「あ、晴の魔力が降りてきてる」
いつもの回廊で暇を持て余していた雨は、上の階から覚えのある魔力が下ってきていることに気がついた。晴、思い悩んでるんだろうな。私が安心して日常を送れないからって晴まで感情を切り捨ててないと良いけど。…多分杞憂じゃないんだろうな。こんなに濃密なものを広範囲で垂れ流してるんだからフラストレーションが爆発してたりして。
「ちょっと冬月さんが心配になってきた」
おしとやかそうな子だったし多分晴の地雷を踏み抜かないと思うけど、それはないって勘が言ってる。ああ、帰って確認したい。半殺しにされてないかな?
「ううん、頭の片隅にでも置いておこ」
あと六時間はここで待機だし、暇を持て余すね。時間つぶしの本とか持ってきてるけど、この魔力の中でそんな気にはなれないし素材の仕分けでもやるか。
そして雨が巨石の上で鱗や皮を選別していると螺旋階段から足音が聞こえてきた。
「ど、どうも雨さん」
「優さん、下層には入らないでといつもは口を酸っぱくして言ってるでしょ」
「それは分かってるけど、雨さんに直接会ってゆっくり話せるのはここだけだし」
「そんな理由で毎度命の危機にさらされてるのはどこの誰?」
私の願掛けがないと行きも帰りも何回殺されてるかわかったもんじゃないんだからそんなフラットに来ないでほしい。ごく自然に私の隣に仰向けになった優さんは私の言葉を無視して私の太ももには手を置いてきた。
「何優さん」
「何でもない。ただ、よければこうさせてもらっていいかな?」
「邪魔でもないし良いよ。それにしても…優さん分かる?」
「なにが?」
「悲痛な魔力がダンジョンも地上も覆っているみたい」
「どういうこと?魔力って感情まで判別できたの?」
怪訝そうに眉根を寄せた彼女に私は苦笑して暗い天井を見上げた。魔力に対する感応性は磨き抜かれたセンスで獲得できる。下層探索者ならだれでもできるこの芸当も一般人には理解しがたいのかもしれない。ぶすくれた優さんには説明が必要みたいだね。
「そうだね、大体流れてくる魔力に強い感情が乗せられてるときはそれだけ心を揺さぶってくる。これは晴の魔力だけど…自責の念と自身への怒りってところかな」
「え!個人まで特定できるの?しかも晴ちゃんが自責と怒りって、雨さん何かやった?そもそも晴ちゃんの魔力ってここまで届くくらい多いの?」
「質問が多すぎ、個人は人によってまちまちだけど出来る人は私以外知らない。晴に関しては魔力量そのものがデフォルトで人類を飛び抜けてると言って良いほどだし、色々心当たりはあるけど、どうしようもないものばっかりだから」
「…晴ちゃんのこと心配してるの?」
「そりゃあね、練達した妹だからしっかりしてるし何事も俯瞰して見てるから冷静さを欠くこともない。だからこそ私に構ってほしい時は、こうして魔力を垂れ流すの。私が晴のことを憂慮して来てくれるって」
「仕事ほっぽり出して行くの?」
「針さえおいておけば、どうとでもなるから些事だよ仕事なんて。一時の感情の爆発も時には必要、それを受け止めてほしいなら行かなくちゃ不義でしょ」
納得のいかなそうに優さんは私を見上げてくるが、作業を中断することなく会話を続ける。でも今日のは行かない方が良い、一人で泣きたい時もある。孤独を癒してほしいと思ってるけど、私に泣き顔をみられるのは極端に嫌うからな晴は。
「まあ今日は行かないけど」
「…そっか」
「放っておかないといけない時もある。近すぎれば依存させてしまう。私は心理学に明るいわけじゃないけど、人を見続けてきたからなんとなくね」
「雨さんでも難しいってことか」
作業を終わらせて一息ついた雨は、針を浮遊させる。雨と瑞野はその後数時間を暇に過ごした。
「雨さん眠くないの?」
「眠いなら私の家で寝てください。すぐ帰れますからね」
「…はあい」
「ちょっとまだ寝落ちしないでよ優さん」
はあ、仕方ない。門を使うか。帰ったらなんて晴に声かけようかな。泣き疲れてそこらへんで丸まってそう。雨は門を使うとガラリと外観が変わった。狭くて整理整頓された木像の茶色が印象的な部屋。窓からの朝日がまぶしい、晴はっと一応布団で寝てるね。良かった。
「晴、晴」
「う、ううん。…雨兄、行かないで」
「…私はどこにも行かんって、ほら起きて」
針を首筋に近づけると晴は反射的にそれを掴んだ。うんうん、いつだって襲われるかわからないからね。油断は禁物、銃弾はどこから飛んでくるか分からない。
「雨兄!いつも言ってるでしょ。針で起こさないでって、寝ててもとっさに動けるからいいけどドキドキして目が覚ますって嫌すぎるのよ」
「おはよ晴。もう七時です、登校まで何分?」
「はっ三十分。こうしちゃいられない」
「ご飯はしっかり噛むんだよー」
「今それ言う?てかなんで優さんがいるの?」
「さっき寝始めたから起こさないであげてね」
「…また下層に来てたってことね。女狐め」
ボソッと俯きがちに雨の布団で寝ている瑞野に呟いた晴はさっさと朝食を食べ始めた。少し急ぎがちな朝の時間、晴は味噌汁をすすりながらテレビをつけてニュースのトピックに目を通していく。現代人ってやあねえ、時間に追われる生活なんて。一人脳内大喜利を始めた雨も学校に持っていくものをリュックに入れていた。
雨製弁当を学生かばんを肩にかけた晴に手渡して送り出すと雨は、家を出るまでのわずかな余暇を瑞野の隣で正座しながら彫刻していた。
「じゃあ行ってくるね優さん。そっちが休日って羨ましいよ本当に」
似合わない学生服を着て雨は出ていった。静まった室内には瑞野の寝息だけが響いていた。
「ううん、あれ。ここ雨さんち?…そう言えば家に帰って寝てって言われた気がする」
その時、瑞野は自分が寝ているのが雨の布団であることに気づいた。金木犀の花弁を集めて香水を作っていた雨は、好んで布団にそれを霧吹きで香りづけしていた。普段から僅かに金木犀を嗅ぐわせていることに気づいている瑞野は、その香りがたまらなく愛おしく思えた。ハアハアと不審者顔負けな犯罪者予備軍の目をした瑞野は、毛布に鼻をくっつけて勢い良く肺にその空気を吸い込んだ。
「…雨さん、雨さん」
汗ばみ始めた見目麗しい少女、上気した頬と潤んだ目が何をしているかを示していた。モラルを忘れ始めた瑞野の手は自然と自身の下半身に動いていった。
「何してるの優さん」
「え!晴ちゃん」
「…ああ、はい。そういう事ですか。優さん、仏の顔も三度までとは言いますが私を許しは二度はないですよ」
表情の抜け落ちた晴は、正確に状況を察すると硬質な敬語でそういった。テストにより半日で終わった学校から帰ってきた晴が見たのは、溺愛する兄の寝床で自慰する兄と同い年の少女の姿だった。
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