドッグもお願いします。」


「かしこまりました。年齢確認出来るものはありますか?」


勘の鋭い店員だ。


いつもは画面表示だけで終わったのに。


ポケットから身分証明書を出し、提示した。


身分証明書と俺とを交互に見て、首を傾げる。


なるべくこの髪型や服装に似せた気がするが、バレてしまったか。


「….画面に表示されたものを押してください。」


いつものように画面に二十歳以上ですかと書いてある文字が表示された。


良かったと胸を撫で下ろし、押した。


店員はすぐに俺に興味を抜かして、ショーケースからホットドッグを取り出す。


「お客さん、本当はその年齢じゃないでしょ。」


やばい。


鼓動が鳴り止まなかった。


ここで終わってしまうのだろうか。


「まぁ、別に警察を呼ぶわけではないすけど。」


「….何で。」


驚きのあまり口から漏らしてしまった。


「だって、手が若々しすぎますもん。気づきませんでした?」


はっとした。


確かに手が身分証明書通りの年齢の手と一致しない。


身分証明書は俺を三十代だと偽装させてくれるが、手はそう誤魔化せない。


この人はよく見ている、でもそこが癪に触る。


「俺、損得嫌いなんですよ。貴方を警察に突き出したところであんまり得無いですし。あっ、自首した時は俺の名前を出さないでくださいね。」


小っ恥ずかしそうに耳裏を掻いた。


「分かってます。」


初めてこんな社会不適合者のような者に感謝をした。


いや、社会不適合者というよりも順風満帆を飾ってしまいそうだ。


適当なものは適当で済ませるし、損か得かで物事を判断してしまう賢い性格。


俺には足りないものだ。


──ありがとう。


コンビニから出て、マンション近くの喫煙所で煙草を吸う。


徐々に浮遊感が視界と身体とで交わっていく。


一服、一服、喉に通る順に濁らしさが生まれ、全身が重くなり、意識が朦朧とする。


慣れているからか前ほど咳をする回数は減ってきた。


煙草は俺を現実世界から遮断させてしまうツールのような存在だと思う。


それが楽で楽で一本一本を追加させる。


空気の流れと共に煙草の煙も消えて、どこかへと飛んでいってしまう。


この時だけ俺は自由になれる。


徐々に意識が俺の輪郭から抜け出して広がっていく。


自分はそこにいない者なのだと自然と錯覚する。


喫煙所の壁に寄りかかり、痰を地面へと吐き出す。


最初こそ汚い、下品だと感じていたが何ヶ月も経てば当たり前の行為ヘと変わっていった。


三年時から煙草は吸い始めた。


あの男から一週間の罰として煙草を吸い続けろと命令され、倉庫で初めてを吸った。


初めは慣れないものだ。


咳はするし、発熱は出るし、息切れは起こすしでとても精神的にも肉体的にも参っていたと思う。


でも俺を理解してくれるように段々と手を引っ張り、連れ出してくれた。


そこから依存するように煙草と清羅だけが俺の全てだと思うようになった。


俺を救済してくれたのはその二つのものだけだった。


涙が出そうになる。


思い出すたびにどれだけ自分が心の中の天秤を保っていたのか分かるから。


今はまだ平行だ。


失いつつもない。


なのに不安が波のように押し寄せてくる。


波蝕を感じるように涙を流した。


空にはもう星がなかった。


俺の手元から何かをたくさん奪っていき、いずれは無くなってしまうような虚しさと寂しさがそこには在る。


嫌な予感がじんわりと血のように滲む。


抜け出してしまおう。


煙草を吸い殻に捨て、マンションへと戻った。


この選択が間違っていなければ良いなと慎ましく願う。


暗闇の中、スマホのライトを照らしながら手を洗った。


──そこで何をしているのかしら。


左耳から微かに聞こえているのか聞こえていないのか分からないような状態で後ろを振り返ると、清羅の母親が立っていた。


バレた。


バレた。


さわりと首筋を撫でられたように鳥肌が立った。


目眩が酷く、どんな表情をしているのかさえ分からない。


