クイネが頭のコブを押さえながら、肩を落としている。
「お恥ずかしい所を客人にお見せてしまい、すみませんでした」
シュキュウが柊也達に対し、申し訳ないと必死に何度も頭を下げた。傷口を舐め倒され、恥ずかしさで緊張がピークに達し、少しだけ意識の飛んだシュキュウが意図せず夫の後頭部に頭突きを喰らわしてしまったからだ。
おかげでクイネは我に返り、慌てて脚を完璧に治してから口を離したのだが、ルナールの不信感たっぷりの視線が痛くてしょうがない。何をしてしまっていたか彼にだけはバレている事が嫌でもわかり、クイネは少しだけ居心地の悪さを感じた。
「いえ、僕らはいいんですが……傷は平気ですか?」
「えぇ、この通り。クイネさんはこれでも医師なので」
柊也の問い掛けにシュキュウが笑顔で答えた。その顔は心なしか自慢気にも見える。
「『これでも』だなんて酷いなぁ。お爺ちゃんの代わりに訪問医療だって頑張ってやってるのに」
「…………っ、す、すみ、ません。出しゃばった真似をして」
シュキュウが慌てて俯き、肩を縮めた。
「『お爺ちゃん』の代わりで『訪問医療』?って事は、クイネさんはアイク村長のご家族なんですか?——じゃあ、見た目はサンタっぽけど、柴犬なのかぁ」
『自分の解呪は最後に』と最初に言われていてまだアイク村長は解呪しておらす、どの獣人タイプなのか知らなかった柊也が、ちょっと残念そうな顔をした。
「いえ、お爺ちゃんはトナカイです。なので、よくみんなに『それっぽいね!』と言われます」
「マジか!期待通りだー!……あれ?でも、トナカイさんのご家族が柴犬タイプ?ん?」
「この世界では、血筋でどのタイプとして生まれるかがある程度は決まりますが、持ち前の気質に引っ張られて先祖返りする事があるんです。なので、亀の子供がライオンだったり白鳥だったりする事もあるんですよ」
血筋的には繋がってないとかなのだろうか?と柊也が首を傾げていると、クイネがその事に気が付き説明してくれた。
「へー面白いですね!」
あれ?よく考えたら前にもサラッと聞いた様な……と少しだけ思いながらも、柊也がまた一つこの世界の知識を手に入れて満足していると、ルナールが改まった顔付きで口を開いた。
「訪問医療……ですか。ふーん……」
不信感を露わにしながらそう言われたクイネだったが、可愛らしい笑顔をルナールに返した。
「クイネ、少しお訊きしてもいいですか?」
まだ痛いコブをそのままに、クイネが腕を膝に下ろして「えぇ、どうぞ」と答えた。
「シュキュウの人となりを『ずっと観察していた』と前に言っていましたよね?あれって毎日?」
「えぇ、狭い村ですからね。色々な人の家を回っていれば、意図せずとも毎日観る機会なんかいくらでもありますし」
何か問題が?と言いたげに、クイネが首を傾げた。
「では、プレゼントの品は王都まで買いに?」
「少し違います。あれは王都までボクが作りに行きました。デザインも自分でやってみましたし、ガラス工房で練習させてもらい、一から仕上げた物です」
その言葉を聞き、シュキュウがギョッとした顔をクイネに一瞬だけ向けた。そこまでした品を、箱から出す事すら出来ずに割ってしまったなんて、絶対に怒っているに決まってる!と顔が青くなる。
「『目の前で割られた』と言っていましたが、その時の心境は?」
「ゾクゾクしてましたね。シュキュウの手で、全てが無に帰ったと思うと、もう……」
可愛らしい顔なのに、どこか倒錯的にも見える笑みをクイネが浮かべた。怒りや、傷付いた気配は微塵も無い。
「天体観測をした日は確か、『吐きそうだ』と言って彼が居なくなったと言っていましたね。その時はどう思いました?いつまで待っていました?」
「……これは尋問ですか?警護兵とでも話しているみたいなんですけど」
「いいえそんなつもりは全く。なので、答える義務はないです。でも、シュキュウとの関係改善の手助けにはなるかと思いますよ」
