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「お前…………俺が誰だか、本当に分からんのか?」
瑠衣はきょとんとしながらも、男の表情を見やりながら記憶を辿らせる。
(え? このお客様、本当に……誰? こんな髪の長い知り合いの男性なんていないし……)
考えを巡らせている瑠衣を、鋭い眼差しが捉え続け、まるで答えを急がせているように見えた。
分からない事はいくら考えても分からない。
瑠衣は目の前の客に率直な事を伝える。
「大変申し訳ございません。あなた様は私が…………愛音ではなく、九條瑠衣だという事を存じ上げているようですが、私は…………正直言うと、どなたか分かりません」
瑠衣の答えに、どことなくガッカリしたかのように、男はハアッと大きなため息を零した。
「…………そうか」
男は立ち上がると、部屋の扉へ向かって歩き出した。
瑠衣は慌てて立ち上がり、男よりも早く扉の前に立ち、ドアノブを回した。
廊下に出て、彼女は改めて失礼を詫び、深々と一礼する。
「本日は…………大変申し訳ございませんでした」
「…………さっきも言ったが気にしなくていい。頭を上げろ」
ゆっくりと顔を上げると男の鋭い面差しはなりを顰め、何かを考えあぐねるような表情を映し出している。
「ひとつ、お前に宿題を出してやる」
「宿題…………ですか?」
「今から俺が言う事、よく聞け」
この客は何をワケ分からない事を言っているのだろう、と瑠衣は思うが、その宿題とやらに耳を傾ける。
「自分の演奏を追求する事、それは生涯勉強だ——」
目の前に立っている男が、ゆっくりと言葉を発した。そして。
「この後に続く言葉を、来週俺が来た時に答えろ」
そう言いながら、男は正面を向き、廊下の角の向こう側へ歩き出すと、彼女は呆然としながら、広い背中を見送る事しかできなかった。