コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
姉と義兄の結婚式の日が近付いて来た。準備もいよいよ大詰めだ。屋敷内も、何だかそわそわと落ち着かない。
そんな中、例のグゼレス侯爵が、機会があれば公爵家の屋敷に顔を出すようになっていた。
「みんな!もしも侯爵様がいらした場合、必ず私に知らせてね。私が責任を持って対処します!お姉様にだけは、絶対に会わせては駄目よ。」
気合いを入れたショコラは、早い時期に使用人たちへそう指示を出した。……ただ彼彼女らは、その内容に少々思うところがあったようだ。それを聞かされた時、みな戸惑ったような顔をして側にいる同僚たちと目を合わせていた。そして進言した。
「…でも、ショコラお嬢様が対応なさる必要はないのでは……。旦那様にお願いして、出入り禁止などにして頂けばよろしいのではありませんか?」
客観的に見ればそうなのだろう。しかし――…
「それではきっと駄目よ。そう簡単に納得されるような方ではないと思うわ。」
一言で表すならば、「不安」だ。
あんな姿……あの日この屋敷へ突然やって来た時の彼の様子を見たショコラには、野生の勘のようなものが働いた。……防衛本能と言った方が的確だろうか。あの驚異的というか脅威的なまでのめげない姿勢、姉への執着は、十分警戒に値する。いかに見た目の美しさが補おうとも、余りある危うさ……。積極的なのも、あそこまで来ると悪い意味にしかならないのだという事を、肌で感じさせられたのだった。
「だから、私が何とかして、あの方を食い止めなくてはならないの。お姉様たちの幸せを邪魔するのは、絶対に阻止してみせます!お二人の結婚式は必ず、無事に挙げさせますわっ。」
――…そんなわけで、あの日あの時から、ショコラは燃え続けていたのだった。
「ショコラお嬢様!侯爵様がいらっしゃいました!」
「はあい!」
この日もまた、意気込むショコラが広い玄関で待たせられているグゼレス侯爵のもとへと急いでいた。
あの号令の甲斐もあってか、彼は屋敷の中までは案内されない。こうして毎回、使用人(主には家令のオルジュ)によって玄関で足止めをされているのだ。そしてそこからが、ショコラの出番である。仕事の始まりだ。…といっても、“仕事”とまで思っているのは彼女だけなのだが……。
「おや、今日も貴女がいらしたのですね。」
小走りで玄関ホールへと現れたショコラに、侯爵は気が付いた。ショコラは上がった息を整えながら、彼の方へゆっくりと近付いて行った。
「ええ、申し訳ありませんグゼレス侯爵様。お姉様もクレムお義兄様も、 と て も お忙しいので。」
「はは、グゼレス侯爵様だなんてよそよそしい。“グラスお義兄様”でいいのですよ。」
図々しい事を言いながらも、グラスは今日も爽やかでにこやかだ。そんな彼に対し、ショコラも負けじと作り笑顔を向けた。そして心の中で叫んだ。
『だって貴方は余所者ですものっ。決してそうは呼びません!一生、絶対に‼』
心の中とはいえ、こんな悪態を吐くのもショコラにとっては初めての経験だった。彼女は思い付く限りで最大の威嚇をしている。もちろん心の中で、だが。そして呪いを掛けようかというような黒い気を発した。……もちろんそれは言葉のあやというもので、実際にそんな事が出来るわけもないのだが……。
ショコラは小さく溜息を吐いた。
『……はあ。何だか、自分が嫌な人間になって行くようだわ……』
だが、全ては愛する姉たちのため!ショコラは心を鬼にする事に決めた。それからその場で、『彼に姉を諦めさせるためにはどうしたらいいだろうか』と考えた。
いつもそれらしい理由を付けて追い返しているのだが、グラスは日ごとにしつこく粘るようになって来ていると感じる……。ここはやはり、根本から解決した方がいいだろう。――その時、一つ思い付いた。
パチンと手を打つと、ショコラは自信満々で口を開いた。
「そういえば、クレムお義兄様はとても素晴らしいのですよ‼何でもよくご存知ですし、あのお父様をも唸らせてしまったのです!それに、何に対しても動じません!そんな方はそうそういらっしゃいませんよね⁇」
先制攻撃とばかりに、鼻息荒くこれでもかと義兄の良いところを並べた。どうだこれには勝てないだろう、とでも言うかのような得意気な顔で……。しかしグラスは、それこそ動じる事無くにこにこと返して来た。
「そうですか。私なら、何からでもフィナンシェ嬢をお守りして差し上げますよ。彼女はこの先も危険な目に遭うでしょうからね。」
