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テラーノベルの小説コンテスト 第4回テノコン 2025年1月10日〜3月31日まで
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 エリシアの大門。イダンリネア王国とマリアーヌ段丘を隔てる巨大な門であり、エリシア門と略されることも多い。

 内側に籠っていれば、もちろん安全だ。魔物という外敵がいないのだから、王国民はその中で平和な日常を過ごすことになる。

 青空の下、その門をくぐる三人の男女。彼らの目的地はその先の草原地帯であり、緑色の風に吹かれながら、先頭の男が左前方を指差す。


「あそこら辺でいいっすかね?」


 この提案に対し、最後尾の少女は眉をひそめてしまう。つまりは不服ということだ。


「エリシア門の守衛が近くない?」


 彼女の名前はネイ。年齢よりも幼く見える理由は、背丈の低さが原因か。黒髪をポニーテールのように左耳近くで束ねていることも関係しているのかもしれない。

 しかし、この少女はただの子供ではなく、本物の実力者だ。

 魔物の皮を使った軽鎧を装着しており、腰の短剣も飾りではない。

 顔つき自体は幼いものの、その表情は幾多の戦場を渡り歩いた猛者そのものに見える。


「むしろあの人達から離れたくないなぁと思いまして……。だってほら、回復魔法欲しいじゃないっすか」


 茶髪のおかっぱ頭を揺らしながら、先頭の男が立ち止まる。

 名前はキール。掴みどころのない風貌ながらも、この中では最年長だ。

 しかしながら、立ち位置はネイより低く、方針の決定は彼女に委ねられる。


「まぁ、確かに? 今からこいつをボコボコにするんだし、その方がいいのかな?」

(僕ってやっぱりボコボコにされるのか……。なんか悪いことした?)


 見知らぬ二人に挟まれながら、エウィンは静かに肩を落とす。

 心当たりがない。

 そもそも、前後の男女が誰なのか、それすらもわからない。

 つまりは赤の他人に喧嘩を売られてしまったのだが、気づけば領土外まで連行されてしまった。

 前方にはマリアーヌ段丘が広がっており、その青さがただただ眩い。

 後方の壁は王国護衛のため、どっしりと構えている。魔物にとっては行き止まりながらも、エウィンにとっては帰る場所そのものだ。

 草の匂いを肺一杯に吸い込みながら、少年は項垂れることしか出来ない。人間相手に戦ったことなどなく、ましてや戦う理由すら見当たらないのだから、降参でも構わないはずだ。

 しかし、彼女らがそれを許さない。


「さあさあ、エウィンさん、あちらへどうぞ。いや~、ホント申し訳ない、これも任務なもんで」

「余計なこと言わないでいいから」


 エウィンの意思などお構いなしだ。二人には二人の事情があり、仕事を片付けるためにもこの浮浪者を痛めつけるつもりでいる。

 エリシアの大門から徐々に遠ざかる三人だが、真ん中を歩く少年は恐る恐る問いかけずにはいられなかった。


「あの~、そろそろ事情を話してもらいたい……」

「うっさい、黙って歩け。後ろから蹴るよ?」

(こ、怖すぎる……)


 ギルド会館からここまで説明は一切なかったため、エウィンが知り得た情報は彼らの名前くらいか。


「ははは、エウィンさん、すみません。妹あねさんって見た目通り短気なんで」

「おい! その顔、蹴り飛ばされたい⁉」


 彼女は細足を露出しているものの、その脚力には自信がある。

 蹴られた場合、どうなるのか? それを知っているキールは、冷や汗をかきながら逃げるように引率を続ける。

 歩くこと数分、キールが立ち止まれば、その瞬間からそこは戦場だ。王国の出入り口からはさほど離れておらず、振り返れば巨大な壁が三人を見下ろしている。

 門番を務める二人の軍人も遠方に立っており、裏を返せば彼らからもエウィン達の様子が観察可能なはずだ。


「それじゃ、ここらで……。妹あねさん、やっぱり俺っすか?」


 ずれた靴を直すように、キールが爪先で大地を小突く。

 標的の連行を終えたのだから、ここからは次のステップだ。それをわかっているからこそ、男は念のため、相方に確認を取った。


「私じゃ一方的過ぎるからね、あんたに任せるわ。そもそも浮浪者なんかに触りたくないし」

(酷い、毎日水浴びしてるのに……)


