『記憶と花言葉』
目を覚ました瞬間、
微かな朝の光が揺れながら、
ベッドの横の花瓶を照らしていた。
その中には、昨日とは違う花がひとつ。
私は息をのむ。
「……今日も、か。」
白い天井を見上げながら、
ゆっくりと体を起こす。
私は入院している。
けれど、誰ひとりお見舞いに来てくれる人はいない── はずだった。
それなのに、花瓶には毎日、
知らない誰かが置いていく花がある。
しかも、決して同じ花が続くことはない。
気まぐれではなく、
まるで何かを伝えるように。
「誰なんだろう……」
以前、その“誰か”に会うために一晩中起きていようとしたことがある。
なのに、気づけば朝になっていて、花瓶には新しい花が挿さっていた。
どうしても思い出せない。
起きていたはずなのに、
その記憶だけがまるごと抜け落ちている。
その不可解さは、
いつしか恐怖よりも好奇心に変わった。
花の名前、色、本数──
意味を調べることが日課になった。
「今日は、ワスレナグサ……」
繊細な青色の小花を指でなぞりながら、
携帯で花言葉を検索する。
──『私を忘れないで』
胸の奥が、きゅ、と鳴った。
「……いい言葉だな。」
自然と頬が緩む。
花言葉は、
いつの間にか私の唯一の楽しみになっていた。
その時だった。
ガチャ、と静かな音を立てて、
病室の扉がゆっくりと開いた。
「……え?」
そこに立っていたのは、背の高い男性。
光の裏側みたいな、
どこか寂しげな笑顔を浮かべて。
『……はじめまして』
低く柔らかい声が落ちる。
「はじめまして……?」
『その花、飾ったの俺だよ』
一瞬、時が止まった気がした。
「……そう、なんですか?」
彼は小さくうなずいて、
ベッドのそばに腰を下ろした。
それから私の知らない話を、
ひとつひとつ丁寧に紡いでいく。
私は交通事故に遭い、
記憶を失ったらしい。
そして──
彼は、私の恋人だった。
「……そうだったんだ……」
言葉にすると、
胸の奥が少しだけ温かくて、 少しだけ痛んだ。
『ごめんね』
「え……?」
『なんにもない。ただ……言いたかっただけ』
曖昧な笑顔。
でもその奥には、
言えない何かが確かに揺れていた。
私はそれ以上聞かなかった。
「話してくれて、ありがとう。」
『全然。……これから、毎日会いに来るよ』
「……うん。ありがとう!」
その言葉に、心がふっと軽くなった。
誰も来てくれなかった病室が、
急に温かく見えた。
「私、もう絶対忘れないよ!」
思わず笑ってそう言うと、
彼は視線を落とし、少し震える声で答えた。
『……ありがとな』
その言い方が妙に切なくて、
胸の奥に波紋のような余韻を残した。
『じゃあ、おやすみ』
「おやすみ!」
彼が出て行った後、
私は胸の高鳴りを抑えながら思った。
──こんなに優しい人と付き合っていたんだ。
──こんなに想われていたんだ。
私も、これからは彼を愛したい。
今度は、忘れたりしないように。
そう強く思った。
翌朝。
目を開けると、
花瓶にはまた違う花が挿してあった。
──誰が、置いていったんだろう。
胸の奥がざわりと揺れる。
ガチャ。
考えた瞬間、病室の扉が静かに開いた。
そして私ら知ることになる。
花が毎朝そこにある” 理由 “を──
コメント
7件
雰囲気最高すぎる😭👏🏻🎀
KAMINOKIWAMIJANEEKA☆