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◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館・深夜】
体育館の灯りは落としてある。
真っ暗にすると怖がる子が増えるから、魔術灯を少しだけ残した。壁際がぼんやり白い。天井が遠い。
眠れている生徒もいる。
疲れ切って、毛布の中で倒れるように。
でも、眠れない生徒の目は冴えてしまう。物音がするたびに肩が跳ねる。
泣き声が、また小さく上がった。
今度は、我慢していた子が急に崩れたみたいに。
「……帰りたい……」
先生が駆け寄って、背中をさする。
「大丈夫。大丈夫。いまはここが安全」
その言葉は嘘じゃない。
でも“いつまで安全か”は誰にも言えない。だから、声が少しだけ震える。
ハレルは体育館の隅で、壁に背をつけていた。
胃の奥が痛む。
不安が、体の中で固い石になる。
(現実は崩れてる)
(こっちは守ってる)
(でも、穴が残る)
サキのスマホの残量が頭に浮かぶ。
使えば減る。減れば最後が来る。
その計算が、中学生にも分かるくらいはっきりしているのが怖かった。
その時、体育館の入口の方で、笛が短く鳴った。
二回。
警戒線の合図だ。夜間の兵士が使う、短い呼び出し。
先生たちが顔を上げる。
生徒の何人かが息を止める。
ハレルは立ち上がりかけて、思いとどまった。
今、ここで自分が動くと、生徒の目がついてくる。
“安全の中心”が動いたように見えてしまう。
代わりに、入口に立っていたアデルの部下が扉を少し開け、外を覗いた。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館前・廊下】
廊下は薄暗い。
窓の外は森の黒。遠くで風が鳴る。
アデルが来た。リオも。
ヴェルニは少し遅れて、肩を鳴らしながら歩いてくる。
笛を吹いた兵士が小声で言った。
「……さっき、門の内側の通路で“兵士”を見ました」
「見回りの交代の時間じゃないのに。呼び止めたら、返事をしません」
アデルの目が冷える。
「顔は見た?」
「……影で、はっきりは。でも、紋章は……私たちのです」
それを聞いた瞬間、リオの背中がぞわっとした。
(消えた門番)
(戻った?)
ヴェルニが鼻を鳴らす。
「戻ったなら戻ったで、黙ってないだろ。返事しないってのが嫌だな」
アデルは短く言う。
「騒ぐな。生徒に聞こえる」
そのまま兵士に指示を出す。
「場所を」
兵士が指さす。体育館の外壁沿い、器具庫へ繋がる細い通路。
アデルとリオが足音を殺して進む。
ヴェルニも続く。軽口は消えている。目だけが獲物を見る目だ。
通路の角を曲がった先――
そこに、人影が立っていた。
鎧の輪郭。槍は持っていない。
でも外套の端に、確かに“紋章”がついている。
「……おい」
竜崎
45
#シェイプシフター
柊遊馬
5,745
#探偵
橘靖竜
6,338
リオが低く呼ぶ。
人影は、ゆっくり振り向いた。
顔の半分が影で見えない。
見える方の目が――妙に黒い。白目が薄い。
そして口が、小さく動いた。
「……寒くないですか」
普通の声。普通の言い方。
なのに、ここで言う言葉じゃない。
リオの喉がひりつく。
(黒い影の喋り方)
アデルは声を荒げない。
ただ一歩前へ出て、短く言った。
「名を言え」
人影は首を傾げた。
動きが、少し遅い。
まるで“人間の動きを思い出している”みたいに。
「……交代、ですよね」
「寒いですね」
言葉がつながっているようで、つながっていない。
ヴェルニが小さく舌打ちする。
「俺、こういうの嫌いだわ。話が通じる顔して通じねえ」
アデルが剣の柄に指を置く。抜かない。
今抜けば、音が出る。生徒が気づく。
「近づくな」
アデルが低く言った。
その瞬間、人影の足元の“影”が、わずかに伸びた。
床に煤みたいな筋が一瞬だけ走る。
だが次の瞬間、その筋は消える。
消えるのが、余計に不自然だった。