敗北感を与えて白旗を揚げさせようと思ったのだが……“次期陸上師団団長”のその言葉には、逆に説得力を感じさせられてしまった。…くっ……何という強敵なのだろうか……
更には彼から、キラキラとした反転攻勢まで掛けられてしまった。
「それで、フィナンシェ嬢にはいつお会い出来ますか?」
「うぅっ……」
ショコラは直球を受け、返事に窮した。ここ最近は、この「いつ会えるか」という圧が強い。……まあ、毎回毎回顔も見られずに追い返されているのだから、そうなるのも無理はないが……
こうなってしまうと、なりふり構ってはいられなくなる。
「お、お姉様は今日、お義兄様とご一緒にお出掛けなさっているのです!(ウソですが)もしかしたら、そのままお義兄様の滞在先でお泊りになるのかもしれません!(今、お屋敷のお部屋にお一人でいらっしゃるのですが…)」
作り話まで始めた事には内心、心苦しくも感じていたが……ここは噓も方便だと自分に言い聞かせた。だがしかし……
「何ですって!?それは大変ではありませんか‼早くフィナンシェ嬢を魔の手からお救いせねば!!」
「 !? 」
グラスが青くなりながら、帯刀している剣に手を掛けた。そしてどこぞへ飛び出して行こうとするものだから、ショコラも青くなった。
『イヤアアァ〰〰〰!!“魔の手”はアナタです――!この方、本当に厄介だわ!!どうしましょう……』
最初は冗談を言ってこちらを揶揄っているのかもと思ったが、そういうわけでは無さそうだ。至って本気にしか見えないところが逆に恐ろしい。そもそも、さっきのは作り話なのだから『お出掛け先』も存在せず、一体どこへ行こうと言うのか⁇とか、剣に手を掛けて何をしようとしているのか⁉とか……言いたい事は山ほどあったが、あわあわとして上手く言葉にならなかった。
こうなれば最後の手段である。
「お姉様は結婚式のご準備で忙しく、しばらくは誰ともお会い出来ません!!」
背中を押してグラスを玄関の外まで連れて行くと、バタン!と扉を閉めて今日の仕事はハイ終わり。ズルズルとへたり込んで「ふう――…」と長い息を吐くところまでが、ほぼ日課と化していた。最悪な場合、これが日に二度あったりもするので、疲労困憊である。
「…あっ!勢いで追い出してしまったけれど、お義兄様はご無事かしら⁉」
ハッと気付き、彼らがどこかで鉢合わせしてしまったら……と思ったショコラは肝を冷やした。
……作戦はなかなか上手く行かない。結局はこうして追い返すのが精一杯だったのだ。恋愛事に疎いショコラにとって、この任務は特に荷が重かったのだろう。しかし本人はそれに気付いてはいなかった。
『な、何て手強いのかしら…。』
短い時間だったのに、すっかり精も根も尽き果てたショコラはふらふらと屋敷の廊下を歩いた。彼の相手をすると、元気をごっそりと持って行かれてしまう――…
その時、向こうから耳慣れた声が聞こえて来た。
「ショコラ?どうしたんだい。何だかやつれたようだけど……」
精神的にぐったりとしたところへ声をかけて来たのは、追い返したグラスと入れ違いに屋敷へとやって来たクレムだった。
「…クレムお義兄様ぁ……」
どうやら無事だったようだ。色々な意味で安心したショコラは、緊張の糸が切れた。小さな子供のように半分泣きながら、よろよろと義兄に駆け寄って行った。
「また侯爵様がいらっしゃいましたあ~、でも、ちゃんと追い返しましたよ!お姉様はお守りしました―‼」
そうやってショコラがべそべそと報告すると、クレムは本当の兄がそうするようにして義妹の背中をさすり、労った。
「うん、分かった分かった。頑張ったね。でも、君が大変な思いをする必要はないよ。フィナンシェの事は、私がきちんと守るから。彼女の望まない事を許しはしない。」
「……はい!」
そうしてクレムは、式の準備のためフィナンシェのもとへと向かって行った。やはり義兄は心強い味方だ。失った気力が蘇って来た。
彼を見送ると、ショコラはもう一度自分を奮い立たせた。
「……そうだわ。とにかく、お式が終わってしまえばいいのだから、それまでの辛抱よ!そうすればあの方だって、そう簡単には手出しが出来なくなるはず。当日、お姉様を守り切れればこちらの勝ちだわ!!」
その晩の事だった。
「――今日は伯爵もいる事だし、今の内に伝えておこう。」
ショコラたち一家にクレムも加えた晩餐の席で、父・ガナシュは話を始めた。
「二人は式の翌日、まだ新婚旅行には行かなかったはずだね?その日は、領地から来る前公爵と我が弟もまだこの屋敷に残っているから、家族会議をしようと思っている。議題はもちろん、オードゥヴィ家の今後についてだ。フィナンシェはこの家を出ては行くが家族である事に変わりはない。それは伯爵、君もだ。だから二人にも参加してもらいたい。いいかな?」
