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井戸の中の青い手

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井戸の中の青い手

3 - 第二章:手との邂逅

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2025年08月15日

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二日目の夜、眠りが浅かった。虫の声も、川のせせらぎも、静けさの中では逆にうるさく響く。

天井を見上げても、目は冴える一方だった。


時計を見ると、まだ午前一時。

こんな時間に起きていても仕方がない。

少しだけ庭に出て、夜風に当たろうと思った。


縁側を抜けると、空気は昼間とはまるで違っていた。

昼の山は緑と熱気に満ちていたのに、夜の山は色を失い、音も薄い。

月明かりが庭を淡く照らしていて、井戸の縁も白く浮かび上がっている。


……あの井戸は、夜のほうが形がはっきり見える気がした。

輪郭が澄んでいる。

光に照らされた石の表面が、まるで濡れているみたいに暗く光っている。


近づくと、ひやりとした風が足元を抜けていった。

昼間よりも冷たい。

その冷たさは、空気というより水の気配に近い。


おばあさんの言葉が頭をよぎる。

——夜は絶対に覗くな。


僕は立ち止まりかけた。

けれど、その冷気は今の熱をすべて洗い流してくれそうで、足は止まらなかった。


井戸の縁に手をかけ、中を覗き込む。

底は、やはり見えない。

ただ、水面らしき暗い揺らめきが、月明かりをわずかに飲み込んでいる。


……そのときだ。


水の底、闇の奥に、白いものが揺れた。

ゆら、ゆら。

形はすぐに分かった。手だ。


細く、骨ばっていて、皮膚は青白い。

指先がこちらを向いて、ゆっくりと揺れている。


僕は息を呑んだ。

けれど恐怖よりも先に、頭に浮かんだのは——涼しい、という感覚だった。

その手に触れれば、今の体温も頭の中の熱も、一瞬で消えてしまうような気がした。


気づけば、僕は片手を井戸の中へと伸ばしていた。

指先が水面に触れる。


氷より冷たい。

けれど痛みではなく、熱を吸い取る心地よさがあった。

吸い込まれるように、さらに指を沈める。


その瞬間、白い手がぴくりと動いた。

ほんのわずか、こちらに近づいたのだ。


心臓が跳ねた。

反射的に手を引き、後ずさった。

庭の空気が急に湿って、背中に冷たい汗が張り付く。


井戸の中を見たが、もう白い手は見えなかった。

水面だけが、月明かりを小さく波立たせていた。


布団に戻っても、あの手の感触は消えなかった。

冷たさと柔らかさが、皮膚の奥に残っている。

目を閉じれば、暗い水底に揺れる手が浮かんでくる。


怖いはずなのに……なぜだろう。

僕はその冷たさをもう一度味わいたいと思っていた。

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