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「あきらは、すごく龍也が好きなんだね」
麻衣の柔らかい声が、鼓膜を震わせる。優しく、とても優しく。
「龍也と離れたら、あきらのその苦しさはなくなる?」
「……わからない」
「そうだね」
「今……付き合っている人は……、その人自身が子供を持てない人なの。だから、お互いに罪悪感とか持たなくて済むの。その人も……、そういう相手がいいって……言ってて……」
なんだか、言い訳をしているようだ。
そんな必要はないのに。
麻衣に、私の考えが、気持ちが間違っていないと認めて欲しがっているようだ。
「そっか」
「その人と……一緒に居られたらって……思う。お互いの苦しみを……理解できるから。いつか……龍也のことも……忘れ――」
「――彼といることがあきらの幸せなら、龍也はきっとわかってくれるよ」
麻衣の言葉に、ハッとした。
「龍也のことが好きでも、一緒に居て苦しいから他の人を選んで、それで、あきらが幸せになれるなら、きっと龍也はわかってくれるよ」
違う。
「今はツラくても、龍也だっていつか前に進めると思う。忘年会では、一生あきらだけ、みたいなこと言ってたけど、ちゃんと――」
私が欲しいのは、そんな言葉じゃない――。
「――やめて!」
両手でグイッと麻衣の肩を押し離した。
麻衣は、優しい表情で私を見ている。
「あきらも、好きな人を諦めないで?」
「麻衣……」
「私も……諦めないから」
「……っ!」
「どうせ苦しいなら、好きな人と一緒がいいよ」
「ふ……っ……」
菩薩か、聖母マリアか、麻衣様か。
麻衣の慈悲に満ちた微笑みに、堰を切ったように涙が溢れる。
「それに、あきらが前の彼と別れたのは、子供が産めなくなったことが関係しているんでしょ? もし、そうなっていなかったら、あきらは今頃その彼と結婚して、その彼の子供を産んでいたかもしれないんだよね? それはそれで幸せだったと思うけど……、現実は、あきらがそうなってしまったことで、龍也との関係が始まったのなら、きっと、あきらと龍也が結ばれるためには必要なことだったんだよ」
そうだ。
私が子宮を摘出していなかったら、私は勇太とは別れていなかった。だって、あの時私は、勇太の子供を妊娠していた。
「ごめんね? あきらが子供を産めないのはすごく残念だし、私も悲しいけど。でも、私はあきらと龍也が結ばれてくれたらすごく嬉しいから、あきらにはツラいことも、龍也と結ばれるために必要なことだったんだって、思いたい」
嫌味のない、麻衣の正直な気持ちが、嬉しかった。
だから、私も正直な気持ちを伝えた。
「麻衣も同じだよ?」
「え?」
「私と龍也の関係が必然なら、麻衣と鶴本くん、麻衣と陸さんの関係も同じ。麻衣がどちらを選んでも、選ばなくても、きっと麻衣には必要なことだったんだよ」
「……うん」
「私としては、鶴本くん押しなんだけど」
手の甲で涙を拭い、言った。
「そうなの?」と言って、麻衣が私にティッシュの箱を差し出す。
二枚引き抜いて、濡れた頬に当てた。
麻衣も、ティッシュで涙を拭う。
「私は、やっぱり陸さんは勝手だと思う。麻衣を抱いたことも、結婚したことも、イギリス行きが決まって離婚したからって麻衣を鶴本くんから奪おうとするのも、全部陸さんの勝手じゃない。陸さんが言ってた通り、奥さんとの仲が冷めていたならもっと早く離婚して麻衣に気持ちを伝えることもできたでしょ? 結局、鶴本くんっていう存在に焦っただけじゃない。そんなの、ずるいでしょ」
麻衣がフフッと笑った。
「陸、随分嫌われちゃったねぇ」
「友達としては好きだよ。けど、麻衣のことに関しては、やり方が気に食わない」
「そうかも」
「ん?」
「確かに、勝手だよね」
麻衣が穏やかに、微笑んだ。
『それでも、好きなんだ』と言っているようだった。
麻衣の長年の想いは伊達じゃない。
鶴本くん……。
「で? 陸さんと食事に行くこと、鶴本くんにはなんて言うの?」と言って、私は汗をかいた缶を口に運んだ。
「ぬる――」
自分と麻衣の缶を持ってキッチンに行き、中身をシンクに捨てて、冷蔵庫から冷えた缶を取り出した。
戻ると、麻衣はわずかに唇を尖らせて柿の種の袋を開けていた。
その表情が可愛くて、陸が諦められないのも、鶴本くんが守ってあげたくなるのも納得できた。
「麻衣」
「ん?」
「チューしていい?」
「――は?」
「可愛すぎでしょ」
「缶半分で酔ったの!?」
私は麻衣の分を手渡し、自分の缶を開けた。半分を一気に飲み干す。
喉も頭もスッキリした。
「地球滅亡はオーバーだけどさ」
「うん?」
麻衣も缶を開け、一口飲んで目を細める。
「夜、独りで眠る時に誰を思い出す?」
「え――」
「きっと、そんな単純なことなんだよ」
それは、自分への言葉。
大人って面倒臭いな――。
久々に麻衣と話をした。
龍也のこと、陸さんのこと、鶴本くんのこと、千尋のこと、大和とさなえのこと。
たくさん話して、たくさん飲んで、ふと沈黙が訪れ、寝落ちた。目が覚めて、お互いのボロボロの顔に笑った。
「年だなぁ……」と私が呟く。
「……だね」と、麻衣が同調した。
「干乾びる前に幸せにならなくちゃね」
私は大笑いして、頷いた。
麻衣の家を出ると、まだ十五時だというのに薄暗かった。
麻衣はこれからシャワーを浴びて、出かける準備をするだろう。
ああ言ったけれど、麻衣が決めたのなら、陸さんとのイギリス行きも応援してあげようと思う。
顔を上げて息を吐く。
白い二酸化炭素が宙を舞う。
昨夜、急いで出てきたから、マフラーを忘れた。
龍也はマフラー、してるかな。
駅のホームで電車を待つ間、勇伸さんにメッセージを送った。
『明日、会えませんか』
きっと、どんなに悩んでも、勇伸さんのクリスマスプレゼントは買えない。
それが、私の答えだった。