奥の部屋の明かりでようやく想像がつくくらいだ。


「前々から伺ってたのよ。貴方が夜な夜な出歩いているのを。」


「少し夜食を買いに行っただけです。」


冷静を保つ。


「あら、そうかしら。じゃあこれはなに?」


清羅の母親は右側に視線を落とした。


そこには煙草がある。


ポケットに入れおくべきだったと後悔した。


煙草を手に取り、俺の元へと歩み寄る。


まるで鉄壁が俺に迫ってきているようだった。


溢れる喪失感にもっと視界が悪くなる。


あの女よりも大胆で、ずる賢くて、何よりもあの笑顔。


清羅に対して失望した時のような苦しさが襲う。


清羅の母親がこちらへと近づくにつれて後退りしていく。


「まさか、人々から羨望され、有望視される元御曹司の貴方が煙草を吸うなんて私も信じがたかったわ。ずっと信じていたのに。」


裏切ったのはそちらの方だろうとは言えなかった。


信じていたという言葉は親しい間柄で使う言葉だ。


あまり関わらない他人のような存在の人に言われたくない。


「こんなことを清羅が知ったらどう思うかしら。」


「清羅清羅って、貴方は清羅のことを自分を仕立てる玩具としてしか見ていないではないですか。今更そうやって庇ったところで、清羅がいざという時、味方してくれるとは限りませんよ。」


敵対心を露わにすると、プッと一つ吹き出して、大笑いした。


以前の姿からは考えられないほどの崩れた侮り方だ。


「烈くんは、清羅と違って面白みがあるわね。でも、これはそういう笑いではないの。」


「….そうですか。」


「馬鹿にしていると言えばいいのかしら。私の想定を反した面白みと言うべきかしら。どちらにせよあの子は玩具ではないわ。」


玩具ではない。


なら、何だと言うのか。


「私を引き立てるモノよ。子供なんてそんな程度なの。」


怒りが湧く。


所詮親とはこの程度だった。


自分を引き立てるためだけに存在してつくる生き物でしかなかった。


清羅の母親は煙草をポケットにしまい、俺の手を引く。


振り解けないほどの力が込められた。


倉庫に入り、ゴミ類の中に俺を放り投げた。


「忌々しいのよ、あの女の子供なんて。あの男が反対すれば今頃こいつなんて引き取らなかったのに。」


あの男とは清羅の父親のことだろう。


机に置いてある二リットルほどのペットボトルを古びれた湯おけに入れる。


思えばこの倉庫はナイフやら教科書やらゴミ箱やら不自然なものが置かれていた。


俺の閉じ込められた小さな部屋よりも大きいが、監禁を連想させる。


「気づいたかしら。ここは幼少期、あの五人を閉じ込めていた部屋なの。今のように肝が座っていなかったから正すためにここに入れたのよ。だから、私も貴方を正そうと思って。」


湯おきを雑に置き、俺の頭を鷲掴みにする。


抵抗が出来ない。


ここで助けを求めても無駄だ。


頑丈なコンクリートで出来ているためか、声がリビングの方へと響かない。


それに加えて防音もされている。


「….ふざけんな、この糞婆。」


睨みつけるとピクっと突き動かされたように勢いよく顔を水に当てた。


「死ねばいい。死ねばいい。死ねばいい。死ねばいい。死ねばいい。死ねばいい。死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね…。」


呪文のように唱えながら何度も水の中へと入れる。


これだけやっても顔色一つ変えないのだから、サイコパスと総称すべきなのだと思った。


隙をつくる。


空いた手で湯おきを持ち上げ、顔にぶっかけた。


髪から垂れる水を眺めながら、少しずつこちらを向く。


化粧は崩れ、眉間に皺を寄せている。


──殺されるのではないか。


そう考えた時には遅かった。


清羅の母親は掴み掛かり、俺の頬と目、鼻を殴りつける。


「恩を仇にするだなんて、清羅は何でこんな子に惹かれるのかしらね。本当に甚だ図々しい。本当に殺してやろうかしら。そうしたらあの子は絶望で私だけに縋るようになるわ。」