 言い訳のようだが、事実でもある。

 エウィンは浮浪者の中では綺麗好きな方だ。

 住み着いた小屋にはレジャーシートを敷いており、定期的に取り換えている。

 壁や屋根の隙間も可能な範囲で塞いでおり、失われた扉も木板で代用した。

 水浴びと洗濯も欠かさない。

 それでもネイに悪態をつかれる理由は、着ている衣服があまりにボロボロだからだ。

 緑色のカーディガンはすっかり色褪せ、ズボンも破れて穴だらけ。自身を清潔に保っていようと、その容姿は紛れもなく浮浪者だ。第三者が顔をしかめるのも当然だろう。


「了解っす。エウィンさん、準備の方いいっすか?」

「あ、いや、その……」


 キールの一方的な物言いに、少年はたじろぐことしか出来ない。半ば強制的に連れて来られただけなのだから、準備はおろかやる気すら見当たらない。

 口ごもってはしまったが、エウィンはこのタイミングで再度意思を伝える。


「やっぱり、僕は戦いたくありません。だって、理由がありませんから……」


 落ち着いた口調で当然の主張を口にするも、彼女にはそれが腹立たしいのか、一人だけ離れた位置で男達を眺めながらネイが声を荒げる。


「こっちにはあるの! あんたまさか、私達から逃げられるとでも思ってる? だとしたら馬鹿過ぎ! 仮に私達をまけたとしても、次は寝込みを襲うだけ。なんなら、同居人を人質にとってもいいんだからね?」


 この瞬間、エウィンは自身の立ち位置をぼんやりと把握し終える。

 自分の素性について、強くなれたことも含めてバレていること。

 アゲハを匿っていること。

 そして、謎の二人組が本気だということも。

 動機については未だに不明だが、もはや観念するしかなかった。

 静かに覚悟を決めるエウィンを他所に、ネイは見下すように講釈を垂れる。


「戦う戦わないの選択肢はあんたにないの! それを決めるのは仕掛ける方だけ! そして、あんたは私達に見つかった! だったらボコボコにやられるか反撃するか、そのどちらかなの! キール! さっさと剣を抜きなさい!」

「いやいや、妹あねさん、武器の使用くらいは選ばせてあげましょうよ。なんせ、エウィンさんのってブロンズダガーっすよ? これじゃ、勝負にならない。と言うことでエウィンさん、その武器、使いますか? あ、俺はどっちでも構わないっす」


 この場は彼らの支配下だ。

 エウィンに選択の機会はないのだが、このタイミングで選ぶことを許された。

 凶器を用いて殺し合うのか?

 素手で殴り合うのか?

 もっとも、これについても選ばされるだけだった。


「僕のこれは刃が折れているので……。だから、使えないんです」


 腰の短剣は飾りのようなものだ。鞘に収まったそれをわずかに引き抜くと、エウィンの言葉通り、ポッキリと折れてしまっている。ただでさえ短い刃が半分以上も失われており、凶器としては不十分だ。


(なんか、さらに罵倒されそうだな……)


