「空が綺麗だなぁ~」
探偵服を着た大柄な男が、窓枠に両手で頬杖を突きながら、現実から逃避していた。
椅子に座りながら外を眺める彼の隣には、白のワンピースを着たオレンジ色の長い髪の少女が、別の窓から立ったまま外を見ている。その足には花の飾りが付いた新品らしきサンダルを履いていた。
窓の外は様々な人が行き交い、何やら騒がしい様子なのだが、少女と違って彼はそれを気にも留めていない。いや、正しくはそんな余裕がなかった。
「わぁ……。あれ凄い……」
少女が感嘆の声をあげたのは窓の外、丁度窓の下辺りにあった出店を見たからだった。店には商品らしき沢山の動物をモチーフにした色とりどりの風船が飾られている。しかし、少女の目線はそれらではなく、その店の主人らしき年配の男に向けられていた。
主人が萎んだ風船に触れる度、その風船がひとりでに膨らんでいく。少女はその不思議な光景に目をキラキラとさせていた。
「あれ、どうやってるんだろ……?」
探偵服を着た男の目線が、空からその出店に移る。
「さあな。多分魔法じゃねぇか?」
風船自体が特別なのか、それとも彼が使う魔法が特殊なのか、年配の男はその方法で幾つもの風船を膨らませていた。彼に触れられた風船はふわふわと宙に浮いている。よく見ると、風船へ触れるタイミングで彼の手がうっすら光っているのが確認出来た。
「うん……? へいま見て……!うしさん!」
少女の興味は別の物に移る。風船の出店、それの横を通る屋台。
「……牛? あぁあれか」
分かりづらいが、その屋台の真上には牛のマークのような看板が置いてあった。店を設置する場所に着いてから飾る為なのか、その看板は屋台の真上に紐で厳重に括り付けられていた。屋台の大きさのせいか、その看板は2階の窓から覗いてる2人からしか確認出来ない。
少女と男が注視していると、その屋台が先程の風船の出店の横を通る。ぶつかりそうな程の距離だが、屋台を引く中年の男は急いでいるのか、その事には全く気付いていない。
「あっ……」
少女が驚きの声を短く発したと同時、屋台を避けようとした風船屋の主人が自らの出店に勢いよくぶつかり、そこに飾られていた沢山の風船が空に旅立った……。
「うわぁ~」
探偵服の男が、その光景を見て思わず少年のような声をあげる。
「借金もあんな風に飛んでいかないかなぁ~?」
清々しい程の現実逃避だった……。
それもその筈。男の働いている事務所は、いつの間にか借金の抵当に入れられ、あと1ヶ月の間にそれを払えないと、仕事も、住む場所も、あの風船達のように彼の元から旅立つ事になるのだ。現実から逃避したくなるのも致し方なかった。
「あの」
飛ぶ風船を眺める男と少女の後ろから、声が掛かった。彼らが振り返るとそこにいたのは、グレーのパンツスーツを着た真面目な雰囲気の女性だった。
「スミレさんお疲れ様です」
「貴方ねぇ、人の執務室で現実逃避するのはやめて下さい」
男と少女が居た部屋の持ち主が帰って来る。彼女は眼鏡を直しながら、特徴的な長い白色のポニーテールを揺らし、溜め息をつきながら部屋に入って来た。
「へへっ!スミレさん相変わらずカッコ良いですねぇ!」
まるで小悪党のような顔でごまをすりながら、男が部屋に入ってきたスミレを迎える。
「彩愛みたいな態度をとっても、お金は貸しませんからね?」
「あ、やっぱ無理ですか?」
男が真顔に戻るのを横目に、スミレが椅子に座る。明らかなお世辞だったのだが、彼女の表情が満更でもなさそうなのは、きっと気のせいだろう……。
男の本音がどうなのかは分からないが、足を組みながら椅子に座るスミレのその姿は、スタイルの良さと真面目な雰囲気が相まって、本当にカッコよく美しかった。
「コホン。ところで……」
スミレが何やら彼に目配せする。その意味を直ぐに理解して、男は少女に喋りかけた。
「あー、少女」
「うん……?」
「今からこのお姉さんと大事な話があるから、少しの間部屋の外に行っててくれるか」
「分かった……!」
男の反応を怪しみもせず、少女は素直に外に出て行こうとする。
「あ、待ってください」
引き留めた少女に向けて、スミレが何かを投げる。それはスーツを着て敬礼する、本物と見間違えそうな程リアルな犬のぬいぐるみだった。
「管理局のマスコットです。あげるので好きに使って下さい」
「ありがとう……!」
少女は嬉しそうにそれを抱いて部屋の外に出ていく。
「あれ、そんなに喜ぶほど可愛いか?」
「可愛いでしょ!!」
「そ、そうですか……」
スミレの圧に驚きながら男は恐縮する。
「それで……どうだったんですか?」
「局内で確認を取った所、子どもの行方不明届けはここ1ヶ月出てませんでした」