するとクレムは二つ返事をした。
「分かりました。お義父様がそうおっしゃるのなら、もちろん。」
「当然ですわ。」
フィナンシェも躊躇う事無く答え、ガナシュは満足そうな顔をした。
「よし、それじゃあ皆、そのつもりで。」
――…ショコラは、その時まですっかり忘れていた。
『家族会議…そうか、お姉様は嫁がれてしまうから、お義兄様はお父様の後を継がれない。そうなると……どうなるのかしら??』
忘れていた事――…それはそう、この公爵家の跡継ぎ問題だ。
ショコラはあれこれと考えを巡らせてみた。
『私にお婿さん……?まさか、私のところへ来たい方なんていらっしゃらないでしょうに。本来ならそのお相手はお姉様だったはずなのだもの。それが“私”だなんて……嫌々来て頂くのも申し訳ないわ。それに爵位が目当ての方であればお父様がお認めになるわけがないから、これは無いわね。』
――となると、残るは縁者から養子を取るという方法しかないわけだが……
『父方の叔父様にはお子様がいらっしゃらないし、母方の伯父様には男の子が一人しかいらっしゃらないから、公爵家には来られないわ…。それならもっと遠縁??当てなんてあるのかしら……。あら?そういえば、そうすると私はどうなってしまうのかしら……⁇』
父が言っていた、ショコラがいつまでもこの屋敷で悠々自適に暮らせる条件とは、姉夫婦が父の後を継ぐ事が大前提だった。だがそれは、今や完全に崩れ去ってしまっている。色々あったために、その事がショコラの頭の片隅からもすっぽりと抜け落ちていたのだった。急に、少しだけ心配になって来た。
『……だけど、それはお式の後の事だってお父様はおっしゃっているし、今はとにかくお姉様をお守りする事に集中しましょう!』
それでも、“今”のショコラにとって一番重要な案件とは、フィナンシェたちの結婚式が滞りなく済む事にあった。まずそれが無事に終わらない事には、その先の事など考えている場合ではない……。
明日からの英気を養うため、ショコラはもりもりと晩餐を平らげたのだった。
――そして日は流れ、ついにフィナンシェとクレムの結婚式当日がやって来た。
いつもは両親や姉の夜会の準備をのんびりと眺めていればよかったショコラも、この日ばかりはそうはしていられない。式に参加するため、皆と同じように朝から忙しく支度を始めていた。
「ねえミエル、私の衣装なのだけど、出来るだけ簡素なものにしてちょうだい。」
「そんな!せっかくの機会なんですから、お可愛らしいものをお召しになりましょう?」
この日のため、ミエルは張り切ってショコラのドレスを用意していた。当然ながら侍女たちの多くはフィナンシェの衣装に掛かり切りで、ショコラの方に割り振られた人数は少ない。しかしその分、自分の意見が通りやすい事もあって、今日の支度は彼女なりに腕を鳴らしていたのだった。……なのに、よりにもよって「簡素に」だなんて……
「そうは言っても主役はお姉様なのだし、私の格好なんて誰も見ていないわ!お姉様に恥をかかせなければ何だっていいのよ。それよりもね、とにかく動きやすいものを選んで欲しいの!」
「動きやすいもの…ですか⁇」
「そう!衣装だけでなく、髪もそうしてね。」
ショコラは花嫁の妹として…と言うよりも、祝宴に出掛けるご令嬢としては、決してしないような注文を次々と付けて行く。それを聞くミエルは、大層残念そうな顔をしていたのだった。
昨夜眠りに就く前、横になったショコラは天蓋の裏を見詰めて今日の日の事を考えていた。
『何とか無事に結婚式を迎えられそうね。でも、明日のお式には侯爵様も呼んでいるのよね……。はっ!そういえば以前、結婚式の途中で新郎ではない方が花嫁を攫って行く、という本を読んだ事があるわ……。まさか、侯爵様はそれを狙って…⁇』
不安に襲われたショコラはガバッと飛び起きた。――そんな事は、絶対にさせてはいけない!!
……と誓って再び横になると眠りに落ち、その決意のもと今朝は目覚めたのだった。
「今日、私にはとっても大事な役目があるのよ。もしもの時は、体を張って侯爵様を止めようと思っているのだから!」
ショコラは両手で拳を握り締めて、気合十分といった様子である。そんな姿を、ミエルは困ったように笑って見詰めていた。
「……すっかり、ショコラお嬢様の中では侯爵様が“危険人物”になってしまいましたね…。無理もありませんが。」
さあ準備は万全だ。ショコラは、これから戦場に赴く騎士のような気持ちになっていた。