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大きなプロジェクトの山場だというのに、シズカのミスが目立っていた。
ミスと言ってもほんの些細なものだが「彼女らしくない」と周囲からは心配の声があがる。
書類の束を抱えたまま、窓の外をぼんやりと見つめるシズカ。
その背中に、鋭い声が飛ぶ。
上司「シズ、仕事に私情を持ち込むなとは言わないけど
効率を落とすなら話は別だ」
デスクでペンを走らせていた上司が、顔を上げずに告げた。
彼女にとって、シズカは最も信頼する部下であり、自分の「光の世界」を象徴する教え子でもあり
シズカにとっても彼女は「上司」としても「女性」としても憧れている存在である。
シズカ「……申し訳ありません
実は、少し……相談に乗っていただきたいことがありまして……」
シズカは意を決して、最近バーで出会った「ある男性」について話し始めた。
シズカ「とても紳士的な方なんです
でも……驚くほど肌が白くて、陽の光を避けて生きてきたような、生白い色をしていて
髪はダークブラウンのうねった髪を、いつも後ろで無造作に束ねていらっしゃいます」
上司の手が、わずかに止まる。
シズカ「切れ長の目に、整えられた髭……
枯れたようなダンディさがあるのに、時折、とても悲しそうな目をされるんです
その方が、ご自身のお仕事を……『清掃業』だと仰っていて……」
上司はペンを置き、ゆっくりと背もたれに体を預けた。
その瞳には、上司としての冷静さと、身内に「裏の人間」を抱える者としての「嗅覚」が宿っていた。
上司「清掃業、ね
シズ、その男の手はどうだった?
特徴は?」
シズカ「……指が細長くて、男性的な手でした
肉体労働をされている方の手にはあまり見えませんでした……
それで、爪は深爪なほどに短く切り揃えられていて、清潔感があるんです
でも、私の手が触れそうになった時に、反射的に避けられました
まるで、どちらかの手が汚物だと思っているみたいに……」
上司の眉が、鋭く跳ねた。
「生白い肌」「深爪で細長い手」「清掃業という隠語」。
それは、直接的な暴力を振るう下っ端ではなく、死体や不始末を「消す」ことに特化した、裏社会の専門職の記号だ。
上司は椅子から立ち上がり、窓の外を見下ろした。
そこには、彼女が「身内」を切り捨ててまで守り抜いている、清潔な街が広がっている。
上司「シズ、はっきり言うぞ
その男は間違いなく『反社会的勢力』の人間だ
それも、現場の汚れを知りながら指揮を執る、根深い闇の一部だ」
シズカ「……っ」
上司「その男が言う『清掃』は、比喩だ
死体、不始末、あるいは目障りな人間そのもの
賢いあんたなら薄々気がついていたんじゃないのか?」
シズカ「……」
女性「……いいか? 暴力団員との交際なんて、バレれば一発でクビだ
積み上げてきたキャリアも、この会社での居場所も、全部シュレッダーにかけられることになるぞ」
「父と同じ」だと確信したシズカは、血の気が引くのを感じる。
だが、自分の父が「反社会的勢力」
それも「親玉」であることは、憧れの上司である彼女にだけは絶対に知られてはいけない。
シズカ「……やはり、そうでしょうか」
上司「その男は『毒』だ
本人がどれほど優しくても、その存在自体があんたの人生を腐らせる
……あんたの人生を、そんな掃き溜めの住人に壊させるわけにはいかない
2度と会わないと約束しなさい
これは、あんたの人生を守るための命令だ」
彼女の言葉は、真実だった
彼女自身、身内の「毒」を隠し通すために、どれほどの孤独を味わってきたか。
シズカは深く頭を下げた。
シズカ「……はい
ご忠告、ありがとうございます」
2人の女性は、互いに「身内の極道」という最大の秘密を抱えながら、冷たい静寂の中で向き合っていた。
─── ───
時刻は午後8時を回った頃。
『界転組』の事務所の組長室では、対照的な2人の男が時間を潰していた。
新界は特注のロックグラスを傾け、琥珀色の液体を転がしながらソファにふんぞり返り
黒瀬は自分のデスクで静かにノートパソコンを叩いている。
新界「……黒瀬ぇ
お前、いつまで仕事してんだよ」
黒瀬「誰もがあなたのように、二日酔いで昼過ぎに事務所に来てソファで高いびきをかくだけでシノギが完結するわけではないのですよ」
新界が「あぁん?」と凄んでみせたその時、内線が回ってきた。
下っ端「組長!お電話です!
女の声で「組長を出せ」と……」
新界「あん?誰からだ?」
下っ端「それが……「組長を出せ」の一点張りで……」
新界「……繋げ」
新界は怪訝な顔のまま受話器を取る。
新界「俺だ」
??『「俺」なんて奴に電話した覚えはねぇよ……』
新界「……っ!?」
??『久しぶりだな正人……
私が誰だかわかるよな……?』
新界「……よう、姉貴
こんな夜更けに何の用だ?」
優子『あんたの周りの、その不潔で品性の欠片もない奴に伝えな
私の、会社の、大事な部下に手を出している不届き者がいるんだよ』
受話器から漏れるのは、自宅の書斎でワイングラスを片手にしているであろう新界の姉、優子の、氷点下の声だった。
新界「……あぁ? 何の話だよ
俺の周りは馬鹿でクズでロクデナシな連中ばっかだが、カタギの女に手を出すようなマメな奴は……」
優子『特徴は肌がなまっ白くて、指が細長くて、髪を後ろで括った髭面の男
……清掃業なんてふざけた言い回しで、私の可愛い部下をたぶらかしている毒ネズミだよ』
新界の脳裏に、真っ先に1人の男の顔が浮かんだ
新界「(……天利だ
間違いねえ、アイツだ!)」
優子『正人、もしその男を野放しにするなら、あんたもそいつも組ごと東京湾に沈めて更地にしてやる
私のかわりに政治家やるってんなら今の言葉は忘れてやってもいい
……返事は?』
新界は受話器を握りしめた。
新界「……ハッ、更地か
ずいぶんと物騒だな
だが、いくら姉貴とはいえ
あんま俺らをナメねぇ方がいいぞ?
カタギの女を1人消すくらい
朝飯なんだからよ」
優子『その“清掃業の男”にでもやらせる気か?』
新界「安心しろよ姉貴。俺の周りにそんな『洒落たヤクザ』はいねぇし心当たりも全くなしだ」
優子『そう、ならいい
……もし嘘だったら、次の正月は刑務所の面会室で迎えさせるからな 』
プツリ、と非情な電子音が響く。
新界は受話器を置くと、グラスに残った酒を一気に煽った。
新界「……黒瀬。今すぐ天利に連絡しろ。
あのアホ、よりによって姉貴の部下を食いやがった……!」
黒瀬「おや。更地にされる前に、ご自分で掃除しに行かれるのですか? 」
「うるせえ! アイツがどうなろうと知ったこっちゃねぇが、俺まで巻き添えを食うのは御免だ!」
新界は真っ白なジャケットを掴み取ると、夜の街へと飛び出していった
背後で黒瀬がと毒づく声も聞こえないほどの速さで。
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