薄笑いを浮かべ、俺の首に手をかける。


徐々に力を込めていくにつれて意識が遠のいていく感じがした。


最後の視界に映る人物がこんな奴だなんて最悪だ。


清羅ともう少しだけ話をしておけば良かった。


そうしたらもっと色んな所へと行けたのかもしれない。


永遠を共にする、その約束が結ばれることはないのかもしれない。


今まで言ったことは全て綺麗事だった。


目を閉じる。


もういい、早く死んでくれ。


──お母様、何をしていらっしゃるのですか。


咄嗟に目を開けると、清羅が母親の手を掴んでいた。


「これは誤解よ、清羅。」


「今、烈を殺害しようとしていましたよね。なのに、誤解?ふざけないでください。」


曇る視界から微かに見える清羅は初めて母親に抵抗しているように見えた。


俺は起き上がる気力もなく、そのまま二人のやりとりを傍観していた。


「お母様、あとで私が罰を受けますから、烈はここから出してあげてください。」


何でだ。


何故清羅は俺のような成り下がった者に赦しを与える。


嬉しさと痛さが混じり合う。


でも救わなくて良かったという無念の方がずっと強いような気がする。


清羅は俺を起こし、優しく宥めてくれた。


清羅の母親が俺を睨みながらも首についた汚れを取りたいと思った。


今は俺を救ってくれなくていい。


今は俺につく菌を取り除きたい。


「清羅、大丈夫だからお風呂に入ってもいいか。」


「いいけど。なんで?」


「気持ち悪い身体を綺麗にしたい。だから離してくれ。」


理解できないという表情が出る。


腕を離すと同時に、重りが乗る身体に抵抗して起き上がった。


今は体調不良など言ってられない。


とにかくこの汚い、穢れた身体を綺麗にしたいのだ。


壁にも寄りかからず、お風呂に入るまでは何も触れずに足早に歩く。


服を脱ぎながらパジャマを洗濯カゴに入れた。




































































































柏柳清羅 孟冬


















































昨日の出来事を気にしてか、烈は学校に行かなかった。


風邪でも頑なに行こうとした烈に限って、ある日突然行かなくなるなんてあり得ない。


よほどあの事を気に病んでいたのだろう。


部屋からは出てこないし、朝ごはんを食べようと言っても反応がなかった。


放課後になってもそれは変わらずだ。


特Aの担任が家へと来たが、そこまで変わりはしないだろう。


そして当事者の母は殺人未遂を犯しておきながら大して気にしていなかった。


夕方は烈の父親がいる神戸まで行ってしまったらしい。


家に取り残された私と先生は烈の部屋をノックした。


「烈、佐藤先生が来たけど。大丈夫?」


呼びかけても応答がない。


今日はだめそうだ。


諦めがついた時、再度担任がノックする。


「青城さん、柏柳さんが板書してくれたノートとテスト対策の要点をまとめたノート、部屋の前に置いておくので、時間があったら見てみてください。」


意外だった。


先生は無理に干渉せず、救わずに寄り添うことだけを選んだ。


それを思うと、私は失言をしてしまった。


大丈夫かなんて聞いたところで大丈夫じゃないから部屋にいると突き放されるだけ。


烈にとって悪影響を及ぼす可能性がある。


「先生は、お優しいんですね。」


「えっ?なんでですか?」


驚いてこちらを向く。


「普通は先ほどの私のように安否を確認して、終わりなだけですから。私は優しさをはき違えていたようです。」


「….それでも青城さんは、柏柳さんからの言葉の方が救いになると思います。」


「そうなのですか?」


「えぇ。やはり身近な人からの言葉はどんな言葉であれ、影響するのです。それが毒になることもあるし、花になることもある。先ほどの柏柳さんが聞いた安否確認もご本人にとったら、とても嬉しいかと思いますよ。」


