「冷めてしまっても申し訳ありませんので、フードのご説明は簡単にさせて頂きます」
和哉が下段から順に説明してくれるが、横文字が多すぎて功基にはよく分からなかった。
ともかく、下段にはサンドイッチとキッシュ、サーモンがクルリと巻かれた軽食が主であり、中断はプレーンと黒糖のスコーン。添えられているのはクロテッドクリームと、ベリーのジャムらしい。上段には注文通り、色とりどりのフルーツがふんだんに乗せられたタルトが鎮座しており、その横には二枚のクッキーが重ねて置かれていた。
イギリスの伝統的なアフタヌーンティーに近いセットだ。
「スコーンは是非、温かい内にお召し上がりください」
「わかりました、そうします」
頷いて、手にとってみるとほわりとした温かさが伝わってきた。
(クロテッドクリームからにすっかな)
功基は躊躇うこと無くスコーンを半分に割り開くと、その片方へたっぷりとクリームを乗せた。口に運び、さくりと齧ると、ふんわりとした生地が口内でホロホロと崩れ、見た目よりも軽い口当たりのクロテッドクリームと舌上で混ざり合う。
(うん、フードもちゃんと美味しい)
店の種類としては『イロモノ』にも関わらず、紅茶好きなら訪れる価値があると以前から推されているだけある。
来てよかったと頬を緩めながら、功基は紅茶とスコーンを食べ進めた。
暫くしてふと気になったのは、先程からじっと隣に立つ、和哉の存在。
「……あの」
「はい」
「ここに居ていいんですか? その、持ち場ってオレだけじゃないですよね」
先程対応していた、あちらのお嬢様はいいのか。
尋ねた功基に、和哉は真面目な顔で淡々と告げる。
「お坊ちゃまのスピードだと、そろそろカップが空になるかと思いまして」
「……」
確かに、見てみればカップの中は残りほんの僅かだ。
「それで、ここに?」
「お坊ちゃまのお紅茶を注ぐのは、私の役目でございます」
和哉の顔に確かな意地が見てとれて、功基は小さく吹き出した。
どうやら先程昴に取られたのが、余程悔しかったらしい。
残り一口分の紅茶をあおり和哉を見上げると、待ってましたとばかりに、和哉はいそいそとティーコゼーを外した。「失礼致します」と紅茶を注ぐその横顔には、間違いようのない歓喜。
(ふーん。案外、可愛げのあるヤツじゃん)
「お次は、何に致しましょう?」
空になったポットを手に、和哉が次の紅茶を尋ねてくる。
ちょっとした気紛れでお勧めを訊いてみると、和哉は数秒の逡巡の後「モリアーナは、いかがですか」とメニュー表を開いた。
「アッサムをベースに、ドライフルーツを数種類加えた当家オリジナルのフレーバーティーになります。フルーツがお好きなら、試して頂く価値があるかと」
「なら、それで」
「かしこまりました」
今度は自身の勧めた紅茶の注文が取れて嬉しいのか、深々と頭を下げてから去っていく和哉の表情は微かながらも緩んでいた。
何となく、左右に揺れるフサフサとした大きな尻尾が見え、功基はひとり納得した。
(ああ、なるほど大型犬……)
答えの出た既視感に満足感を覚えながら、功基はティーカップに口をつけた。
緊張と不安から始まった初の執事喫茶だったが、和哉のおかげか、終了時間を迎える頃にはすっかりリラックスしていた。
さすがに、和哉も常に隣に侍り付いているわけではなかったが、昴が紅茶を注ぎに来たのはあの一回きりだった。ベルは結局、一度も使用していない。和哉が他のお嬢様の対応をしながらも、常に功基を気にかけてくれていたからだ。
男で、見方によっては『冷やかし』とも取れる客に、よくもまぁここまで丁寧な対応が出来たもんだ。
そのプロ(アルバイトだろうが)精神に感服しながら、功基は五千円札を挟んだ伝票を和哉に手渡した。会計は各卓なのだ。
「お待たせ致しました」
戻ってきた和哉から釣りの四百円を受け取り、長財布の小銭入れに収めると、「こちらも是非」と小さなカードを渡された。
白い波紋のような字体で店名が印字された赤いカードを裏返すと、四桁の数字と功基の名が黒いマジックで書かれている。
「仮会員カードになります。次回のご来店時に本カードと交換させて頂いておりますので、是非お忘れのないようお持ちください」
「はぁ……」
「では、出入り口までお見送りを」
立ち上がり、和哉に続いて歩き出すと、フロア内を闊歩していた他の執事達が次々と頭を下げていく。
余程の重役にでもならない限り、こんな光景は一生に一度あるかないかだろう。
恐縮しながら足早に進む。と、立ち止まったひとりの執事が親しげな笑顔を向けてきた。
昴だ。優美な仕草で頭を下げる昴に、功基も慌てて会釈を返す。和哉が眉根を寄せていたとは気づかずに。
フロアから踏み出ると、大鏡の横には入店時と同じように、田中が控えていた。
「次のご帰宅は是非お早めに。田中はお坊ちゃまの安否を思うと、気が気ではありません」
所謂『爺や』をしっかりと演じる田中さんに、失礼のない程度に愛想笑いを返す。
深々としたお辞儀に見送られ廊下を進んでいくと、半分程を過ぎた所で、沈黙を保っていた和哉がポソリと呟いた。
「……ご満足頂けましたか」
こういった場には異色な男相手というだけあって、いつもよりも気を回してくれていたのだろう。
探るような声色に、功基は微笑む。
「正直、ナメてました。雰囲気重視で、味は劣るんだろうなって。でも、美味しかったです。フードも、紅茶も」
「また」
「え?」
「また、来て頂けますか?」
必死さの見え隠れする、熱の篭った瞳。何故か速くなる心音に軽いパニックを覚えながら、功基は「え、ええと」と口篭った。
だが当の和哉も、『思わず』だったらしい。「あ……申し訳ありません」と視線を落とす姿に、ふせられた犬耳が重なった。
「……お坊ちゃまのように、お紅茶に詳しい方とお話するのは稀でして。是非またお会い出来たらと思っていたら、つい」
「あ、ああ、そういう」
(なんだよちょっとビビったじゃんか)
って、何をビビったんだ? と功基は心中で首を傾げながら、しょげたままの和哉を見上げた。
来店時は今日一回きりと思っていたが、また来てもいいかもしれない。
「そうですね。是非、また」
「っ、その時はまた、私にお仕えさせてください」
功基がまた訪れたとして、その時に彼の担当に当たるかどうかは完全に運任せだろう。だがそんな事は、ここで働く和哉の方がよくわかっている筈だ。
だから野暮な否定はせずに、功基は「ええ、楽しみにしています」と返すだけに留めた。
その言葉を聞いた和哉が、安堵したように薄く笑む。
「……またのお帰りを、心待ちにしております」
この時湧き出た満足感を、功基はただ、不思議に思うだけだった。