 不格好なブロンズダガーをしまいながら、エウィンはさらなる怒声に身構える。

 武具は傭兵にとって大事な仕事道具だ。それが壊れたにも関わらず、買い替えてすらいないのだから、仕事に取り組む姿勢そのものを疑われたとしても仕方ない。

 傭兵としては落第だ。

 貧困を言い訳に、折れた短剣を携帯し続けている。そのこと自体はやむを得ないものの、他者から罵られたとしても反論の余地などない。

 エウィンもそれは重々承知だ。

 だからこそ、自分の不甲斐なさを恥じている。

 同時に、身構えてしまう。

 次の瞬間にも、客席の少女に笑われるか叱られるのだろう。そう予想するも、状況は違う方向へ動き出した。


「キール! こいつはあれだ、あれ。最初から本気でいかないと、あんたじゃ勝負にすらならないよ!」

「わかってますって。初めからそうだろうと思ってましたよ。むしろ今の今まで気づけてなかったんすか? ほんと、相手の力量を見誤りますよね、いつも……」

「うっさい! 後で蹴るからね!」


 エウィンを放置したまま、彼らの最終確認が完了する。

 このタイミングで実力を評価された理由などわかるはずもなく、少年は不思議そうにやり取りを見届けてしまう。

 一方、キールは背中の片手剣を鞘ごと捨て、右腕をグルグルと回しだす。

 戦う前の準備運動だ。

 つまりは、今すぐにでも始まってしまう。


「どうせ蹴られるなら、あねさんに蹴られないっす。それはさておき……、エウィンさん! 何も訊かずに戦ってください!」

「そ、そんな……」


 ネイとは対照的に、この青年はいくらか礼儀正しい。

 少なくとも喧嘩腰ではないのだが、そうであろうと拒否権を与えるかどうかは別だ。眼前の傭兵に恨みなどないのだが、これも仕事だと割り切っており、エウィンの顔が怯んでいようとお構いなしに闘志を燃やす。


「お互い、素手。実は、俺にとっては好条件なんすよね。そこんところ、申し訳ないっす。それじゃ、いきますよ」


 謝罪するようにその事実を打ち明けるも、具体的なことは述べない。これから戦う相手に自分の手の内を明かすつもりなどなく、今まさに繰り出す先制攻撃も、ある意味では奇襲そのものだ。


「フレイム」


 茶色のキノコヘアーを躍らせながら、男が光に包まれる。それはたった一秒の発光現象ながらも、奇跡を引き起こすには十分な時間だ。

 手続きの完了と共に、小さな炎がキールの眼前に出現する。それは油を注がれたように膨張を続け、気づけ詠唱者の頭部よりも大きく膨れ上がる。

 これが何なのか? エウィンは知識だけなら持ち合わせているものの、実体験はほとんどないことから、反応は遅れてしまう。


「しまっ⁉」


 大砲を想起するほどの出力で、撃ち出された火の玉。それは次の瞬間には標的との距離を詰め終え、着弾は今まさに成される。

 狙われた人物は当然ながらエウィンだ。

 驚きの余り、体は動いてはくれない。

 ゆえに、迫る火球への対処などおおよそ不可能だ。

 この瞬間、少年は走馬灯のような時間を経験するも、轟々と燃える塊を眺めながら考えたことは、家族やアゲハではなく戦況の分析だった。


(攻撃魔法のフレイム、キールさんの戦闘系統は魔攻系か。なるほど、素手同士なら魔法が使える分、確かに有利に戦えるのかも? フレイムって思ってたより速いんだな。だけど……)


 魔法の発射速度は、詠唱者の魔力に左右される。

 魔力とは身体能力の一つで、例えるなら腕力や脚力のようなものだ。魔力が高いほど、魔法の弾速だけでなく威力そのものが向上する。

 キールは手練れの実力者なのだろう。それを裏付けるように、発射された炎は間髪入れずにエウィンの元へたどり着いた。その速度は弓から放たれた矢に匹敵するほどゆえ、人間の反射神経では対応など不可能だ。

 そのはずだが、この傭兵には常識など当てはまらない。

 虚を突かれようと。

 初めての経験であろうと。

 問題ない。

 今にもぶつかりそうな火の玉を、背後へ倒れ込むように避けきってみせる。

 残念ながら不格好な避け方だった。腰を抜かしたようにも見えたが、その動作が早送りのような急加速だったことから、キールとネイは笑うよりも先に驚かされた。


「よけられたっす」

「速い……」


 一方、傭兵は草原に背中をつけながらも、見上げるようにフレイムの行く末を見届ける。

 役目を果たせなかったそれは、当然ながら進み続けるしかない。火球は行く当てもなく直進し、魔法の射程外にたどり着くや否や、燃料が切れたようにボスンと燃え尽きた。

 この瞬間、エウィンは得られた知識を一人静かに反芻する。


(さすが攻撃魔法の花形、迫力がすごかった。魔法の届く距離も魔力依存だったような気がするけど、キールさんの場合、何メートルくらいなのかな? クロスボウと比べると、幾分短そうだけど……)


