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第7話 狩猟本能、再調整
教官は、以前の卒業判定で使ったものと同じ記録板を開いていた。
向かいにはハイエナが座っている。
頬の赤みはもう消えていた。椅子へ浅く腰かけ、早く終われと言わんばかりに脚を揺らしている。
「再評価の結果を伝える」
「はい」
「生活基礎については問題なし」
教官は上から順に読み上げた。
「衣服適応、問題なし。厠利用、問題なし。歩行――問題なし」
最後の項目だけ、わずかに間を置く。
ハイエナは目を逸らした。
「人界生活に必要な知識も十分。知能も高い。状況把握能力も高い」
「なら、もういいっすか」
「複数の情報を統合し、他者の行動を予測する能力も高い」
教官は記録板を閉じなかった。
「高すぎるくらいだ」
ハイエナの脚が止まる。
「お前がしたことを整理する。対象を観察した。群れの情報網から、対象に効く情報を選んだ。競合相手の守秘によって生じる不安を見抜き、自分を比較対象に置いた。相手がどう感じ、どう動くかを予測し、その通りの方向へ押した」
「嘘は流してねぇ」
「そこを評価しているんじゃない」
「機密も盗んでない」
「していない悪事を並べても、したことは消えない」
教官の指が、記録板の一項目を叩く。
「接触境界の理解は概ね良好。生活上の規範理解にも問題はない。だが、対人関係形成は要再評価。狩猟本能の社会的転用は、再調整を要する」
ハイエナは返事をしなかった。
「お前、人間関係を何だと思ってる。狩りか?」
否定は、すぐに出てこなかった。
欲しい相手を見つける。
周囲を観察する。
競合する相手の弱点を探す。
群れから情報を集め、追う方向を決める。
動きを読み、逃げ道を狭める。
ハイエナにとって、それらはひと続きのものだった。
「……違うって言えば、評価変わります?」
「変わらない」
「じゃあ、聞く意味ねぇだろ」
「自分で考えろという意味だ」
教官は息を吐いた。
「狩るなとは言わない。お前がハイエナ由来であることを直す場所じゃない」
「じゃあ」
「人を獲物にするな」
短い言葉が、部屋へ落ちた。
「お前の観察力も、情報を集める力も、先を読む力も、人界で生きる助けになる。だが、他者の感情を攻略するためだけに使えば、本人も周りも傷つける」
「分かりました」
「分かった顔には見えないな」
「じゃあ、どうしろって?」
「追加訓練を受けろ」
教官は新しい頁を開いた。
「対人関係形成。狩猟本能の再調整。他者の感情を攻略対象として扱わないこと。自己利益と支援目的を分けて理解すること」
「ちょっと待ってください」
ハイエナが初めて身を乗り出した。
「それ、卒業してから通うんすか」
「いや」
教官は記録板へ判定を書き込んだ。
「卒業判定は保留」
「……は?」
ハイエナの耳が立つ。
「ちょっと待ってください。歩行も衣も問題ないって――」
「問題はそこじゃない」
「でも、生活できるなら」
「生活できることと、他人を盤上の駒にせず関係を築けることは別だ」
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ハイエナは黙り込んだ。
尾が苛立たしげに椅子の脚を打つ。
「再評価期間中は、これまで通り準備区域で生活する。介助担当については支援側で決める。特定の職員への私的接触は制限する」
「……いつまで」
「お前次第だ」
長い沈黙のあと、ハイエナは視線を落とした。
「……分かりました」
声には、隠しきれない悔しさが滲んでいた。
椅子を引き、立ち上がる。
扉へ向かう背中は強張り、耳も伏せたままだった。
「次の訓練日程は追って伝える」
「はい」
ハイエナは一度も振り返らず、教官室を出た。
扉が閉まった。
廊下を三歩進んだところで、悔しげだった表情が消えた。
*
第一の狩りは、すでに終わっていた。
事務職員と介助職員は別れた。
狙った通りだった。
ならば、本当は黙っていればよかった。
偽装した好意も、流れを選んだ噂も、自分から明かす必要はない。事務職員が不審に思っても、知らぬ顔をしていれば、介助職員からあれほど明確に拒まれることもなかった。
それでも、ハイエナは全部話した。
卒業が近かったからだ。
生活基礎はすべて基準へ達していた。
歩行が不安定なふりだけでは、もう長くは残れない。教官はすでに疑っていた。
そのまま卒業すれば、人型化準備区域を出る。
介助職員が働く場所から離れ、日常的な接点を失う。
だから、次の問題を見せた。
他者を観察し、弱点を使い、感情を誘導する。
人間関係へ狩猟本能を転用してしまう、再調整の必要な利用者。
事務職員が怒ることは分かっていた。
強い反応が起き、騒動として支援側へ共有されれば十分だった。平手打ちまで予測通りだったわけではない。だが、避けて騒ぎを小さくする理由もなかった。
介助職員に嫌われることも、計算の外ではなかった。
痛くないはずがない。
それでも、今すぐ好かれることより、二度と会えなくならないことを選んだ。
事務職員への措置が思ったより軽かったのは誤算だった。
利用者区域からもう少し長く遠ざかると思っていた。
だが、必要な結果は手に入った。
卒業判定は保留。
つまり――まだ、ここにいられる。
廊下の向こうから、介助職員の声がした。
「次の歩行訓練、記録持ってきてくれ」
別の利用者へ向けた、いつもの声。
誰にでも必要なら手を差し出す、あの男の声だった。
ハイエナの耳が、まっすぐそちらへ向く。
拒絶された。
近づくなと言われた。
支援側の監督もついた。
それでも、区域の中にいる限り、終わりではない。
(これで、まだ狙える)
ハイエナの口元が、ゆっくりと吊り上がった。
コメント
1件
あっ、第42話読み終えたよ〜!😳✨ ハイエナ、まさかの計算ずくで卒業保留にさせたの怖すぎる…!「まだここにいられる」って内心でほくそ笑んでるとこ、背筋がぞわぞわしたよ。でも介助職員に嫌われるより二度と会えなくなるほうが嫌って感情、ちょっと歪だけど純粋でグッときた…🥺 教官の「人を獲物にするな」ってセリフも重くて、この世界観の倫理観がじわじわ沁みるね。次、どう動くんだろう、目が離せないよ…!🔥