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第二章 砂の迷宮
朝のニュースが、居間の空気を凍らせていた。
「――続いての報道です。国家データベースにおいて、**九名の市民が“死亡登録”**されていたことが判明しました。
しかし、遺体はいずれも見つかっておらず、警察はシステム障害や情報改竄の可能性も視野に――」
ハレルは、コーヒーを持ったままテレビの前で立ち尽くした。
“死亡登録”という言葉が、耳の奥にこびりつく。
(死んでいないのに、データでは“死者”として処理されている……?)
隣のソファで、サキがスマホをいじりながらつぶやいた。
「これ、“クロスワールド・ゲート”のせいじゃないの?
昨日もまとめサイトで言ってた。
ダウンロードした人が行方不明になってるって。」
ハレルは眉をひそめた。
「……その話、どこで見た?」
「SNS。クロスゲート・テクノロジーズって会社が作ったやつ。
プレイ中に“光が走った”って話がいくつも……」
ハレルは無言で妹のスマホを取り、画面を閉じた。
「お前は絶対に触るな。いいな。」
「え、なんで?」
「説明しても信じない。……ただ、これは普通のアプリじゃない。」
サキが不安そうに彼を見つめる。
ハレルはゆっくりと息を吐き、自分の端末を取り出した。
アイコンを削除する。画面が一瞬、ノイズのように明滅した。
サキが小さく叫ぶ。
「お兄ちゃん、今、音した!」
「……バイブの誤作動だ。」
そう言いながら、胸元のネックレスを握る。
冷たい金属が、微かに熱を帯びていた。
テレビの音声が続く。
「死亡登録が確認された九名のうち、三名の端末から“同一アプリ”の通信が直前に記録されていました――」
ハレルの脳裏に、記録庁の地下で見た映像が蘇る。
カシウス、改竄官、そして父が追っていた“クロスゲート社”。
(父さんは、もうその仕組みに気づいていたのか……?)
キッチンの時計が、こつこつ時を打つ。
こっちに戻ってから、ちょうど三週間が経っていた。
そのあいだ、ハレルも涼も、無理やり“普通の生活”に戻った。
学校に行き、ノートを開き、授業を受ける。
けれど、どれも上の空だった。
涼は授業が終わるとすぐに帰り、毎日何度も校舎の屋上で空を見ていた。
ハレルは、休み時間に涼、木崎とメッセージをやりとりし、放課後は駅前の喫茶店で短い情報交換を繰り返した。
そして――昨日。
境界のゆらぎが突然大きくなり、空気が水のように揺れた。
ハレルと涼のあいだに、セラの声のような響きが、かすかに割り込んできた。
《……聞こえる? 砂の底で――》
その直後、涼の腕輪が強く光り、彼は表情ひとつ変えずに立ち上がった。
「――行く」
それきり、消息が途絶えた。
今日のニュースは、その“翌日”のものだ。
テーブルの上で、スマホが震えた。
差出人:木崎。
『速報だ。テレビが言わなかった部分――“死亡登録”九名のうち、三名の遺体が今朝になって自宅で見つかった。 表向きは詳細不明。だが、裏取りした。三名とも首筋に“痣”。
それと、衣服に微量の砂が付いていた。普通の砂じゃない。粒の形が“H”型みたいに歪んでる。』
ハレルは、思わずネックレスを握りしめた。
(砂――アメ=レアという砂の遺跡があるのを涼から以前聞いたことがあるが、 境界の向こうの砂が、こっちへ?)