 この推察は正しい。

 多くのケースで、攻撃魔法の射程は弓やクロスボウに劣る。そうであろうと遠距離攻撃としては優秀と言えるだろう。

 なぜなら、矢を必要とせず、ゆえにコストがかからない。

 もっとも、何も消耗しないわけでもない。

 魔法という神秘を発現させる際、使用者は自身の魔源をすり減らす。

 魔源とは目に見えぬ概念であり、近いものを挙げるならスタミナだろうか。走ると疲れ、最終的には動けなくなるように、魔法を使うと魔源が減ってしまう。スタミナ同様、時間経過で回復し、休憩を取ればより一層効果的だ。

 弓矢と違い出費せずに済むという点からと、攻撃魔法は優れた殺傷手段と言えよう。

 欠点を指摘するのなら、詠唱に数秒を必要とすることと、同じ魔法を間髪入れずに繰り返せないことか。再詠唱にもまた数秒のインターバルが必要なため、今回の場合、二個目の火の玉が即座に発射されることはない。

 もっとも、そのデメリットはいかようにも解消可能だ。


「アイスクル」


 氷のように冷たい声。それが意味することはただ一つ。

 同じ魔法が連続して使えないのなら、それ以外を選べば済む話だ。

 エウィンは寝そべったまま声の方へ顔を向けると、キールの正面に岩のような氷塊が浮かんでいた。

 それは男の眼前で冷気をまとっており、その使い道は予想通りだ。


(まずい!)


 アイスクル。生成した氷を相手にぶつける攻撃魔法。そういう意味ではフレイム以上に大砲弾を連想させるも、この魔法は被弾箇所を凍らせることが可能だ。

 物理的な破壊力と、細胞を壊死させるほどの凍傷。これらが組み合わさるのだから、生物相手には絶大な威力を誇る。

 詠唱は既に完了だ。そうであると主張するように、氷の塊は合図もなしにそこからいなくなる。

 消えたのではない。

 先ほどの魔法同様、発射された。

 行き先は仰向けのまま寝そべっている少年であり、その体勢ゆえ、機敏な動きは困難だ。

 キールもそれをわかっているからこそ、この魔法を急いだ。

 対戦相手が起き上がるよりも先に、二手目を撃ち込みたかった。初手を避けられた以上、紳士的な立ち振る舞いは手放す。

 その気概はおおよそ正しい。奇襲が二度も成功したのだから、アイスクルの命中は必然と言う他ない。

 以前のエウィンだったら、そうだったのだろう。


「うおおぉぉ!」


 雄たけびと共に、少年は横方向へグルグルと回りだす。最初こそ寝返りのようだったが、勢いそのままにコロコロと回り続けるのだから、そこがベッドの上なら即座に落下していた。

