「アスさん・・・」
久しぶりに見たアスさんは、やっぱりイケメンで、いつも通りに優しい笑顔を浮かべていた。
「透子さん、良かった。間に合って・・・ゴボッ」
アスさんの口から、咳のようにして空気と一緒に沢山の血が溢れ出て来た。
「やった!死んだぞ、アイツ!馬鹿だ。こんなに上手く行くなんて!」
通りの向こうの方から、ミヤマさんの声が聞こえた。大きな声で興奮して、凄く嬉しそうに笑っている。
「煩いよ!これでもう気が済んだでしょ?帰るよ!」
そんなミヤマさんに対してだろう。女性の怒った声も聞こえて来た。奥さんだろうか。
続けて大きな羽が羽ばたく音が、二つ重なって離れて行く。
「透子さん・・・」
苦しそうにアスさんが私に言った。
「アスさん、喋っちゃダメです。止血しないと」
私はそう言って、アスさんの刺された腹部を見た。赤く染まったスーツの中にナイフによる裂け目が見える。溢れ出る血の量は物凄く、とても一つの体から出て来た量だとは信じ難い。
アスさんは、私の手を握ってきた。とても冷たい手だった。反対の手も添えてくる。そして、私に小瓶を握らせた。
「・・・」
アスさんが、聞き取れない程小さな声で何かを言う。
「聞こえないよ。後で聞くから、怪我治してから聞くから!」
泣きながら言う私の顔を見て、困ったように笑う。その笑顔が、いつかの笑顔と同じで、私はまた涙が出て来た。
アスさんが、私の髪を少し掴んで引っ張る。手のひらを自分の口の横に添えて、内緒話をする様な格好をした。
私は耳をそこに寄せて、アスさんの声を聞いた。
「・・・・・」
「・・・え・・・」
伝え終わると、笑顔を浮かべて、そして、ガクッと脱力した。
アスさんの体が冷たくなる。冷たくなって、どんどん縮んでいく。地面に広がった血の海も一緒に縮む。縮んで縮んで、小さくなって、最後には、小さなスズメの体が残った。とても冷たくて、動かないスズメの体。
私は、そのスズメを掬い上げて胸に抱いた。
あの時のスズメだったのね・・・。
その後、救急車を呼んで、先輩と、向かいの歩道でうずくまっていた雅彦(私達が揉めているのを見つけて、助けようとしてくれた所を、ミヤマさんに切り付けられたようだ)を運んで貰った。2人共大事には至らず、その日のうちに家に帰る事が出来た。
日を改めて、私とお母さんと和樹とで、先輩の家と雅彦の家にお詫びの挨拶をしに行った。
私と先輩との交際に関して、和樹と言い合いになり喧嘩になった。それを止めようとした雅彦が巻き添えを食って怪我をした。
そういう筋書きで。
ナイフで誰かを刺した、という事は、その場にいた4人だけの秘密という事で落ち着いた。
だけど・・・。
「別れて下さい」
先輩のお母さんからそう言われた。
「何言ってんだよ、母さん!」
先輩は反抗してくれた。
「調べたんですよ。2年前にも同じような事があったんでしょ?透子さんとお付き合いした男の子が怪我をしたって」
先輩のお母さんは、そう言って和樹を見た。
「うちの子も、そうなる前に別れてもらいたいの」
私は、頭を硬いもので殴られたような気がした。
2年前・・・。
そうだ。2年前。私は・・・。
その後の会話や行動は、はっきり記憶に無い。ただ、先輩と先輩のお母さんが「透子ちゃんは悪く無いよ!」「礼央!殺されてもいいの!?」と言い合っていたような気がする。
うちのお母さんがひたすら頭を下げて、和樹と私がそれに習って頭を下げて、どちらも十分な納得を得る事なく先輩の家を後にした。
お母さんは、帰り道を歩きながら、私の頭を抱いてくれた。何の言葉も無く、ただただ抱いていてくれた。
対して雅彦の家では、
「雅彦が納得してれば、親の私達は何も言うつもりはないですよ。今まで通りに宜しくね」
と、温和な対応を受けた。
「と言うか、そもそも俺は何もしていないし、カラスに引っかかれただけだから」
そう言う雅彦は、額から左耳に掛けてザックリと切傷を負っており、何針か縫っていた。
「でも、助けようとしてくれたじゃない」
そう言う私に、
「透子が無事なら、それで良い」
と、素気なく返された。いつも通りの無表情で。
それから学校に行くと、1週間もしないうちに、先輩は留学をしてしまった。アメリカの高校で、大学もそのままそちらの方を受験するという話だ。
私との交流は、だった一度の通話だけ。
「透子ちゃん、ごめん。俺、親を説得出来なかった」
「礼央先輩、良いんです。こちらこそ、和樹の事、ごめんなさい」
「何発か殴られるのは、覚悟してたんだ。でもここまでとは思って無かった。透子ちゃん、俺透子ちゃんの事、ホントに好きなんだ。最後まで守ってあげたいのに、出来なくて不甲斐ないよ。親がホント心配してて。俺、親、捨てられない・・・」
「良いんです。良いんです!私こそ、私こそ・・・捨てられなくて、ごめんなさい」
私も、先輩の事が好きなのに、あんな事になったと言うのに、それでも和樹を捨てられない・・・。小さな頃から一緒に育って来た、兄の様な大事な人だから・・・。
二度目なのに・・・。