「おい! そっち気を付けろ!」「角だよ、角!!」
「ギリだわ、これ……」
「K70なんてサ、久しぶりだよなぁ」
マンションの大型エレベーターが、
ゆっくりと閉まっていく。
鉄の箱に吸い込まれていくピアノ。
「これで搬入、終わりました! ありがとう御座います!」
「ご苦労様でした。」
黒川家に、K70が設置された。
ピンポーン。
待っていたかのように、奴は来る。
「ピアノ調律師の鹿野と申します。流元様のご紹介で、調律に伺いました。」
「あ……宜しくお願い致します。」
落ち着いた表情で鹿野は、黙々と鍵盤を叩いた。
音が空気を探している。
正しい音に戻すための、整調と整音。
一通りの調律が終わる。
「とても良いピアノですね。良い音をしています。では、こちらは請求書になります。」
九万円。
「あ、では……現金で。」
「有難う御座いました。」
バタン。
「あぁ! これ美味ぇ!! 大間の本マグロかぁ! 零響に合うなぁおぇ!」
「確かに、これは美味。」
六本木の高級料亭。
流元の向かいに座るのは、
月刊「管弦楽マガジン」編集長・長田。
ベチャ、ベチャ、クチャ、クチャ。
食う音だけが会話の合間を埋める。
「次は、でかい海老を焼いて食おうや! 太い蟹もねぇかなー」
「では、伊勢海老とタラバガニを。」
「あとよぉ、零響を三本くらい頼んどけよ!!」
「承知致しました。」
「先生! 遅れて申し訳ございません! 今日の調律終わりました。」
「おぉぉ! 鹿野君! よう来たな! 座り! 食べ! 飲み!!」
「あは、頂きます。」
「しかし町田、遅せーなぁ。」
——講師・流元。
——ピアノ販売・町田。
——調律師・鹿野。
——編集長・長田。
今まで、多くの素人を食い物にしてきた。
「しかしあれを、セルゲイ・ラフマニノフと言いますか? 先生!」
「うむ……まぁ、あはは、嘘も方便じゃと!」
「先生はもう……」
「バカな親は、適当な言葉で信じる。」
「確かに、疑いもしない。」
「うむ、プロフェッショナルコースと言えばそう考えるし、ピアノを買えといえばそうなるからな。」
「先生、あの娘に才能はあるんですか?」
「それを俺に聞くか? まぁ中の下くらいかの!」
(ただ流元は、あの音は気味が悪い。そう感じていた。)
「さぁ、理恵……思いっきり弾きなさい」
「うん……」
ショパン Nocturne Op.9 No.2
優しく
とても優しく
夜は包む
夜は誇らしげに
貴方に囁く
今日も
心地良き眠りを
眼を閉じて
安らかに。
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「音楽がビジネスになると、自由が奪われる。
でも、自由がなければ音楽は生まれない。」
― 坂本龍一(『音楽は自由にする』新潮文庫、2009年)
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