◻︎月子の様子
パタンと音がして、二階から月子が降りてきた。
「なぁに?なんで兄さん達がいるの?」
私のことはちらっと見ただけで、まるで無視するようにテレビのスイッチをつけた。
「お邪魔してます、月子さん。なんだか体調を崩して大変だってお義母さんから聞いて、お見舞いにきたんだけど」
「どうなんだ具合は?って言いたいところだけど、特に悪くなさそうだな。病気になったから金を貸してくれってお袋に言ったらしいけど、こういうものを買う金があるんだから、自分でなんとかできるだろ?」
プイと振り返った月子の顔つきが変わった。
「お母さんが兄さんに言ったの?」
怒ってるようにも泣いてるようにも見える月子の表情からは、本心は読めない。
「そうだよ、頼むから年寄りの金なんてあてにするなよ。買物をやめて、売れるものを売って返済を減らすことを考えろよ、いい年なんだからそれくらいわかるだろ?」
光太郎の声が届いているのかいないのか、月子は俯いて肩を震わせている。
「聞いてるのか?月子!」
「……んでよ……」
「あ?どうした?言いたいことがあるなら言えよ」
「なんでよ、なんでいつもそうなるの!」
心の底からしぼりだすような、月子の声。
「なんのことだよ」
「そんなことくらいわかってるわよ、兄さんに言われなくても」
「じゃあ、お袋たちに迷惑をかけるようなことをするなよ、お前は言ってることとやってることがズレてるんだよ。なんでこんなに使いもしないものをどんどん買い込むんだよ、体調崩して給料がなくなったら支払いに困るのは目に見えてるだろ?」
光太郎の声が怒号に変わっていく。月子は床に崩れ落ち、両手で耳を塞いでいる。まるで駄々っ子のようだ。
「うるさいわね、ほっといてよ」
「じゃあさっさとなんとかしろ!」
「ね、ちょっと待って、光太郎さん」
私は光太郎を落ち着かせ、廊下に連れ出した。
「なんだ?」
「これは私の勝手な思い違いかもしれないけど。月子さん、わかってるんだと思うよ。わかってるけど動けないんじゃないかな?」
「どういうことだ?」
少し前に、お義母さんが私に話してくれたことがあった。
『月子がね、55才で主任から外れたらしいのよ。会社の規則だから仕方ないんだけどね。役職手当がなくなってお給料もガクンと下がったらしくてね。そのうえ自分より年下の人が上司になって。なんていうかプライドが崩れて、誰からもあてにされてないとか自分なんかいらないとか……そんなことばかり言ってるのよ』
そんなふうに言っていた。
月子は、55才を超えて会社での居場所がなくなったということだろう。それでも仕事を辞めることはできない、ローンをたくさん抱えているから。それは誰のせいでもない自分のせいなんだけど。
「そんなこと、自業自得だろ?自分でなんとかしないと」
光太郎が苛立っているのがわかる。
「よくわからないけど……。責めちゃいけない気がする。多分、月子さん自身、これではよくないとわかってるんだけど、うまく行動に移せないんだと思う」
「どういうことだ?」
「仕事のことでもね、自分の存在価値がないとか言ってたらしいし。最近よく聞く、自己肯定感が持てないのかもね。鬱まではいかなくても。仕事での役職やお給料のこともあるし。そこに体調が悪いとなったら、やる気が出なくなってしまったのかも」
「なんだよ、それ、自己肯定感?」
理解できないと言いたげな光太郎。
「あのさ、これから私、ちょっと芝居がかったこと言うけど、否定しないでくれる?」
「芝居?月子に?」
「少しだけ、お世辞とか言うけど、同意して。北風と太陽の物語よ」
納得がいかない様子の光太郎を残して、リビングの月子たちのところに戻る。積み上げられた段ボールの中から、目についたものを取り出す。
「あ、これテレビでやってたやつだ、なかなか手に入らないんでしょ?私も欲しかったんだけど」
水を使わずに料理ができるという鍋。美味しいカレーができるとか野菜の栄養が逃げないとか紹介されて、あっというまに人気になって半年待ちになったホーロー鍋だ。
「テレビで人気になる前だったから、すぐに届いたわよ」
つっけんどんな、月子の返事。かまわずに私は続ける。
「そうなの?いいなぁ。あ、こっちの掃除機は?」
勝手に床を掃除してくれるお掃除ロボットを取り出す。
「それはね、水拭きもできるやつ、最新型よ」
「ホント?すごいのね、これがあると掃除も楽だよね、いいなぁ」
もっとも今のこの家の状態では、ロボット掃除機なんて動けるスペースがないけど。ほかにも美顔器や浄水器を出して、月子に説明してもらう。最初は億劫そうだった月子も、私の質問にちゃんと答えてくれた。
「月子さん、すごいね、先見の明があるんだね。ほとんどブームになる前に手に入れてるものばかりだもん」
「そりゃあね、涼子さんみたいにボーっと過ごしてないわよ。仕事だって忙しいし」
マウントを取ったよう顔つきになり、だんだんといつもの月子らしくなってきた。
「ホント、すごいよ月子さんは。ずっとフルタイムで働いてるし。家事もこなして私には真似できないよ」
少しだけ大げさに月子を誉める。光太郎は、そんな私を見て目をぱちくりさせている。“お金の亡者のような月子とは付き合いたくない”と、この前言ったばかりだから。けれど、このままでは、我が家も巻き込まれそうな気がする。それだけは避けなければ。
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