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#ワンナイトラブ
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結局、その日は言われたとおり私の方が帰宅するのが早くって、真っ暗な部屋が出迎えた。
この部屋にはもう二ヶ月くらいいるけれど、常葉くんが待ってくれている方が多かったから、暗い部屋に帰るのは数えるくらいしか無かったな。
鼻の奥がツンとするのを堪えて、部屋に入る前に疲れた体をソファーで休めた。
ご飯を作る気力もどうしてかなくて、地下のスーパーで買った惣菜をあっためて、一人、それを胃の中に掻き入れ、お風呂で熱を入れ替えた。
お風呂上がりの最高の贅沢なのに、全然ビールも美味しくない。
随分と常葉くんの帰りを待ったけど結局その日は私が眠りに付くまで彼は帰ってこなかった。
「穂波さんが帰ってきてくれて、やっと仕事が片付き始めました〜」
翌日、出社早々橘さんから嬉々とした表情を貰うけれど凛として「そうですか」とだけ返事をしてパソコンに向かった。
溜め込まれていた書類を見れば業務が滞っていた様子は目に浮かぶし、この先一、二週間残業が続くことも想像に容易い。
気持ちを切り替えて日常業務に臨もうとしていれば、「マーケに書類確認よろしく」とか、ふとした瞬間に彼と結びつく単語を聞くから困ったものだ。
「穂波さん、これお願いします」
「了解です」
昨日、スマホと随分睨めっこをして、何とか二、三軒条件にヒットするお部屋があったから、早速明日行ってみよう。
……明日はちゃんとお掃除もして、ご飯作って……
考え始めると情けなく目の奥が熱を帯びるから、瞬きの回数を増やしてそれをかき消し、机に乗る書類に確認印を押す。
「課長、午前中の書類の確認お願いします」
「おー、お疲れ、そこ置いといて」
それで、ちゃんと、この気持ちも片付けよう。
今日の業務も残りわずか。仕事も終わりの兆しが見えてきていれば、突然「穂波ぃ、居るか」と、煽るように大きな声がオフィス内に響いた。
皆がその姿を確認したのだろう、室内の些細な音が一切消えて、しんと静まり返った。
嫌でも背筋は伸びるのに、気分は全く乗らない。総務部長だったからだ。
何もした覚えは無いけれど、なんの用だろう。
怯えながらも「はい」と返事だけは逞しく慎重に彼の前へ進む。
そうして目の前にやって来ると、部長は私の目の前に一枚の紙切れを差し出した。
「この修理依頼書、コピー機200台ってなんだ」
に……200台……。
「こんな新人みたいなミス、誰がする?あぁ?」
やったのは新人だろうけれど、印鑑を押したのは紛れもない私だ。だから慌てて腰を折る。
「申し訳ございません、確認ミスです」
課長には見せたんだけどな、そう思っても、彼は助け舟を寄越す人では無いのですぐに諦めてみせる。
総務部長は苦手だ。恫喝めいた怒号も、ネチネチ蛇みたいな叱責も、見せしめのようにオフィスの入口で喚き散らすやり口も、周囲の気を引き締めるようにとパフォーマンスの一環なのだ。
分かっているんだけどな。
分かっているから、いつもは受け流す。
「穂波、お前何年目だ?お前みたいなやつが気が緩んできてるから新人が育たねぇんだよ」
「はい、申し訳ございません」
だけど、こんなミスを見抜けなかった私の責任だ。
あの時何をしていたかって、
ずっと自分のことしか考えて無かったから、
常葉くんの事しか考えて無かったから、
「新人を教育する立場だろうが、だから無駄な労力が居るし、無駄な残業も嵩む、分かるか?あ?」
「はい」
表情を固めろ、受け流そう。
いつもそうしていたように、早く、能面被ってやり過ごそう。だけど、綻んだ心にヒビが入る。
「特に最近の事務課は弛んでる!提出物も期日を守らないし、責任感が全くない!」
「申し訳ございません、それは」
「すぐに言い訳をするな!」
…………だめだ。
「……申し訳ございません」
…………今日は、受け流せない。