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その街にはどんな病も傷も癒す“奇跡”があると言われている。
交易で栄えた港街には大きな船が停泊し、輸出はもちろん異国からの積荷や人々がひっきりなしに入ってきては大金が動く。
外国の珍しいものや、違法なもの。何でもがここでは揃うとされ、国内外問わず買い付けの人々が集まるが、もっとも大きな買い物は“奇跡”である。
大きな倉庫や邸宅が珍しくない街で、もっとも大きく荘厳な建物が、奇跡を扱う教会である。
スキルというものが当たり前にある世界でも、素質あるものだけに扱えるとされる、魔法と呼ばれるものを発現する確率は決して高くない。
“奇跡”はそんな魔法の別名であり、こと治癒の魔法に関してはこの地方だけに見られるものである。
治癒の魔法を発現させた者は、街より丁重に扱われ、漏れなく教会に所属し国でさえ頭の上がらないような地位を約束される。
「おお、動かなくなっていた指が──」
「無事に癒えて何より。して、寄付についてですが」
「もちろん、言い値で構いませぬ」
「では──」
今もひとりの戦士とおぼしき精悍な男が革袋に詰まった金貨を惜しげもなく寄付している。
戦場で、生活で不自由する怪我でさえ、祈りと魔法が癒してくれる。その対価として法外な金額がふっかけられても、誰もが納得して払っていく。
「魔法は神の奇跡でありますれば……」
ただその奇跡には限度がある。日に何度という制限もあれば、週に、月に、効果もまちまちで、神の気まぐれである日突然使えなくなるということさえも。
だからこそ貴重。先ほどの戦士は再び剣を握ることができた事に感謝し──戦場で死ぬのだ。
「もう、だいじょぶだよっ」
そんな金に目の眩んだかのような教会の奥、ひときわ豪華な扉の向こうには特別室と呼ばれる部屋があり、ここでは他の治癒士が手も足も出ない難病、重傷の者が扱われる。
「ありがとうございます、聖女さま」
「うん。よかったねー」
屈託のない笑顔で応える少女はまだ8歳であり彼女こそが唯一、死に瀕した病や怪我を“奇跡”の下に癒すことが出来る存在である。
そしてその対価は他よりも桁がふたつみっつ違う。ただ、受け取るのは教会であり、聖女には銅貨一枚も渡らない。
「じゃあ、げんきでねーっ」
患者を治して送り出した聖女は、落ち着きなく辺りを見回してから、次の人がいないのを確認して教会を抜け出した。
「──いいんですか? 自由にさせて」
「新人か。あの聖女さまはな……特別、なんだよ」
“奇跡”の行使者たる治癒士たちには半ば自由というものがない。個人の気まぐれで“奇跡”を乱発されて弾切れになどなられては勿体無いからである。
教会が高待遇を用意して囲うのはそのためでもあり、外出ひとつにさえ許可が必要で見張り役同伴でしか叶わない。
「あの聖女さまは頭の方が少し、な」
「それは子どもだからでは?」
「強すぎる“奇跡”の代償だと言われている。読み書きも善悪も分からず、体良く監禁してやろうとしたこともあったそうだが」
先輩の男は新人に淡々と語る。
「途端に虚な目をして、泡を吹き“奇跡”どころではなくなるそうだ。それが何度となく起きて、今では街で監視はするものの、ここに閉じ込めることは諦めたそうだ」
「──なにそれ、ホラーですか?」
「まあ、ホラーとも言えるな。さっきの患者……あの包帯の下は骨も肉もぐちゃぐちゃだったらしいが、まっさらになったと喜んでいたよな」
「たしか家屋の倒壊に巻き込まれたとか」
「本当は貴族の不評を買って下半身をミンチにされたらしいぞ」
「うげえ……そんなのが治るんですか」
「想像はするな。だから誰も治癒の場に立ち会わなかったんだから。前に覗き見た先輩なんかは肉が食えなくなったと嘆いていたぜ。それさえもあの幼い聖女さまは平気な……」
「──吐き気が」
「外でやれ」
「こんにちはっ」
「はいこんにちは。聖女さまはまたお散歩ですか?」
「うんっ、きょうはおしまい」
街を走り回る聖女はよくつまずき、よく転ぶが、そのたびに笑っているのだから周りの視線もそういう子を見る目になる。
しかし隠れて聖女を監視・護衛する者たちがいるとはいえ、そんな聖女に街の人たちがにこやかに接するのは、彼女が辺りをうろつくだけで人々の体調が良くなり、切り傷擦り傷程度なら癒えてしまうのが知られているからだ。
「ネコちゃん、かあいいねー」
「ナーオ」
「まってぇ」
小汚い野良猫を追いかけるのもいつものことだ。茂みに入ってあちこちを擦りむき、気づけば癒えているのもいつものことだ。
強すぎる“奇跡”は常に溢れていて、枯れることがないとされるからこその聖女で、みなが歓迎するのだ。彼女を、ではなく聖女を。
「今日の散歩もご機嫌だな」
「ああ、しかしあそこにいるガキはなんだ?」
「──戦争孤児か。汚ねえナリで……腕と脚が千切れてやがるな」
「じゃああれは“オモチャ”の成れの果てかよ」
「ちっ、聖女さまが興味を持っちまった」
監視兼護衛たちが口にする“オモチャ”というのは、大金が降り注ぐこの街の裏の顔とでもいうべき負の面であり、金持ちが道楽で戦争孤児を買取り、それこそオモチャのように扱われる者のことである。
そんな“オモチャ”はしばしば脱走したり、捨てられたりするのだが、聖女が見つけて駆け寄ったその子どもも、どうやらそのようである。
“オモチャ”である子どもはボサボサの汚い茶髪に薄汚れた顔、その表情は殴られすぎて変わり果てており、目を開けているのかさえわからない。
左腕は前腕から千切れたのを紐で縛られており、左脚は太ももの半ばで叩き切られたようになっているのを、焼かれたようである。
他にも緑や紫の液体による汚れを見る限り、中身さえもが“オモチャ”にされたような成れの果て。
「いたいのいたいの、とんでけー」
「──っ、貴重な“奇跡”をっ」
幼い聖女の口にする詠唱は誰もが微笑ましく顔を綻ばせるものだが、護衛たちはそれが莫大な富をもたらすものであり、捨てられた“オモチャ”に無償で使われていいものではない、とその光景を憎らしげに凝視した。
その、癒えていく過程を、目にした。
「うっぷ、お、おえぇ」
「げええっ」
「くっ、あれは見るなと言っているのに──」
“奇跡”と呼ぶには余りにも生々しく、生物としての嫌悪を抱かせるような治癒の光景に、護衛たちは込み上げるものを堪えきれずに辺りにぶちまける。
やがて、周りの荒い吐息もなくなったことを確認し、無言のまま聖女を見守る配置に戻った男はその日の終わりまでを務めて家路についた。