先生は軽やかに微笑んだ。


私のクラスの担任や大人達とは違う芯を持つ、強くて勇ましい人。


誰かに従うのではなくて自分が従わせる立場にいるような人。


「….少し紅茶を飲んでいきませんか。」





少し古びれたティーカップにセイロンティーを入れた。


赤橙色の中にどこか気高さと切なさがほんのりと混ざり合い、フローラルの香りを漂わせる。


鼻で嗅ぐと、思わず胸が高鳴りそうになってしまうほどだ。


おまけに皿にオレンジを添えて持って行った。


「ありがとうございます。とても滑らかな香りですね。」


「そうですね。私も妹達も大好きな紅茶なんです。」


いただきますと手を合わせて一口飲んだ。


「これは凄く美味しいですね。今を思わせるような味と暖かみが心をほってりさせそうです。」


横にあるオレンジも食べてまた同じようなことを言った。


「柏柳さんのお家には家政婦がたくさんいるのですね。」


「家政婦ではなく、使用人です。私の父が雇っています。」


「それは失礼しました。ですが、とても羨ましいです。」


先生は俯き、呟いた。


「私は柏柳さんほど雇えるようなお金持っていないので。」


「それでも先生はいつも幸せそうではないですか。」


特Aのクラス担任であるのに、生徒と積極的にコミュニケーションをとり、ごく稀に大きなミスをする。


他クラスの担任が犯罪紛いなことをしたときも、身を挺して生徒を守っていた。


それのどこが幸せではないと言うのだろう。


優しさをはき違えた私と幸せをはき違えた先生とでは、差が百間以上も生じている。


私は先生が羨ましい。


「人には見えない部分もあるのですよ。柏柳さん。表面だけで判断してはいけません。」


先生に裏面などあるのだろうか。


だがそれもまた事実で、然りであるのかもしれない。


「それもそうですね。」


「貴方や青城さんにはまだまだ人生経験が足りないですね。お二人は互いに理解しないと、生きていけないのかもしれません。」


見透かしたような目が怖い。


先生の言葉は意味がわからない。


それがわからないのはまだ大人になりきれていない子供だから。


「生きていけなくとも、死ぬことは二人で出来ます。でも先生にもお辛いことがあったのでしょう。」


「….それはどうでしょうか。」


私と同じ表情、言葉、感情。


「冗談ですよ。もっと気楽に話してください。」


笑顔をつくった。


「そうですね。いずれにせよ、人には人のことをわからない場合がよくあるので柏柳さんもお気をつけてください。」


柏柳さんもという言葉が引っかかる。


やっぱり先生もお辛い経験があったのだろう。


そうでなければそこを強調する言葉をつくらない。


「気をつけます。」


「あと、進路についての紙も後で青城さんに渡しておいてくれませんか。これの提出期限が今日中だったのですが、私にも外せない用事がありまして。あと一時間後に用事があるので、お願いします。明後日までに出してくれれば大丈夫ですから。」


