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猫塚ルイ

穂乃果の小さな温もりに包まれながら、ナオミの肩の震えは、長い時間をかけてゆっくりと収まっていった。
けれど、ナオミの大きな手は、まだ離したら消えてしまうとでも言うように、穂乃果の背中を愛おしそうに強く抱きしめたままだ。穂乃果もまた、何も言わずに、ただその広い背中を優しく擦り続けていた。
やがて、ナオミは顔を上げると、ふっと自嘲気味な、けれど酷く穏やかな笑みを浮かべた。
「……アタシね、小さい頃からずっと、可愛いものが大好きだったのよ」
ナオミの唇から溢れ出たのは、夜の街のママのものではない、一人の男――織田健司としての、静かな告白だった。
「洋服も持ち物も、本当は綺麗な色のものが欲しかったし、可愛い小物を持ちたかった。髪を短くするのも嫌でね、いつも校則ギリギリの長さを保ってたわ。……でも同時に、男の子らしくカッコいいヒーロー物も大好きだったの。不思議でしょう? でも、アタシが感じる『好き』は、周りの男の子たちのそれとは少し違ってた。女の子がアイドルにハマるような、そんな感覚に近かったのよ」
そんな自分はおかしいのではないか。そう思いつつも、両親は厳格で、ことあるごとに「男の子らしくしなさい」と実の枠をはめ込んできた。
健司はただ、心を押し殺し、我慢し続けて育つしかなかったのだと語る。
その歪みが一気に解放されたのが、大学に入学し、一人暮らしを始めた時だった。
「自由だったわ。誰もアタシを縛らない。だから、アタシの部屋は、誰にも見せられない沢山の女性ものの服や化粧品で溢れかえるようになったの。外では完璧な『織田健司』として振る舞って、家の中だけでひっそりと化粧をして、女物の服を着て満足する。そんな、今思えば不格好で、歪な生活を送っていたのね」
そんなある日、健司に初めての恋人ができた。それが、さっきの女――直美だった。
少し気が強くて、気の弱い健司の腕をぐいぐいと引っ張ってくれるような女性。人の輪が苦手で周囲を避けていた健司を、サークルや合コンへと連れ出し、自分の知らなかった鮮やかな世界を教えてくれた人。
女性との、初めての夜の相手も彼女だった。
「公私ともに充実して、毎日が本当に楽しかった。……あの日まではね」
ナオミの声音が、一瞬だけ硬く冷える。穂乃果は重ねた手に、きゅっと力を込めた。
「ある日突然、直美が『健司の家に行ってみたい』と言い出したのよ。それまではずっと大学の敷地内か、外でしか会っていなかったから、本当に戸惑ったわ。……でも、直美なら。世界を広げてくれた彼女なら、アタシのこの半分を、受け入れてくれるかもしれないって。そんな淡い期待を抱いて、部屋に呼んだの」
だが、現実は残酷だった。
部屋中に広がる化粧品や、クローゼットに並ぶ女性ものの洋服を見た瞬間、直美の顔色が一変した。
そして吐き捨てられた、冷徹な一言。――『気持ちが悪い』。
「そこからの大学生活は、本当の意味での地獄だったわ。直美は人脈が広かったから。アタシに女装趣味があることは、瞬く間に学校中に言い触らされた。昨日まで笑い合っていた友人たちは、掌を返したようにアタシから離れていった。アタシはまた、一人きりになったのよ」
それでも大学を辞めなかったのは、専攻していた調理の勉強を全うし、「いつか自分の店を持ちたい」という強い夢があったからだった。裏切りの傷に血を流しながらも、健司は孤独の中で前だけを見つめていた。
そしてその時、健司は心の中で、固く固く誓ったのだ。
――『もう二度と、女性を愛することは辞めよう』と。一人でだって、生きていけるのだから、と。
「大学の卒業間近、ふらりと立ち寄ったのが、新宿2丁目のオカマバーだったわ。驚いたわよ。そこではね、アタシがどんな格好をしていようが、誰も否定しなかった。生まれて初めて、自分の居場所を見つけたような感覚だった」
ナオミはそこで、一度言葉を切ると、穂乃果の目を真っ直ぐに見つめた。
その瞳の奥にある、覚悟の光。
「その店で、初めて『名前は?』って聞かれたとき、咄嗟に口から出てきたのが、自分を奈落の底に突き落としたあの女の名前……『ナオミ』だったの」
「え……っ」
「アタシが何故ナオミって名乗っているのか。それはね、穂乃果。アタシが過去の傷を忘れないための……二度と女を信じて溺れないための楔みたいなものかしら」
直美(なおみ)という呪いのような名前をあえて自らに刻み、自らを『ナオミ』と呼ぶことで、彼は心を頑丈な城壁で守ってきたのだ。そうして女性への不信感を盾に、誰も内側へ入れないように生きてきた。
「そんな理由で……一人でずっと、背負ってたんですか?」
ぽろぽろと目から大粒の涙を溢れさせながら、穂乃果は掠れた声で問いかけた。自分のことのように胸を痛め、泣いてくれる穂乃果を、ナオミはどこか愛おしそうに、そして酷く遠い目で見つめる。
コメント
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ナオミの過去が明かされて胸が締め付けられた……。女装趣味を否定され、「気持ち悪い」って一言で傷つけられた経験、そしてその相手の名前をわざと名乗ることで自分を戒めてきたってのが切なすぎる。でも、穂乃果が泣きながら「一人で背負ってたんですか」って問いかけたシーンで、ようやく本当の意味で彼女に心を開く瞬間が来た気がしてグッときた。かんなさんの丁寧な心情描写、刺さりました🔥