了解しました。第9話「本日のログは保存されません」は、“ログに残らない会話”という異常な状態を通して、**記録されない「空白の時間」**を描きます。
心にだけ残るものをテーマに仕上げています。
🍽 みりん亭 第9話「本日のログは保存されません」
その日のみりん亭には、静かすぎる違和感があった。
厨房に立つくもいさんが、ログイン時の通知音に小さく首をかしげる。
「……?」
やまひろは空中のログを見て、目をまるくした。
エラー:ログ保存システム一時停止中
保存領域:未割り当て
状態:仮ログ運用(再起動不可)
「……うわ、今日だけログ、記録できないのか」
鳥の姿の彼は、光る羽を少し震わせたが、すぐにログを閉じた。
「ログ、残らないの?」
暖簾をくぐって現れたのは、白いシャツワンピースにニットベレー帽をかぶった女性アバターだった。
目元はやわらかく、髪は黒のボブスタイル。
アクセサリーはひとつもなく、手にはスマホのような端末を持っている。
だがその画面はずっとロックされていて、彼女はそれをただ“持っているだけ”のようだった。
「はい、本日は……記録のない営業となっております」
くもいさんは、変わらず丁寧に和装を着こなし、
今日は胸元に“お試し営業”と書かれた木札をぶら下げていた。
それでも彼女の表情は、静かで、ぶれない。
「じゃあ、ちょうどいいや」
女性はふっと笑い、カウンターに腰を下ろす。
「ログに残らないなら、……“言ってもいいこと”って、ある気がする」
料理は、出されない。
代わりに、テーブルにうすい金色の光が差す。
くもいさんがそっと座り、女性の言葉を受け取るように目を閉じた。
「私ね、いま誰にも会いたくないけど、
……誰かに“わかってほしい”って、思ってるの。矛盾してるよね」
「でもさ、わかってくれなくていいの。
“今の私がここにいた”ってだけ、記録されたくなかった。
だから、こういう日があってよかった」
やまひろは棚の上から見ていた。
ログは何も残っていない。画面はすべて空欄。
羽で叩いても、ファイルは作成されなかった。
コメント:
// 何もない1日
// 記録されなかったからこそ、“本音”だったのかも
女性が席を立つとき、くもいさんがそっと言った。
「ログには残せませんが、心には残りました」
女性は笑って、こう返した。
「それ、ちょっとずるい言葉だね。……でも、ありがとう」
その日、みりん亭の記録は完全に無かった。
でも、その中にだけ、嘘のない気持ちが浮かび上がっていた。