 しかし、ここは雑草生い茂る広大な大地。エウィンは気の向くまま、どこまでも転がっていける。

 もっとも、今は戦いの最中だ。このままでは防戦一方だとエウィンも承知しており、回転の勢いを利用して飛び跳ねるように立ち上がってみせる。


「危なかった!」


 思わず感想を口にするも、決して大袈裟ではない。

 なぜなら、撃ちだされた氷が地面を大きくえぐっている。反応が間に合わなければ、上半身か下半身、もしくはどちらもが潰されていたかもしれない。

 不格好ではあったが、アイスクルもやり過ごせた。

 エウィンが胸を撫でおろす一方、攻撃側は悔しいに決まっている。

 そのはずだが、冷静に追撃を試みるのだから、この男の胆力は相当だ。


「これならどうかな? ストーム」


 キールが三度輝くと、傭兵は攻撃魔法の不条理を身をもって知ることになる。

 目に見えない、無数の斬撃。それゆえに反応など出来るはずもなく、エウィンは全身を切り裂かれてしまう。

 顔も。

 薄緑色の衣服も。

 黒いズボンも。

 気づいた時には、一方的に斬られていた。

 ストーム。攻撃魔法の一種。風を司るこれは、例えるならかまいたちか。狙った場所に無風の嵐を起こし、対象を不可視のナイフで八つ裂きにする。

 フレイムやアイスクルとは異なり、何かを飛ばすわけではない。

 それゆえに勘を頼りに避難するしかないのだが、この少年は器用ではあるものの、そこまでの経験を積んではいないため、被弾は必然だ。


「う⁉」


 既に斬られた後ながらも、驚きの余り後方へ高く飛び跳ねる。随分と遅い条件反射ながらも、射程外への避難は正しい判断だ。

 しかし、離れることよりも上昇を優先するような跳躍だったことから、キールはその場から動かずに四発目を繰り出せた。


「やばいっすね。何はともあれ、グラニート」


 優勢であるはずの男が愚痴ってしまう。

 その理由は単純明快だ。

 実は、エウィンは着ている服が切り刻まれただけで、自身は傷一つ負っていない。むき出しの肌には切り傷一つついておらず、衣服の中も当然無傷だ。ゆえに出血は一切見当たらず、そういう意味ではこの跳躍に意味などなかった。

 キールのストームは見掛け倒しではない。マリアーヌ段丘の草原ウサギなら、この魔法一つで細切れに出来るほどだ。

 にも関わらず、この傭兵が負傷しなかった理由は、それ以上に頑丈だから。それ以上でもそれ以下でもない。

 自慢の魔法が通用しないと改めて見せつけられたのだから、キールはじわりと汗を浮かべるも、今はまだ腕試しの最中ゆえ、相手の戦力に肝を冷やしながらも攻撃を続ける。

 四手目に選んだ魔法がグラニートだ。対戦相手がふわりと浮かんだのなら、着地間際を狙えばよい。


(グラニートまで⁉ やばい! 次もかわせない!)


 降下の最中、エウィンは信じられない光景を目撃する。

 着地地点のやや前方の地面。そこもまた緑色の雑草達で生い茂っているのだが、モグラか何かが地中から顔を出そうとしているのか、わずかに盛り上がり始めた。

 そうであるのなら微笑ましいものの、残念ながら不正解だ。これは魔法によってもたらされた現象であり、傭兵は落下しながらも慌てた様子で防御の姿勢に移行する。

 グラニート。土を司る攻撃魔法。地面を急激な速度で盛り上がらせ、大質量を対象にぶつける。単なる打撃ながらも、その威力は絶大だ。なぜなら、その質量は大地そのものゆえ、どんな力自慢でさえ受け止められない。

 落下中ということから、残念ながら避けることは不可能だ。

 ゆえに出来ることは一つ。覚悟を決めながら、両腕を盾とみなして受けきるしかない。

 盛り上がった地面が迫り来る理由は、この少年が落ちているということもあるが、実際にはそれ以上の勢いで大地も上昇している。

 意思を持つように。

 もしくは、標的を破壊するために。

 大地が魔法によって牙をむく。

 その結果、エウィンは着地することなく、巨大な拳でアッパーカットを打たれたかのように吹き飛ばされる。


(し、死ぬかと思った! だけど!)