リオが反射で腕輪に魔力を通しかけて、止めた。
ここで派手な術を打てば、体育館が割れる。
アデルが先に動く。
足元へ、薄い結界だけ落とす。
「〈封縛・座標杭〉――光よ、足を止めて」
床に淡い光が刺さり、通路の空気が一瞬だけ固くなる。
人影は足を止めた――ように見えた。
だが次の瞬間、身体が“ふっと薄く”揺れた。
違う。
薄くなるのは境界の話だ。
これは、焦点がずれる感じ。
目で見ているのに、次の瞬間に“そこにいない”感じ。
「――っ!」
リオが踏み込む。
だが人影は、壁の影へ溶けるみたいに消えた。
通路に残ったのは、冷たい空気だけ。
煤の筋もない。足跡もない。
まるで、最初からいなかったみたいに。
ヴェルニが拳を握る。
「消え方が気持ち悪い。術で飛んだって匂いじゃねえ」
アデルは剣を抜かずに言った。
「……戻ったわけじゃない。“通った”だけかもしれない」
リオは息を吐く。
「じゃあ、どこへ――」
アデルは答えない。
答えられない。
行き先が分からないことが、今夜一番怖い。
「門の内側を二重にする」
アデルが兵士に指示する。
「体育館の周辺にも巡回を置く。
先生には“入口に人を集めない”だけ伝えろ。余計な説明は不要」
兵士が頷いて走る。
リオはマスクの奥で、短く言った。
「……消えた門番、確定じゃない。でも――近い匂いがする」
アデルが一拍だけ目を閉じる。
「分かってる。だから今夜は、絶対に穴を増やさない」
その言葉が、暗い廊下で硬く落ちた。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/西区・路地】
イルダは、昼より静かになっていた。
獣の唸りも、煤の影も減っている。
ダミエとイデールたちの班が結界と光で押し返し続けた成果だ。
だからこそ――夜の音が、目立つ。
路地の奥で、遅い悲鳴が上がった。
すぐに消える。声が“切られる”ように途切れる。
見回りの兵が走る。
その先に、倒れている男がいた。
胸元が裂けている。剣の傷とは違う。
熱で焼かれたみたいな縁が残っている。
「……誰がやった」
近くの住民が震える声で言う。
「兵士……でした」
「鎧を着て、外套に紋章をつけて……」
「あなたたちの……あの白い外套の部隊の紋章……」
見回り兵が顔色を失う。
「警備局の……?」
イデールが遅れて到着し、傷を見る。
いつもは柔らかい顔が、今は真剣だった。
「……これ、煤の熱。影が混ざってる」
そこへ、低い声が落ちる。
ダミエだ。フードの下の目が細い。
「……紋章、偽物か、本物か」
「どっちでも、最悪」
イデールが小さく息を吸う。
「アデルに……知らせよう」
ダミエは頷いた。
「知らせる。だけど……今夜は、街を崩さない」
声が低い。
でも“守る”と決めた声だった。
路地の闇が、また一段濃くなる。
静けさが、戻らない夜になった。
◆ ◆ ◆
【現実世界・臨時指揮車両/車内】
車内のモニターは、赤い点で埋まり始めていた。
転移地点。黒い影の反応。救急搬送の報。避難所の満員。
すべてが同時に動いていて、逆に何も動かせなくなる種類の混乱だ。
日下部のノートパソコンの地図ソフトが、その中心にあった。
地図の上で点が明滅している。
学園跡地を中心に――輪。
日下部は画面を拡大し、指でなぞった。
何度も。確認するみたいに。
そして、息を吐く。
「……やっぱり円形です」
「偶然なら、もっと歪む。これは“枠”を作ってる」
「内側を薄くするための、円――」
城ヶ峰は腕を組んだまま画面を見つめる。
表情は動かないが、目だけが硬い。
「枠を作って、次に何をする」
日下部が答える前に、城ヶ峰が続ける。
「“枠の中心”に何かを置く。あるいは中心を“起点”にする」
日下部が小さく頷く。
「……クロスゲートのやり方です。地図と座標で世界を扱う」
「この円、たぶん“観測の輪”です。……固定するための」
城ヶ峰は短く息を吐いた。
「クロスゲート関係地を洗う。今すぐ」
机に広げられた資料束。