「……そうですか。もう1つは?」
「はい。魔法票の中には、あなたの言っていた魔法はありませんでした」
「てことは?」
「国の外から来たか、国民の義務である魔法の登録をしていない変わり者か、もしくは……」
「出来ない環境、又は立場の人間……ですか?」
「珍しく察しがいいですね」
「いくら推理が苦手な俺でも、少女の様子を見て、今の話を聞けば分かりますよ」
「様子?」
「昨日、少女を事務所に泊めたんですが、身の回りの事も自分で一通り出来るし、偏りはあるものの知識もしっかりとあるしで……。そんなちゃんとした教育を受けさせてるような子がいなくなって、届けすら出さないって普通は有り得ないですよね?」
「確かに筋は通ってますね」
スミレは腕を組み、首を傾げながら、何かを考えるような素振りを見せる。
「そもそも貴方の話は本当なんですか? さっきの様子を見る限り、私には普通の少女と何ら変わりなく見えましたが……」
「本当ですよ。僅かな情報から真実を言い当てた上に、別の空間造り出す凄い魔法まで」
「そんな魔法があるなら、めい……」
「へ! い! ま! です!」
「……コホン。そんな魔法があるなら、平真君。貴方の魔法のように、何処かで確認され次第、魔法票とは関係なく特異魔法として、その都度記録されてる筈ですが」
「そうですよね」
「……はぁ。彩愛が消えたと思ったら、今度は記憶喪失の少女とは……」
スミレはおでこに手を当てながら溜め息をつく。
「あっ、そういやスミレさん、何か良い事件回してくれないですかね?」
「もしかして、借金返済の為ですか? そもそも貴方の作った借金ではありませんし、返す義務も本来ない筈ですが……」
「返さないと師匠の事務所が持ってかれるんです」
「……はぁ。彩愛の親友である私が言うのもおかしいですが、これのせいで雲隠れしたのでは?」
「師匠がそんな事……」
そこまで言って平真はよく考えてみた。彼の記憶の中の師匠……真明田 彩愛の姿。
「わりぃ、平真!お金ないから貸してくれ!」
「そんな事……」
「平真すまん!今日の依頼料、全部ギャンブルで擦った!」
「そんな……」
「美味しい物奢ってやるよ! ほらどうだ?上手いだろ?パンの耳」
「……」
ろくな思い出がなかった……。
「確かにパンの耳は旨かったけどさぁぁ!!」
「き、急にどうしたんですか!?」
机をいきなりバンと叩いた平真にスミレが驚く。
「いや、すみません。そんな事……あるかも知れません」
「そうでしょう?」
うんうんと頷く彼女も、どうやら彩愛という人物の被害者のようだ。
「だから返すのは諦めて、いっその事別の仕事を……」
「それだけは無理です」
平真は真面目な顔で言い切った。
「師匠には助けて貰った恩義がありますし。それに……」
どうしようもなくなった自分に、手を差し伸べてくれた彼女。そんな人物に恩を返したいという強い気持ちは、彼の中でごく当たり前の、当然とも言える感情だった……。
「俺にも夢がありますから」
「……ふふっ。そうですか」
親指を立てながらニッコリと笑う平真を見て、スミレが少し笑いながら返す。
「だから……」
「はい?」
「仕事回してくださいよぉ~!」
どこまでも締まらない男だった……。
◇
王都ゾディアック――そこで起きる様々な事件を捜査、解決し、国家の安全と秩序を守る組織……中央魔道管理局、そこの魔道捜査第一課にスミレの執務室はあった。
話を終えた平真とスミレが、執務室の扉を開け外に出てくる。
「あれ?」
本来なら人で賑わっている筈の魔道捜査第一課、不思議な事に今日は、人の姿が殆ど見当たらなかった。平真が辺りを見回すが、そこにいる筈の少女の姿はない。代わりに聞こえてきたのは小さな声だった……。
「ほんかんさん大変です……!」
「どうしたんだい?」
可愛らしい声と、精一杯カッコ良さを出そうとしているが隠しきれない愛らしい声――どうやら誰かが一人二役で喋っているようだ……。
「向こうの通りでわるい奴が暴れてます……!」
「それは大変だ!早速本官が向かおう!危ないから君はここで待っていなさい」
「分かりま……」
「お前、何してんだ?」
「へいま……!?」
魔道捜査第一課の外にあるソファーに座りながら、スミレに貰ったぬいぐるみと会話して遊んでいた少女に、平真が後ろから声を掛けた。
「これは……あの……」
少女は見られたのが恥ずかしかったのか、ぬいぐるみで自分の顔を隠している。だが、小さなぬいぐるみではその表情は隠しきれず、頬が真っ赤になっているのが見て取れた。
(こう見ると普通の少女なんだけどなぁ)
「……コホン。ではこの子の事はこちらでも、また調べておきます」
