テラーノベル
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「そうね。最初は皮肉のつもりだったの。でも、名乗ってるうちにだんだんと傷ごと自分になっちゃったのよ」
ふっ、と力なく笑うナオミの横顔は、やはりどこか寂しげだった。
傷を隠すための鎧が、いつしか肉体の一部になってしまっていた。そのあまりの孤独の深さに、穂乃果の胸は張り裂けそうになる。
けれど、ナオミは自嘲の笑みをふわりと和らげると、愛おしそうに穂乃果の涙を大きな指先でそっと 拭った。
「でもね、BLACK CATをオープンさせて、自分の店を持った時、一人じゃないって思ったの。――うちの常連に理人っているでしょう?」
ナオミの口から出たのは、結構な頻度でお店に顔を出している、ちょっと強面な会社員の男性の名だった。
「はい。いつも瀬名さんって言う方と一緒に居る人ですよね」
「そう。彼は、アタシの高校からの友人なんだけど、女装したアタシを初めて見て、なんて言ったと思う? 『お前らしくて、いいじゃねぇか。でも、もうちょっと化粧が上手くならないとだな……元は可愛いのに勿体ねぇ』って! 10年も会ってなかったのに」
ふふ、と今度はいつものナオミらしく、悪戯っぽく、けれどどこか誇らしげに鼻を鳴らす。
「その時、感じたの。アタシ、一人じゃないんだって。ちゃんと受け入れてくれる人がいる……。それだけで充分だったの」
世界中を敵に回したあの絶望の淵で、健司という人間の本質をずっと分かっていた、変わらない友の存在。10年という空白の時間を一瞬で飛び越えて、理人がくれた不器用で、けれど絶対の肯定の言葉こそが、彼が暗闇から這い上がるための光だったのだ。
ナオミは潤んだ瞳のまま呆然と自分を見上げている穂乃果の頬を、大きな両手で優しく包み込んだ。その掌は、驚くほど熱い。
「それに今は――こうやってアタシの為に泣いてくれるアンタが居る……」
愛しそうに見つめられ、二人の間に、すっと静かな沈黙が落ちた。
窓の外から差し込む柔らかな光が、ソファに並ぶ二人を輪郭づけている。
頬を包むナオミの掌から、その熱い体温が、穂乃果の肌へと直に伝わってくる。じっと自分だけを映すナオミの濡れた瞳に射すくめられ、穂乃果はドクン、と胸が跳ねるのを感じた。
自分の頬を包むナオミの大きな手が、微かに、いとおしむように震える。
ナオミは長い睫毛を少しだけ伏せ、それから、ほんの一瞬躊躇うように視線を窓の外に向けた。
その切れ長の瞳が、言葉には出来ないほど激しく揺れる。
それは、10年間守り続けてきた頑なな城壁を自ら壊すことへの戸惑いか、あるいは、二度と誰も愛さないと誓ったあの日の孤独な自分への決別か。
窓から差し込む光を浴びながら、ナオミは小さく、深く、何かを覚悟するように息を吸い込んだ。
そして――ゆっくりと、今度は迷いのない真っ直ぐな視線で穂乃果を見つめ直すと、今まで聞いたどの声よりも優しく、熱い地声を響かせた。
「アンタが好きよ。穂乃果……」
その言葉がリビングの空気に溶けた瞬間、穂乃果は息をすることさえ忘れてしまった。
もう、バーのきらびやかなママとしての言葉ではない。
かつて深く傷つき、二度と誰も愛さないと誓った一人の男が、その胸の奥の城壁をすべて取り払い、命を吹き込むようにして紡ぎ出した、剥き出しの本音だった。
ナオミの顔が、ゆっくりと近づいてくる。
穂乃果の視界が、ナオミの美しい瞳と、そこから漂う濃厚なムスクの香りで満たされていく。
拒む理由なんて、どこにもなかった。穂乃果はそっと、重い瞼を閉じた。
コメント
1件
おお、第90話、ついに来たね…!ナオミの「傷ごと自分になっちゃった」って台詞、重すぎてぐっときたわ。鎧が肉になっちゃう感覚、分かる気がする。でも理人くんの「お前らしくて良いじゃねぇか」が効いてて、そこから一人じゃないって気付く流れが自然で泣ける。最後の告白、地声で「好きよ」は反則だろ…穂乃果が瞼閉じるシーン、画面の前で固まっちゃったよ。二人の関係がここまで来たかと思うと感慨深いな…!
猫塚ルイ
