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お出かけから数日、雨は放課後の夜間パートまでの時間を晴と過ごしていた。
「晴、もうすぐ来るんだよね」
「うん、雨兄も私の友達が来てもあんまり緊張しないでいいんだよ」
苦笑してこたつの対面に座ったちゃんちゃんこ姿の晴に、私は冷めた白湯を飲み干した。晴は体の成長が遅い。それが枷になって友人作りも難航したはずだ。自分より大きな人たちに囲まれてきた晴にとっての友人でいられる人物。き、気になる。
ピンポーン
「あ、来たね。ちょっと出てくる」
おじゃましまーすと甲高い声がして居間の入り口に目を向けると、コートを腕にかけた可愛らしい?女の子が私を見て口を半開きにしていた。
「あ、初めまして私は晴の兄の雨。ゆっくりしてってね」
「えっと、初めまして。晴ちゃんとお付き合いさせてもらってます冬月穂香って言います」
「そかそか、外は寒かったでしょ。炬燵に入るといいよ」
私と晴のにこにこした笑顔に困惑しつつも晴に背中を押されてこたつの前に座った冬月さんは、なぜか私をじっと見つめている。晴も不思議そうにしている、いやあなた何も聞かされてないの?
「どうしたの冬月さん?」
「あの、もしかしたらなんですけど。去年の冬にあった婦女連続誘拐事件を解決したのって雨さんですか?」
「…確かにそんな命令を連続夜勤明けの朝方に受けた気がする。なんかこれ以上はダンジョン庁爆破してやるって躍起になって色んな所爆破した覚えがある。それがどうかしたの?」
「その時に私もいたんです!」
身を乗り出して私に顔を近づけてきた彼女に私は、睫毛長!と場違いなことを思っていた。晴も驚愕して固まってるし、どうしよう。
「あの、申し訳ないんだけど助けた人たちの顔とか覚えてないのよね私。何しろ四徹からのさらに追加業務だったから疲れててまともに顔の判別とかついてなかったから」
「…そうですか。じゃあ、その後の洗脳系スキルの封印って雨さんじゃないんですか?」
「あ、それは私。犯人がそれ系のスキルを多用してたからさすがに危険すぎるって思って」
「雨兄がやったんだあれ。世間は大騒ぎだったよ。スキルが封印されるなんて初の事例だったから。それに全世界の洗脳系スキルに影響を与えたんだもの、一時期それを探ろうとしてこの家アパートの周りを徘徊する人たちがいたよ。いつの間にかいなくなってたけど」
「ああ、それとかあれの効果だね」
「木像?」
私が戸棚に置いてある動物の木彫り御守りを指さすと、冬月さんがそれらを見てつぶやいた。
「あそこに置いてあるやつは全部この部屋に近づく悪意ある者を遠ざけるの」
「悪意って雨兄とか私にとって不利益になること?」
「そだね。封印に使った物は色々な条件をかけてるから保管できる場所が限られて、ここに置いておけなかったんだよね」
私が苦笑いして晴と冬月さんを見ると渋い顔で私を見てる。なになに!ちょっと言いたいことがわかんないよ。晴が無言で私の近くにとことこ歩いてくると膝に座ってきた。何がしたいの晴。淑やかに正座している冬月は膝の上で組んだ手をグッと握りこんだ。
「雨兄、聞いちゃいけないことは分かってるんだけど、それが難しい。その封印に使った物は何処にあるの?」
「いやそんな深刻な事じゃないでしょ。マリアナ海溝海底付近だよ、結界に圧力をかけ続けることで使用不可にする範囲を拡大させたってこと。あんなとこ行く人いないし見つかることはないだろうね」
「…マリアナ海溝、どうやって潜ったんですかそんな超深海」
唖然とした冬月さんは私を化け物を見るような目で見てくる。下層探索者なら大体行ける。生物の枠を超えてるからね、良くも悪くも。こんな反応に慣れてしまった雨はほとんどの驚いていない晴に感謝して小さな頭を撫でた。
「スキルを使ってね。これに関しては企業秘密だけど」
「…ちょっとスケールが大きすぎて反応できなくなってきました」
「今!遅くない穂香ちゃん」
「これが遅延リアクションというやつかな晴」
「雨兄は落ち着きすぎでしょ。私は雨兄は何するかわかんないから耐性ついたよもう」