そうなの?と、状況のイマイチ読めていない柊也がルナールの顔を見上げた。
「…………『お前なんかと居たら吐きそうだって』意味で言ったのかなーと。戻って来なかったのは、『放置プレイかな?』と思いました」
「ち!違います。あぁぁ、あれは、緊張し過ぎて吐きそうになっただけで……。も、戻らなかったのは、かなり遅い時間でしたからもう帰ったものだろうと……」
動揺し、シュキュウが吃る。そんな奥さんを気に留める事なく、クイネが言葉を続けた。
「ちなみに次の日の仕事が始まる時間までずっと待っていましたよ。基本的にボクは根っからの犬気質ですからね『待て』は得意です」
「そ、そ、そうだったんですか⁈朝まで外にって……ワタシ、放置する気は全く……あわあぁぁ」
慌てるシュキュウの手をクイネが握った。
「大丈夫ー、シュキュウを待ってるってだけで楽しかったから」
クイネがニコニコと可愛く笑う。二人の様子を見て、ルナールが深くため息をついた。
「トウヤ様、今の話で確信しました。クイネは『パラフィリア』です」
「……え?パラ……ゴメン、何それ」
「『性的倒錯者』ですよ。一言で言うと『変態』って奴です。彼がどういったタイプかは区分けしづらいですが、主な例は小児性愛や覗き、サディスト、露出狂と……まぁ、色々あります」
キョトンとした顔をした柊也が、一転して目に見開き、クイネの方へ顔を向けた。
可愛らしい姿にふんわりとした尻尾を揺らし、見るからに人畜無害そうな顔でクイネが柊也に微笑みを返す。とてもじゃないが、そんな特殊性癖を持っているタイプには全く見えない。
「ヤダなぁ、ルナール様ったら人前でそんなハッキリと」
「自覚ありの倒錯者ですか……トウヤ様ですら治せない分『呪い』よりもタチが悪い」
ルナールが舌打ちしつつ、吐き捨てるように言った。
「ボクはただ、自分の奥さんが大好きなだけですよ。合法的に手順を踏んで手に入れたので、問題なんか何も無いですよね。ただ側に居て欲しいだけです。それのどこが変なんですか?」
「その為に何年かけたんですか?」
「んー……十五年くらい、かな」
(ん?あれ……クイネさん、シュキュウさんとは幼馴染みたいなものだって言ってたけど、自分も子供の頃から好きだったって事かな)
柊也が頭を悩ましていると、ルナールがクイネに対し「貴方、今年で何歳になりました?」と訊いた。
「ボクですか?三十ですけど」
「え⁈——嘘!」
「…………え?」
クイネの言葉に驚き、柊也とシュキュウが声をあげた。
変質者っぽくも無ければ、三十歳にも到底見えない。まだ二十才そこそこくらいの見た目なので二人が驚くのも無理は無かったが……シュキュウまでもが驚いた事にも、柊也が「——ん⁈」と驚きの声をこぼした。
「……あ、えっと……物心ついた時にはワタシ達の輪に居たので、てっきり似たような年齢なのだと……」
戸惑うシュキュウに対し「年齢の確認はしなかったんですか?入籍する時だとかに」と柊也が訊いた。
「手続きは全てクイネさんがやってくれたんで……。あの、もしかして、年齢の確認とかって、結婚時には必要だったんですか?」
「あ、いや……必須じゃないだろうけど……」
結婚相手の年齢も知らずに入籍とかは流石にしないんじゃないかな……と柊也は思ったが、シュキュウの顔色の悪さを見ると、正直に言うのは憚った。
「両親ともそういった話にもなりませんでしたし……でも、確かによく考えてみると、クイネさんの姿が、子供の頃に見ていた時と今とで全然成長していない気が……します」
口元を手で隠し、シュキュウがボソボソと言った。
「ワタシ達と一緒に遊んでいた、というよりは……遊び相手になってくれている、近所のお兄ちゃんって感じ……だった、かも?」
ハッとした顔でシュキュウが言った言葉を聞いて、柊也が『今更かい!』と心の中でツッコミを入れた。
「まさか……子供達を物色していた訳では無いですよね?」
そう言ったルナールから冷気が漂う。