「お兄ちゃん、顔色悪いよ。」
サキの声に、ハレルは小さく笑ってみせる。
「大丈夫。ちょっと、木崎さんのところに行ってくる。」
「わたしも行く。」
「……ダメだ。」
「なんで?」
「危ないかもしれないから。」
サキはむっとして腕を組んだ。「じゃあ、連絡は絶対切らないで。」
靴ひもを結びながら、ハレルは観測鍵――カメラ付きのネックレスを確かめた。
この三週間、彼は“撮る”ことを意識していた。
部屋の窓、学校の廊下、駅の改札。
ほんの小さな違和感でも、写真として残す。
「観測」――見たものを“確かめる”こと。
それが、セラから教わった最低限のルールだった。
玄関に向かう途中、ふいに画面が明滅した。
黒い背景に、薄い文字が走る。
《GATE…SYNC…_resume》
(……まただ)
電源を落としても、消えない“気配”。
ネックレスの中で、青い光と砂色の粒が合わさって、微かに脈動している。
外に出ると、空は薄い雲に覆われていた。
冷たい風が頬を撫でる。
(涼……今、どこにいる)
昨日の、あの真剣な横顔が焼き付いて離れない。
“姉さんを、必ず見つける”
あの目に嘘はなかった。
***
駅前の喫茶店。
木のテーブルに、古いノートと録音機。
木崎はブラックを一口飲んで、まっすぐに言った。
「三名。首筋に同じ“痣”。色は薄い紫。形は半月をかたち崩したみたいなマーク。
それと、襟もとと袖口に砂。顕微鏡で見ると、普通の砂と違う。角が立ってる。」
「……アメ=レアの砂に似てる、かもしれません。」
ハレルはネックレスを軽く握る。
木崎はうなずき、少し間をおいてから言った。
「涼くんから、あれからいろいろ聞かせてもらった。
“砂の迷宮”とか、“記録の底にある街”とか……正直、信じがたい話だが、
あいつの目は真剣だった。だから、できる限り調べてみた。」
「調べて……何か分かりましたか?」
「専門家に聞いたらな。砂粒の角の数や、面の比率が特定のパターンに偏ってる。
自然の風で丸くなった砂じゃ、まず出ない偏り方だそうだ。
つまり“人の手”か、別の環境でできた粒だ。」
ハレルは息を呑む。
(別の環境――異世界。やはり、境界がこちらに漏れている)
木崎は、声のトーンを落とした。
「ニュースの“死亡登録”九名のうち、遺体が見つかった三名は**“失踪届”が出ていた**。
残り六名は、届け出なし。……つまり、まだ行方不明だ。」
「……データでは“死者”なのに、遺体は見つかってない六人。」
「そうだ。しかも全員、スマホに同じアプリの通信履歴が残ってた。
――“クロスワールド・ゲート”。」
店の窓に、白い雲が映る。
ハレルは、ゆっくり言葉を選んだ。
「もし“ゲームがきっかけ”で境界が開いているなら、
プレイ中のある条件で“転移の合図”が走るのかもしれません。」
「合図?」
「例えば、“同期(シンク)”。スマホの画面に、青白い光と英字……GATE SYNC。
それが出たとき、僕のネックレスも反応するんです。」
木崎は短く目を細めた。
「――それ、写真に撮ってあるか?」
ハレルはうなずき、端末を開いて撮影ログを見せた。
画面の中央に、かすれた英字列。
《GATE SYNC》の文字が、薄く、でも確かに残っている。
「念のため、時刻・位置情報も残してあります。ネックレスのカメラで。」
「そうか……。」木崎は深くうなずく。「それなら、“次の入口”を探せるかもしれん。」
席を立とうとしたとき、ハレルの胸の奥がコトリと鳴った。
青い光。砂のきらめき。
――遠くで、誰かが呼んでいる。
《ハレル》
(……セラ?)
ほんの一瞬だが、確かに“声”を感じた。
木崎がネクタイを緩める。
「ハレル。涼くん――昨日、抜けたんだろ?」
「……はい。」
「向こうに行ったなら、砂の迷宮(アメ=レア)に向かうはずだ。
“痣”の件も、砂の件も、全部つながる。」
「カシウスが、動いている……」
「おそらくな。敵はそのカシウスって奴だ。」木崎の目が冷たく光る。
「ただし、名前は出すな。今はまだ“証拠不足”だ。」
ハレルは首を縦に振った。
(証拠。見たことを、確かめる。写真に、記録に、残す)
ネックレスの重みが、心を真っ直ぐにする。
店を出ると、風のにおいが変わっていた。
甘いような、乾いたような、砂の匂い。
空の色が、ほんの少し、薄く滲む。
(境界の揺れが、また大きくなっている)
そのとき、スマホに短い通知が届いた。
差出人:不明 本文:《死者は二度、名前を失う。――記録と、存在で。》
ハレルは立ち止まった。
(誰だ……? カシウスか、それとも――)
胸のネックレスが、カチリと音を鳴らす。
砂色の粒が、ひとつだけ光った。
――涼。
(姉さんを、必ず見つけよう)
ハレルはまっすぐ前を見た。
足音が、街の雑踏に溶けていく。
“データの“死者”と、見つからない遺体。
そして、首すじの痣と、微量の砂。
それらは一本の線になって、砂の迷路の奥へ奥へと続いていた。