今になって衝撃的な事実が浸透してきた冬月はしばし正座しながら気を失っていた。雨と晴は呑気にお茶を淹れたりしていると雨は通勤の時間になっていた。雨はまだ冬月と話したそうにしていたが、始業まで時間がないので後ろ髪を引かれる思いで家を出ていった。
「は、私は何を」
「穂香ちゃん雨兄の話のインパクトで気を失ってたよ」
「そうだった、雨さんは居ないの?」
「仕事に行った。雨兄のいるほうが珍しいからねここ」
「…今夕方だよね?」
雨の仕事は瑞野優の配信で周知されていたが、業務状況は雨が言及しなかったためそのブラックな労働を知るものはいなかった。晴は苦虫を噛み潰したように顔をゆがめて冬月を見やった。
「…雨兄に休みはない。二度と同じこと聞かないでね穂香ちゃん」
「う、うん」
クールと言うよりは冷徹な晴の顔に先ほどの彼女が素だったのだと自分の見てきた彼女が崩れていくように思った冬月は、言葉を失っていた。晴は感情の抜け落ちた無表情で、思いつめたようにテーブルを見つめる冬月に何をいうべきか逡巡した。
「穂香ちゃん」
「…何?」
「今から言うことは独り言のポエム。反問する必要も心に止めておく必要もない」
「…」
「私が学校で見せるのはあくまでも“普通の人”。雨兄に心配かけないようにそうしてるだけ。ほんとは何も面白くなくても笑うし、女子らしいか弱い感じを演出するけど雨兄が関わってくるのなら別。私は雨兄と自分自身の利益を追及する実利主義者であり、代わりにそれ以外をすべて切り捨てる。だから雨兄に迷惑をかけない限り寛容な対応をすると約束する」
意外、ではなかった。学校でも社交的で無垢に笑顔を振りまく晴が、雨の前で見せたのはほのかで穏やかな大人の笑み。理知的で冷静な晴は学校の時とは別人だと思った。きっと何を言っても論理的に返答してくる晴は、長年の対人経験を重ねてきた非の打ち所のない答えをくれるだろう。
冬月はショックを飲み込めない一方で、何故ここまで晴が冷たく物事を考えられるのか気になった。
「…は、晴ちゃんはさ、なんでそんなに考えられるの?」
「曖昧だね、そういう質問は親密な仲でしか通用しないよ」
晴は茶で間を濁しながらじっと爬虫類のような目で冬月を見ていた。一挙手一投足が認識されていると冷や汗が止まらない冬月は、裁判所に立たされた被告人のような緊張感をもってそれに臨んだ。生来の知りたがりが発揮されたのだ。
「な、なんでそんなに冷めた価値観でいられるの?」
「まだ具体性に欠けてるけどいいよ、答えてあげる」
「ほっ」
「雨兄も実利主義者ではあるけれど、誰にでも慈悲深い。たぶん私に人としてどうあるべきか、という理想像を体現するためだね。けど私はそんなに他人に情けをかけられるほど感情移入できない。…雨兄は涙を流せない。雨兄は心の底から笑えない。今のままでは絶対に雨兄は望む平穏を手に入れることはできない。そんな中私が雨兄の希う環境に身を置くなんて…できるわけない!」
「…雨さんはそれを知ってるの?」
荒ぶる激情を抑えきれない晴はテーブルに拳を振り下した。おろおろとする冬月には惜しくも晴の怒りを理解するには経験と知識が足りなかった。
「雨兄に教えるの?」
「ない!それはないから安心して」
「そう、雨兄は知らない。こんなこと言えないし、私が幸せでいるように見せてるから問題ない」
焦点を失った目で自分にそう言い聞かせているようにブツブツと呟く晴に、冬月はカチカチと歯がかみ合わず震えている。
「…ふう、落ち着かなきゃ。あれ?穂香ちゃんどうしたの?」
「い、いやなんでもない」
「…そう、ご飯食べていくよね」
脈絡なんてものは存在しなかった。すっかり幼く破顔する晴に逆らえるほど冬月の危機管理能力は方向音痴ではなかった。
「う、うん。丁度おなかすいてたから良かったらお願いするね」
「帰りは雨兄の御守りをあげて返すように言われてるから、これ持っていってね」
そう言って晴が手渡したのは小さな招き猫だった。漆喰で真っ黒のそれはつぶらな瞳でちょこんと冬月の手のひらで彼女を凝視している。雨の御守りは夜でも女性が出歩くには頼もしすぎるほど役に立つと聞いていた冬月は、暗くなった道を歩く心配が吹き飛んだ。
「あ、ありがとう」