 問題ない。

 またも驚かされたが、それだけだ。大袈裟に跳ね上がってしまったが、その事実に反して体はどこも痛まない。

 硬度を増した地面による、真下から体当たり。つまりはそういう魔法なのだが、ストームの刃に勝った時と同様、グラニートの運動エネルギーを頑丈さだけで克服してみせた。

 一方、キールはやはり冷静だ。

 二度避けられ、その後の二発も通用せず。この事実を受け止めつつも、まだまだ攻撃の手を緩めない。


「エウィンさんって、どうにも戦い慣れていないというか、素人っぽくないっすか? 次はスプラッシュ、いくっすよ」


 その読みは正しい。

 火の魔法から始まった戦闘は、ここまでおおよそ一方的だ。

 キールだけが攻撃を続け、エウィンは慌てふためきながら対処に追われている。

 自慢の攻撃魔法が通用しないという事実を無視することは出来ないが、奥の手がある以上、諦めるにはまだ早い。

 詠唱。これを合図に、今度は水の塊が生成される。見えない蛇口からあふれ出るように膨張を続け、彼の胴体程度の大きさに達したタイミングで、間髪入れずに弾丸のように直進を開始する。

 グラニート同様、エウィンはこの魔法も回避不可能だ。

 なぜなら、未だ着地しておらず、その上、またも降下地点を狙われてしまった。羽が生えていれば軌道を変えることも出来るのだろうが、ただの人間にそのような芸当は不可能だ。


「くぅ⁉」


 歯を食いしばり、体を丸め、両腕と両足で水球を防ぐ。

 その瞬間、わずかに後方へ追いやられるも、即座にバランスを立て直したばかりか、スムーズな着地を果たすのだから、この少年の体幹は抜群だ。


(これも全然痛くない……けど……)


 びしょ濡れのまま、立ち尽くすエウィン。ここまで防戦一方だったことから、そろそろ反撃に移りたい。

 そう思うも、相手は攻撃魔法の使い手だ。未使用魔法を警戒せずにはいられなかった。


「すごい身体能力だと褒めたいっすけど、これで終わっちゃうかもしれませんね」


 男の発言は戯言ではない。

 確かにここまでの攻防は予想以上だった。キールの手柄はエウィンの衣服を切り裂けただけであり、付け加えるのなら水浸しもか。

 そうであろうと問題ない。

 今から繰り出す魔法こそが、最も得意とする決め手だ。

 淡い光をまとい、右手を突き出せば、戦いはついに終わりを迎える。

 キールのその声は、決着を告げる宣言そのものだ。


「スパーク」


 主の命令に従い、男の手のひらから雷撃が発生する。雷と見間違うような一閃は、轟音と共に標的を一瞬にして焼き尽くした。

 当然だ。

 弾丸よりも。

 矢よりも。

 火の玉や氷塊よりも。

 遥かに速い速度でスパークという魔法は直進する。

 正しくはグネグネと折れ曲がりながら大気を突き破るのだが、最短距離を進まずとも一瞬は一瞬だ。

 さすがにこれは避けられない。

 雷に打たれ、立ち尽くす姿は敗者そのものだ。あちこちが焼け焦げ、湯気のような煙さえ舞い上がっている。

 今にも倒れるのだろう。この直立は、自身が死んだことにさえ気づけぬがゆえの余韻でしかない。

 スパーク。雷属性を司る、攻撃魔法。雷を再現するこれは、使い勝手に優れた魔法だ。なぜなら避けられる心配がない。

 一方で、スパークの威力は他と大差ない。それでもキールが切り札として最後まで温存した理由は二つ挙げられる。

 威力を高めるため、事前にエウィンを水浸しにしておきたかった。そうすることで感電効果を高め、人体の破壊を促すことが出来る。

 そして、もう一つの理由こそが最大の要因だ。

 キールは全属性の中で、雷を最も得意としている。

 この世界に存在する属性は、全部で八種類。

 火。

 氷。

 風。

 土。

 雷。

 水。

 そして、光と闇。

 魔攻系の人間は、光と闇以外の魔法を習得する。

 しかし、その全てを均一に使いこなせるわけではない。

 それが属性との相性だ。

 キールの場合、雷との相性がすこぶる良く、それゆえにスパークの威力はフレイム等を遥かに上回る。

 ましてやそれが必殺必中の攻撃魔法なのだから、エウィンの敗北は必然だった。

 見るに堪えない姿だ。全身は黒く焦げており、それは体内も同様なのだろう。だらしなく開いた口からは煙が漏れ出ている。

 立ったまま死んだのか?