「や、やだな!流石に無いですよ!一番可愛いい子だなぁくらいには……まぁ、思っていましたけど。ボクはただ、忙しい親達に面倒を見てと頼まれていただけです。癒し手だったら子供達が怪我をしてもすぐに対処出来るし、祖父の跡継ぎとして医者になるのは確定していましたから、子供の対応にも慣れておけって言われたのもあって」
それを聞き、三人が揃ってホッとした顔をした。
「……シュキュウが十才くらいからは『大人になったら嫁に欲しい』って、彼の父さん相手に交渉は始めてましたけど」
呟くように言ったクイネの言葉を聞き、『一回りも下の子相手にかよ!』と柊也は思ったが、先に別の誰かとの婚姻が決まってしまうよりは早めに交渉しておきたいと考えた気持ちは、ちょっと分からなくもなかった。
「シュキュウ」
「は、はい!」
ルナールに名前を呼ばれ、シュキュウがビクッと体を震わせて、背筋を正した。
「……いいんですか?こんな奴が『夫』で」
「え、えっと……そ、そう言われても……」
「え⁈待って!ボク、何も悪い事してませんよね?」
問い掛けに対し、シュキュウが『いいんです』と即答しなかった事が意外だったのか、クイネが不満を訴えた。
「まぁ、確かに。色々歪んでるなぁとは思うけど、シュキュウさんに対しては、確かにクイネさんって誠実ですよね」
「でしょう?ボクは奥さんの嫌がる事はまだしてませんもん!」
「「「…………まだ?」」」
柊也達三人の声が完全に揃った。
「あ」
「つまり、する気はあると」
「……そ、そりゃぁ……したいでしょ……奥さんと……こ、交尾は……」
顔を真っ赤にしながらゆっくりとした口調で、でもハッキリ言い切ると、かなり恥ずかしかったのかクイネが両手で顔を覆った。
「それには激しく同意します!」
ルナールが初めて、キッパリとした口調でクイネの意見を受け入れた。清々しささえ感じられる顔でウンウンと何度も頷くルナールの姿を見て、柊也は『何故そんなに共感してんの⁈』と思った。
「こ……こ……こう——」
シュキュウが震えながらボソボソとそう言ったかと思うと、糸の切れたマリオネットの様に体が崩れ、ソファーに倒れた。
「シュキュウ!あぁ、まただ!」
クイネが慌ててシュキュウの体を抱きとめる。
「いい雰囲気に持っていこうとしただけで毎夜気絶されちゃって、嫌がるかもな行為すら出来ないんですよ、ボクは!」
かなり辛いのか、クイネがボロボロと泣き出す。欲求不満で仕方がないのにどうにも出来ず、今の状況は『呪いのせいに違いない!』と思い込む事で乗り切っていたみたいだ。だが、そうでは無いとなると、もうどうしていいのか分からず、クイネは感情が制御出来なくなってきた。
「ボクを見て、滅茶苦茶嫌がる姿を堪能しながら交尾したいのに!」
「……もういっそ、気絶しながらでもやっちゃえばよいのでは?」
そう言ったルナールに対しキーキー怒りながら、クイネが「流儀に反します!」と返した。
(……んー。経験値ゼロの僕には、わからない世界だなぁ)
柊也が二人のやりとりを聞きながら遠い目をする。どっちの言葉も同意してあげられない。特殊性癖の話である事だけは理解出来たが、そこまでだった。
「まぁ……もう|夫夫《ふうふ》での話し合いでしか解決出来ない問題なので、彼が目を覚ましたらしっかり話し合うと良いですよ。私達はもうお暇しますので、あとはご勝手に」
「え?関係改善の手助けはしてくれないんですか?このまま放置とか、引っ掻き回しただけじゃ⁈」
「嬉しいでしょ?ぐちゃぐちゃにされたうえに、放置されるのも」
ルナールがソファーから立ち上がり、冷ややかな目をクイネに向けた。
「……はい、まぁ」
『相手は誰でもいいのか⁈』と、柊也が驚いた。
「では行きましょうか、トウヤ様。あとはもう|夫夫《ふうふ》間での問題ですから、私達は私達で夜を楽しみましょう?」
『ね?』と言うようにルナールが軽く小首を傾げる。何を企んでるのかなぁ……と怖くなりながらも、柊也は「う、うん」と頷いてしまった。