旧本社、関係データセンター、協力研究機関、外注先、テスター関連の連絡網。
そこに日下部がキーボードを叩いて、地図ソフトと重ねていく。
「……学園跡地を中心にした円の上、近い場所がいくつかある」
日下部が画面を指す。
「湾岸の再開発エリア。旧クロスゲート関連の倉庫。……それと――タワー側」
城ヶ峰の視線が鋭くなる。
「オルタリンクタワーに近い座標か」
「はい」
日下部は喉を鳴らした。
「ここ、反応が他より濃い。……“輪の縁”が強い感じがある」
城ヶ峰は即決した。
「行く。いま動ける最短の関係地を踏む」
「目的は二つ。輪の意味を確かめること。
――そして、次の転移点を潰す手掛かりを拾うこと」
日下部が顔を上げる。
「俺も行きます。地図ソフトの更新、現地の方が正確に取れる」
「止めるな。もう止まれない」
その時、城ヶ峰のスマホが震えた。
内線。病棟側。
城ヶ峰はすぐ出る。
「城ヶ峰だ」
『……佐伯です』
若い男の声。落ち着こうとしている声。
『村瀬もいます。今、ニュースを見て……』
『俺たち、何か役に立てませんか。情報でも、記憶でも』
城ヶ峰は一拍だけ考え、言葉を選ぶ。
感情に寄せすぎず、切り捨てすぎない。
「役に立つ」
淡々と言い切る。
「ただし、今は病棟から動くな。命令だ」
「代わりに、こちらが聞き取りをする。
クロスゲート関連で“記憶に残っている場所”を全部出せ」
『……はい』
佐伯の返事は短い。
隣で村瀬が小さく息を吸い、続けた。
『私……クロスゲートの施設の“匂い”みたいなの、覚えてます』
『変な白さ。床の白。ライトの白。……白い廊下に近い感じ』
日下部の手が止まった。
城ヶ峰の目が一瞬だけ細くなる。
「……白い廊下」
城ヶ峰が低く繰り返す。
「それが今、黒い影と繋がっている可能性がある」
『だから、思い出します』
村瀬の声が少しだけ震える。
『役に立ちたいです。怖いだけで終わりたくない』
城ヶ峰は短く息を吐く。
「分かった。思い出せるだけでいい。整理して送れ」
「こちらも動く。……生きて、恩を返せ」
『……はい』
佐伯がはっきり答える。
『生きて返します』
通話が切れる。
城ヶ峰はすぐに別の番号を押した。
木崎だ。
「木崎。今、動く」
『お、やっとかよ。どこだ』
「クロスゲート関係地を洗い出した。地図ソフトの“輪”がある」
「湾岸の関係地、タワー寄りの座標が濃い。まずそこを踏む」
「お前にも情報を送る。合流できるなら合流しろ」
木崎の返事は早い。
『了解。写真と照合しながら行く。
現場は任せろって言いたいけど、任せられる状況じゃねえな』
「そういうことだ」
城ヶ峰は言って切った。
日下部がノートパソコンを抱え直す。
車内の空気が、動く空気に変わる。
止まる空気じゃない。走る空気だ。
城ヶ峰が短く命じる。
「出す。目的地、湾岸。最短ルート」
「……輪の縁を踏む。次の中心を作らせない」
車両が動き出す。
サイレンと赤色灯の光が流れ、夜の道路が伸びる。
日下部は画面の輪を見つめたまま、低く言った。
「……これ、誰かが“円を描いてる”」
「つまり――次の一手も、もう用意されてる」
城ヶ峰は前を見たまま答えた。
「だから先に潰す」
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/渡り廊下】
ハレルは廊下の端で、主鍵を握りしめていた。
胸の熱は落ち着かない。
夜の空気が薄い。膜が軋む感じがする。
(今夜は穴を増やせない)
(でも、影は通る)
父の顔が浮かぶ。
森から現れて、消えた。
あの“プログラム円”を作った手。
自分が追いかければ何か掴める気がして、でも追いかけられない。
胃が痛い。
けれど、止まれない。
体育館の中で、誰かがまた小さく泣いている。
先生が「大丈夫」と言っている。
その声が、今夜の世界の全てだった。
ハレルは息を吸って、吐いた。
そして、体育館へ戻る方向へ足を動かした。
夜はまだ終わらない。
終わらせ方も、まだ見えない。