 息絶え、今まさに倒れる寸前なのか?

 どちらにせよ、終わりだ。そうであると裏付けるように、少年の体が前方へ傾き始める。

 その様子を眺めながら、勝者は笑顔を浮かべられない。

 殺すつもりなどなかった。

 しかし、想定以上の実力で魔法を凌がれてしまったことから、奥の手を使わざるをえなかった。

 やり過ぎてしまった。後悔の念に苛まれながら、今は静かに死者の雄姿を目に焼き付ける。

 そのつもりでいた。

 死体が地面とぶつかる寸前、腕立て伏せのように両腕で自身を支え始める。

 そればかりか悔しそうに叫び出したのだから、エウィンを眺めていた二人は驚きを隠せない。


「服がー! ズタズタに切り裂かれた時点でどうにもなりませんけども!」


 貧困街の人間に、服を買い替える財力などありはしない。それはこの少年も例外ではなく、だからこそ、自身は無傷ながらも悔しくて仕方ない。

 そう。煤にまみれてしまったが、実際にはそれだけのことだ。体はどこも痛まず、一方で心は大粒の涙を流している。

 だからこそ、終わりだ。

 相手が手の内を晒しきったかどうかは不明ながらも、六属性全ての魔法を披露したのだから、これ以上付き合う道理などない。

 クラウチングスタートの要領で、傭兵は駆け出す。

 その瞬間に真の勝者が決定するも、実際には戦う前から決まっていたのかもしれない。

 空気を吐き出すように、キールは大きく息を吐く。


「ぐ、ふ……」


 愚直に近づき、相手の鳩尾を殴る。ただただシンプルな反撃ながらも、その効果は絶大だ。深々とめり込んだ拳が、男の意識を一瞬で刈り取った。

 倒れる敗者を受け止め、そっと横たわらせれば、そこに立っているのはエウィンただ一人。敗れたキールは意識を失いながらも外傷は見当たらず、対して勝者は見るも無残な姿なのだから、摩訶不思議な光景だ。


「へー、やるじゃない」


 暖かなそよ風が、客席から戦場へ女の声を運ぶ。

 称賛のようなヤジが届いた以上、少年は舞台上から見つめ返さずにはいられなかった。


「次は、あなたが?」

「当然。キールなんて所詮前座だもの。それとも怖気づいた?」


 安い挑発だ。

 もしくは本心なのか?

 どちらにせよ、エウィンは返答よりも先に思考を巡らせる。


(もう、帰りたい……)


 もはや、金を稼ぐどころではない。

 自慢の一張羅は黒焦げだ。こうなってしまっては、新しい服を拾うか買うしかない。残念ながら金がないため、しばらくは予備の服を毎日着続けるしかないのだが、それはすなわち、洗濯後の濡れた服を着続けるということだ。

 心の中で愚痴ろうと、謎の二人組が立ち去るわけではない。

 一人目は倒せたが、ここにはまだ二人目が残っている。


「感謝なさい。今度は私が相手したげる」

(なんでこんなに偉そうなの? この子……)


 ネイはエウィンよりもわずかに年下だ。

 その上、見た目はさらに幼い。

 そうであるにも関わらず、その態度は誰よりも高圧的だ。


(本当に、帰りたい……)


 甘い風が、草原をゆっくりと撫でる。

 大空は澄んだ水色に染まっており、少なくとも雨雲の類は見当たらない。

 今日という一日は始まったばかりだ。生い茂る草達も、揺れながらそう主張している。

 攻撃魔法の使い手を倒した。

 それだけのことだ。

 少なくとも、この少女は怯みもしなければ、帰るつもりもない。

 小柄な体に不釣り合いな、不遜過ぎる言動。言うなれば、自信の表れだ。

 先ほどの攻防を目の当たりにしてもなお、この態度は崩れない。

 だからこそ、連戦は必然だ。

 エウィンとネイ。

 傭兵と謎の少女。

 草原の上で、二人は見つめ合うように視線をぶつけ合う。

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