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低気圧
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第3話 俺を刺した兵は
「生きて、戦場を離れたらしい」
岐雲は、窓の外を見たまま言った。
「お前が白い光と共に消えた後、その兵は捕らえられた。武神を傷つけた者として」
斬月は、続きを促さなかった。促さなくても、岐雲は低い声で続けた。
「民の間で、天罰への恐怖が広がったんだと。このままじゃ祟られる、武神の怒りが下る、って。……その恐怖を鎮めるために、そいつは」
岐雲はそこで、言葉を切った。拳が、膝の上で固く握られている。
「天への生贄として、捧げられた」
処置室が、静かになった。
斬月は、何も言えなかった。
怒りも、悲しみも、すぐには出てこなかった。ただ、あの男の顔だけが浮かんだ。
剣を握ったまま固まっていた顔。
「……え」と震えた声。
刺した直後、誰よりも動揺していた男。
あれは、恐怖を知らない敵兵ではなかった。
自分と同じように、怖かっただけの人間だった。
「……俺は」
声が掠れた。
「俺は、あいつを恨んでいない」
岐雲は何も言わなかった。ただ、拳をさらに強く握っていた。
「天罰なんて、望んでいない。俺は、そんなもの、望んでいない」
言葉にするほど、胸の奥が軋んだ。
自分は、死んでなお「武神様」と呼ばれ、祀られ続けている。
相手は、生きていたのに、自分を傷つけた罪人として、死んで捧げられた。
同じ戦場で、同じように怯えていたはずなのに。
「……悪い」
岐雲が、ぽつりと言った。
「調べなきゃよかったって、今思ってる。でも、お前が聞くなら、隠したくなかった」
斬月は、首を横に振った。
「知りたかった。……知って、よかった」
嘘ではなかった。
*
その日の夜、斬月は一人、処置室の窓辺に座っていた。
外は暗く、灯りの色が水面のように揺れている。
景陽が様子を見に来て、何も言わずに毛布を置いていった。
斬月は、それにも気づかないほど、あの男の顔を思い出し続けていた。
もし自分が刺されていなければ。
もし自分が「武神様」と呼ばれる立場でなければ。
あの男は、今も生きていたはずだった。
指先が冷たい。
窓の外の暗闇に、自分の顔がぼんやりと映っている。
その顔が、誰かに祈られ、畏れられ、そして誰かを死なせる顔なのだと、初めて実感した。
「……俺は、何になるんだ」
誰もいない部屋で、そう呟いた。
答える者は、いなかった。
コメント
1件
うわ……重い、でもすごくいい回だった。斬月が“武神様”じゃなくて一人の人間として、自分を刺した兵の末路を知ってしまった苦しみが、じわじわと伝わってきた。あの兵もただ怖かっただけの人間だったって気づくところ、そして「天罰なんて望んでいない」って繰り返す台詞、心に刺さるよ。自分が祀られる存在であることで、誰かを死なせてしまった。その理不尽さと罪悪感が、とても丁寧に描かれてた。最後の「俺は、何になるんだ」も、これからの斬月の在り方を考えさせられる。