見るに見兼ねたスミレが、平真達に声を掛ける。
「ありがとうございます。じゃあ行くか!」
「うん……!」
「あっ、そう言えば」
「はい?」
「回らないんですか?」
「回る……? あっ、そうですね。借金のせいで首が回らないです」
「その回らないじゃないです! お祭りの話です!お祭り!」
「あっ!?」
◇
「すっかり忘れてた」
中央魔道管理局の裏口から、平真と少女が出てくる。
「お祭り……?」
少女が首を傾げながら平真に質問する。
「今日は終結祭っていうお祭りなんだ」
彼らが窓の外から見ていた出店達も、魔道捜査第一課に人が殆どいなかったのも、どちらもお祭りの影響だった……。
「終結祭……?」
「あー何だったかな? 確か昔の絵本が元になったお祭りで、魔族との戦いが終結したのを祝う……みたいな感じだったか」
「へぇ……!」
「今日の終結祭は、一日限りの前夜祭みたいなもので、本番は一ヶ月後の締結祭なんだけどな」
「凄いね……!」
少女の目線は、立ち並ぶ屋台やキラキラした飾りが付けられた路地に向けられている。中央魔道管理局の表口と比べると、平真達のいる裏口がある路地は狭い方だったが、それでも沢山の店が道の左右に並んで、客を呼び込んでいた。
「わぁ……!」
「……」
平真が少女を見る。彼女がどういった経緯で記憶を失ったのか、どんな環境にいたのかも平真には分からない。記憶のない彼女からすれば、きっとこれは初めて見た綺麗な景色の筈だ。それなら……。
「見て回るか……?」
「いいの……?」
「勿論!」
初めて見た綺麗な景色が、少しでも楽しい記憶として残るように……そう彼は考えた。彼自身にもうひとつ別の思惑があったとしても、素直にそう思ったのも嘘ではない。
平真と少女が並んで歩く。まだ昼前なのもあって、人通りは疎らだった。
屋台は飲食店だけでも、から揚げ、ピザ、ホットドッグ、ケーキや、たこ焼きなど、両手で数え切れない程の種類がある。
同じ飲食店でも、ジャガイモを魔法を使った両手でくし切りにしたフライドポテトや、本物の雲みたいに魔法で浮かしたわたあめへ木の棒を自分で刺して購入するわたあめ屋、目の前で魔法を使って生み出した氷を砕いて提供するかき氷等々、パフォーマンスに力を入れた店も沢山並んでいた。その中でも少女の目に留まったのは……。
「わぁ……!」
魔法で熱した釜から取り出されたのは丸い飴が付いた棒……それを受け取った隣の人間がハサミで形を整えていく。みるみる内に、ただの白い丸だった飴の塊が、葉っぱに小さな花が沢山付いた飴細工へと姿を変えていく。
「凄い……。これも……魔法……?」
「いや、これは技術だな」
花の形に変わった飴へ、ハサミを置いた店員が手をかざした。
――その瞬間。
白色だった飴細工の花が、綺麗なオレンジ色に彩られていく。
「すごい、すごいよ……!へいまみて……!」
店先ではしゃぐ少女。よく見ると店員の手が仄かに光っていた。
「いるか?」
「い、いいの……?」
少女は、ビー玉のような瞳をキラキラとさせながら彼を見る。
「あぁ。……ぐっ!」
財布の中身を見て平真が呻くが、少女は飴細工に夢中で気付いていない。
(朝に買った少女のサンダルで3000ルル、飴代は……ろ、600!? パンの耳12袋分……だと!? でも……)
少女の横顔をチラリと見る。
(はぁ……。仕方ない)
店員にお金を渡し、受け取った飴細工を少女に渡す。
「へいま、ありがとう……!」
少女は、左手にスミレから貰ったぬいぐるみ、右手にオレンジの小さな花が沢山付いた飴細工を持って、嬉しそうにその場でくるりと回る。その可愛らしい姿は、有名な画家が描いた名画のようにも見えた。
(昔、花屋でバイトしてたっけな。そういや、あれの花言葉って確か……)
少女の持つ飴細工を見て考える。
「なぁ少女」
「なに……?」
「ずっと少女って呼び続けるのも変だからさ、記憶が戻るまでの間だけでも別の名前で呼ぼうと思うんだが……」
「名前……?」
「あぁ。……セイってのはどうだ?」
「せい……?せい、せい……。 いいと思う!」
「そうか! これからよろしくな、セイ!」
「うん……!」
彼女の髪の色と同じ、オレンジの小さな花が沢山付いた飴細工。
(セイ……お前にぴったりの花だと思うよ)
平真が優しく笑った――その時だった。
「うわぁぁぁぁ!!」
突如、辺りに悲鳴が響いた。
「何だ?」
平真達が声の聞こえた方を確認する。そこには……。
「俺の店が……」
町の遥か上空を飛ぶ屋台があった。
新たな事件は唐突に、思いもよらない形で始まりを迎える……。
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