「……ごめん」
その一言だけ置いて、私は走った。この部屋から飛び出し、螺旋階段を駆けた。数年ぶりに直接浴びた日の光は、まだ穏やかな角度をしていたぶん鋭かった。
鈍った体は水を吸った服のように、肥えていて重い。足を浮かせるたびに関節がわめく。足首が特に錆びており、可動域が極めて狭い。こういった久しぶりの運動の際は、肺が辛いという印象を持っていたが、正直それ以前にのどが痛む。
後ろを振り返ることはできなかった。彼女が追ってきてくれて、しまっているのか。それを確認することが、何よりの恐怖だった。
何かの青春映画みたいに空へ叫ぶ。周りへの迷惑や一目などは気にならなかった。ただこの激昂をどのような形であろうと吐き出したかった。
しのちゃんの誘いは嬉しかった。だが、再び小説を書きたいと思ってしまった自分は許せなかった。ようやく目が覚めたのだ。恋とはそういったものなのかもしれないが、今は結婚のために妊娠を偽るなんて所業は信じられない。黒歴史だなんて言葉では片付けられないほどに、自分を殺してしまいたい気持ちで満ちている。
「おい、あれ誉田美蘭じゃね?」
「うぇーいっ。はい、ピース!」
「え、うわ、マジやん」
「……きも」
「まだのうのうと生きてたんだ」
魔女の火刑のように鳴るシャッター。すれ違いざまに誰かも知らぬ赤の他人が、私を噴飯する。そこに一切の悪気はなく、当然であると理解さえできる。
そう、これが現実であり、受けるべき裁き。私には、この先の人生すべての瞬間において、なぜあのような行動に至ったのかを永遠に思考する義務がある。とてもじゃないが、小説というものに触れあっていいような人間ではない。
靴のかかとを踏んでいたため、自然と脱げた。
立ち止まると、ちょうど左手に朝日があった。
射張橋、ケーブルの隙間からの景色は、檻の外のように思えた。水面を跳ねる煌めきは、どこまでも妄想的な夢であった。
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