『行ってくるね』
「…5時には帰って来いよ」
ムスッと顔を歪めながらあたしを見送るイザナに苦笑を浮かべながら手を振って扉を閉める。
今日は同じシセツで育った一番仲が良かった女の子と久しぶりに会う日。
女の子だしあたしがその子と仲良かったのを知っているイザナは渋々許可を出してくれた。
「○○ちゃん、こっち!」
聞き慣れた、少し大人っぽくなった声に振り向くと、探し求めていた人物が顔いっぱいに笑顔を広げてこちらに手を振っていた。
『久しぶりだね。』
「ほんとにね…何年ぶりだろ?」
近くのカフェに入り、あんなことあったね。とかこんなことがあったんだ。など思い出話に花を咲かせる。
「あれ?腕の痣、どうしたの?」
その言葉にドキリとして自身の腕に視線を落とすと、先ほどまで長袖で隠されていた腕の肌がしっかりと露出されているのが見えた。
話に夢中になりすぎてしまい、青紫色に染まった自身の腕の痣が彼女の目の中に入り込んでいたことに気づけず、ついドクンと嵐のように激しく動揺してしまう。
『えっと……彼氏がちょっとね…』
不安そうにこちらを覗いてくる友達の目から視線を逸らし、躊躇いがち小さくそう告げる。
「えっ……彼氏が?」
酷く驚いたように目を見開き、信じられないとでも言いたげな口調であたしが告げた言葉を繰り返す彼女の姿に首を傾げる。
どうしてそんなに驚くのだろうか。ただの愛情表現だというのに。
「…ねぇ○○ちゃん、彼氏って誰?」
まだ戸惑いの抜けていない声でそう問われ、胸に内に浮かび上がった疑問が泡のように増えていく。ギュッと無意識のうちに膝の上に置いた自身の手に力が入った。
『え?イザナだよ、黒川イザナ。』
素直にそう告げると友達の顔はますます険しくなっていく。
何かおかしいこと言っちゃったかな。と不安に染まっていくあたしの顔を見て察したのか、友達はどこか安心させるような淡い笑みを口角に添えると、力強い声で丁寧に言葉を紡ぎだしていく。
「…私もね、彼氏が居るんだけど。」
「殴らないし蹴らないし、喧嘩は時々するけど暴言は言わないよ。」
そんな友だちの言葉がなにか含みのある声とともに脳に入ってきた瞬間、視界がぐにゃりと何かが溶けるように歪み、胸の真ん中を鋭いもので貫かれるような衝撃を感じた。
殴らないし蹴らない。その言葉が貫かれた胸に重く響く。
「○○ちゃん、私の腕見てみて」
不意に告げられたその言葉とともに差し出された腕を動揺で揺れる目つきで見つめる。
「ね?痣なんて一つも無いでしょ。」
ドクン、と心臓が大きく脈打った。
頭を鈍器で殴られたようなショックが全身に響く。
『…なん、で。』
あたしと違う、白い痣一つない綺麗な腕だった。
友だちだけじゃない。
あたし達の席の周りに座っている頬を淡い赤に染めながら恋人との出来事を惚気る、あたしと同い年くらいの女の子も。
赤ちゃんを抱きしめて幸せそうに笑う女の人も。
笑みの皺を顔全体に刻み、楽しそうに言葉を交わし合う老夫婦も。
みんな、腕には痣や傷一つなく、ただただ幸せそうに笑っている。
なんで。どうして。
それが愛なんじゃないの?受け入れなくちゃいけないんじゃないの?
パリン、と固い音をたてて抱いていた“愛”のイメージが音を立てて崩れていく。
不安で濁った心の汚れがどれだけ思考を巡らせても取れてくれない。どうにか否定したいのにパクパクと口を開けたり閉めたりするだけで肝心の言葉は一向に思い浮かばず、舌の上で作り出された言葉はグチャグチャに絡まり合って声にすらならない。
胃を焼き付けるような焦燥感だけが勢いを持って燃え上がるだけだった。
「…最悪、このままだと○○ちゃんが壊れちゃうよ。」
腫れ物に触れるような優しく、それでいてどこか戸惑いの含まれた視線と言葉が体を刺す。
違う、大丈夫だよ、そんなに心配しないで。ようやく辿り着けた言葉はどうしてか喉を流れてくれず、胸の中で膨らんでいく複雑な感情に神経が張り裂けそうになる。
『で、でもね、ちゃんと優しいところだってあるんだよ。』
そう絞り出すように出した自身の声は掠れており、集点は震えていた。
だって、だってイザナはちゃんとあたしのこと大切にしてくれている。
いつも抱き締めてくれるし、キスもしくれる。
大好きや愛してるは毎日言うし、一緒に寝て、一緒に起きている。
あたしにだけ見せてくれる表情だってあるし、あたしにだけしてくれることだってある。
ただ少し他の人よりも不安定なところが強いだけ。
殴ったり蹴ったりするのだって仕方がない。だってあたしが悪いんだもん。
痛いけど、その分イザナから貰える愛はずっと強い。
鉛のように重く鈍い心の中でそう必死に言葉を並べて行って気分を落ち着かそうとするが、相変わらず心は晴れず、疑い念が鎖のように体を縛りつけて岩のように重くだるくなった。怒りに似た焦りが額に覆いかぶさってきてじわりと涙腺に響く。
「好きならその人が傷つけるようなことしないよ。」
その言葉がトドメだった。
ドクンと心臓が大きく飛び上がり、感情が堰を切って漏れ出した。
「今イザナくんと同棲してるなら今すぐ出ていきな。本当にやばいよ。」
その言葉にグッと上りあがってきた涙を瞼の裏に滲ませながら顔を見られないように深く俯く。小雨のようにぽつりと落ちた涙が、強く握りしめていた自身の手の甲の上を濡らし、視界をぼやけさせる。
『…ごめん、今日はもう帰る。また今度遊ぼうね。』
鞄から財布を取り出し、少し多めのお金を投げ捨てるように置いてあたしは勢いよく席から立ち上がる。
「まって○○ちゃん!」
後ろで聞こえるあたしを引き留めようとする声を無視して鎖を引きずっているように重い足を無理やり動かし、人気の少ない道を走り去る。
その間も正体不明な不可解な黒い靄のような感情が胸の中でギスギスと疼いており、吐いた息は意気消沈したように暗い重く響いた。
─…「…最悪、このままだと○○ちゃんが壊れちゃうよ。」
先ほど友達の口から告げられたその言葉が、走馬灯のように頭をぐるぐると駆け巡る
喉元に溢れてくる嗚咽と動揺と困惑で乱れてしまった自身の息を整えるように大きく息を吸い、瞬きを一つ零した拍子に透明な水滴が目から弾き出された。
─…「好きならその人が傷つけるようなことしないよ。」
じゃあこの“愛”はなんだっていうの?
足を動かすたびに殴られて出来た痣が軋んだような痛みを出す。
──その痛みと頬を滑る自身の涙が、すべての答えだった。
続きます→♡1000
コメント
6件
人それぞれ愛の表現は違うけど、難しいよね
このスト最初から 読ませてもらったよん👍🏻‼️ 共依存感があるの好き🫶🏻💖 完全に愛歪んでるのにわかってないそれを愛だと思ってる夢主ちゃん可愛すぎです🫠🫠