鞄から紙を出した。


これは私も今朝、学校で記入したものだ。


志望校ではなく、どんな職につきたいかの質問だった。


私は医者と書いたけれど、これは紛れもなく嘘偽りである。


本当は医者なんてなりたくもないし勉強だって大学だって、高校だって行きたくない。


それでも親から解放されるために日々努力している。


「分かりました。持っていきます。」


「ありがとうございます。ではまた明日、お伺いします。」


名残惜しい。


椅子から立ち上がり、帰ってしまった。


先生は寄り添おうとしたのではなく優しい正義を振りかざして、捨てたのだろうか。


それならば私と同じだ。


一気に失望した。


頭が混乱する。


優しさをはき違えたのは私だけか、先生もなのか。


杞憂だったら良い。


それならば、また幸せの世界へ入り混むことが出来るのだ。


紙を持ち、烈の部屋に向かうと、ノートはまだ置いてあるままだった。


昨日から異常な潔癖を起こしている。


他人が触れた物には触らず、自分が触れた物だけを触っている。


お手洗いや歯磨きはせずにずっと部屋に篭るだけ。


──この紙、書いてくれるかな。


不安が募るまま、部屋の前におき、スマホでメッセージを打った。


『部屋の前に進路の手紙置いておいたから、明後日までには記入しておいてくれると嬉しい。あと、何かご飯はいる?手袋して持っていくけど。』


送信したあと、すぐに既読がついた。


『ありがと。なるべく書くようにする。コンビニのパンだけでいい。電子レンジとフライパンは使えない。』


『分かった。』


スマホを閉じ、コートを着る。


烈のすきなパンなら大体把握している。


時間を確認して、コンビニへと向かった。





机に血が垂れた。


母からの圧力で、問題集を三十日間以内に終わらせられずにはいられなかった。


今頃、家族は眠っているだろうか。


私も寝たい。


でも寝れない。


少しでも期限を過ぎれば、待っているのは倉庫での暴行か、凶器での刻みである。


努力していなかった証拠として倉庫での暴行の方が確率は高いと思うが。


ティッシュを鼻につまんで入れ、珈琲を飲んだ。


──またか。


ドンッと高い音を立てて椅子から落ちる。


一時間の間に何度も繰り返すこれは、重症の病気だ。


病院に行きたいが行かせてもくれず、GPSで常に監視される状況で秘密裏で行くことは許されない。


児童相談所にも連絡したが、対処してくれない。


一度、このような状況から何としてでも逃げようとGPSを切って、沖縄まで家出しようとしたことがあった。


結果、それは叶わずに家へと連れ戻されて、当たり前のように罰を受けた。


探偵やら警察やらを上手く利用したらしい。


本当に権力とは、人を地の底まで追い詰めてしまう。


お金があれば誰かに依存しなくてもいいし、何かに執着することも、頭を悩ませることもない。


だけれどそれは良い使い方の場合のみ、適用されるのだと思う。


母や父の使い方は良くない。


いずれ破産するだろうと思われるほどの散財を繰り返している。


何でこんな所へ生まれてきたのだろう。


お金が無くてもいいから幸せになって、幸せな暮らしがしてみたかった。


ティッシュを入れても漏れてしまい、またもう一枚を鼻につまんで入れる。


問題を解き続けると共にくる吐き気と目眩、頭痛。


ここ数日、受験も迫っているからかやりすぎた。


なのに成績は落ちていく一方を辿る。


学校の授業は常に眠く、酷い時はトイレで嘔吐する時がある。


生きるのが辛い。


何だか、知り尽くす病気全てが重なっているような気がするのは気のせいだろうか。





少し鼻を綺麗にしようとリビングに行った。


蛇口を捻り、水を出す。


洗うと排水溝の中に大量の血が入っていく。


今日も明日も、詰まりが激しくなりそうだ。


これでまた怒られてしまったら、また鼻血の量や、吐き気の回数が増えそうで焦燥感に駆られる。


去年と比べて暴行される回数は減ったけれど激しさは増していくばかりだ。


前回、暴行を受けたのは二日前の、母が烈に殺人未遂を犯した時。


烈がお風呂に入っている間、私は目立たない場所に傷をつけられたり、拳を振り上げられて、鞭で至る所を叩かれた。


烈への怒りを私で晴らしたかったのだ。


──貴方のせいであの庶民は生意気になったのよ!


私のせいじゃない。


そんなことは口が裂けても言えなかった。


回想させながら、ティッシュで鼻を拭く。


再度、鼻にティッシュを入れてグラスに水を入れた。


飲み干すと、今までに無い吐き気が身体を襲った。


吐きたい、吐きたい、吐きたい、吐きたい、吐きたい、吐きたい、吐きたい、吐きたい、吐きたい吐きたい…。


その時、グラスが割れる音と吐き出す音が交差するように鳴った。


ああ、これ。


アルコールが入ってる…。


私は本当の愚か者になってしまった。


これは誰にも見られてはいけない。


例え姉弟でも、烈でも ──。


だけれど、もうそれは手遅れだったようだ。


誰かが私の横を通り過ぎる。


「れつ….」


呟いた。


こんな夜中にどこに行くのだろう。


壁に寄りかかりながら顔を覗かせた。


そこには二日前のようにお風呂に入ろうとしている烈の姿があった。


「烈、お風呂入るの?」


問うと、こちらへと振り返らずに、そうとだけ答えた。


「シャンプー、無いでしょう。入れ替える?」


「俺がやるから良い。」


「….また夕方、ノート部屋の前に置いておくね。」


「うん。」


以前にも増して、徐々に心細く貧弱になっている。


抱きしめてあげたいが、潔癖をもつ烈はそれを鬱陶しく感じるだろう。


母と烈の父親の不貞関係が発覚して、私たちの関係は薄くなり、繋がっていくようになった。


全ては母と烈の父親が悪いのだ。


何も心配はいらない。

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