尊さんは涙を溜めた目で私を見て、うめくように言う。
「……お前が大切だ」
「分かっていますよ。愛されてるって自覚、ありますもの」
わざと明るく言った私の言葉を聞き、彼はクシャリと表情を歪めて不器用に笑う。
「いいんですよ。色んな愛の形があるんでしょう? 尊さんだって『結婚には色んな入り口がある』って言っていたじゃないですか。夫婦や恋人の愛だって、兄弟のように想うとか、父のように想うとか、友情が性愛に変わったとか、色々あっていいんですよ」
会話をしているうちに、尊さんは少しずつ落ち着いていったようだ。
彼はかすれた声で、ばつが悪そうに言う。
「……悪い。少し洗面所使うから、外で待っててくれ」
「はい」
私はもう一度尊さんをギュッと抱き締めてから、立ち上がって洗面所の外に出た。
リビングルームでしばしボーッとしていると、水音が聞こえてくる。
いつもの尊さんからは想像できないほど取り乱していたけど、あんな過去があったなら仕方がない。
理由は違えど、私の父も亡くなった。
『どうして? 私たちを置いていくの?』と行き場のない感情が荒れ狂い、私の心に大きな穴が空いた。
だから学生時代は、友達と青春を謳歌するどころではなかった。
私でさえそうなんだから、十歳の時に目の前で母親と妹を轢かれた尊さんのショック、トラウマは計り知れない。
六歳年下の妹なら、きっと目に入れも痛くないほど可愛がっていただろう。
大好きなお兄ちゃんのあとをついてまわる、天使のような女の子だったに違いない。
十歳の尊さんは、母に妹、愛情を注ぐ相手を一気に失ってしまった。
想像するだけでつらくなり、私はソファに座るとクッションを重ねてそこに顔を埋めた。
彼は無気力になり、生きる希望も失ったかもしれない。
でも尊さんは、泥にまみれてなお進み続けた。
なのに、人を好きになろうと思っても怜香さんに邪魔をされた。
誰かを信頼し、弱った心を預けたいと願う事すら許されなかった。
亘さんは血の繋がった父親だけれど、怜香さんへの罪悪感や風磨さんを気遣う気持ちから、尊さんばかりを構う事はできなかったんだろう。
たまに父親らしい事を……と、思った時はあったかもしれない。
けどその頃にはもう、尊さんは「父親を頼っても無駄だ」と諦めてしまっていたんだと思う。
「……どうして……」
どうして尊さんばかりが、こんな不幸な目に遭わないといけないんだろう。
私も彼も、家族を亡くした。
怜香さんにだって彼女なりの苦しみがあっただろう。
誰の悲しみが一番深いかなんて、考えるだけ無駄だ。
(でも……、あまりに酷すぎる)
溜め息をついた時、洗面所からバスローブ姿の尊さんが現れた。
彼は部屋の電話でコンシェルジュに連絡をする。
「クリーニングと着替えの購入をお願いしていいですか。二十代の女性用の服もお願いします。系統とサイズは……」
洗面所で尊さんを抱き締めた時、私の服も少し汚れてしまったのを気にしてくれたらしい。
(そんなのいいのに。……自分が一番大変なのに、ちゃんと周りを気遣えるんだよなぁ)
どんな状況にあっても誰かを思いやれる彼が愛しく、少し悲しかった。
『もっと我が儘になっていいのに』と思うけれど、そうなれない理由は〝似た者〟である私が一番分かっている。
「……悪い」
尊さんは疲れ切った様子でこちらに歩いてドサッとソファに座り、大きな溜め息をついた。
「……ごめんな。最悪すぎた」
「謝らないでください」
私は微笑み、彼を抱き締める。
それから、ここまで彼の事情を知ってしまったなら、ずっと黙っていようと思っていた事を打ち明けようと決めた。
「少し、私の昔話を聞いてくれますか? 尊さんにも関わる事なんです」
「……ああ」
私たちはカウチソファに横たわり、抱き合う。
そのあと、私は彼のぬくもりを感じながら、ポツポツと語り始めた。
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コメント
3件
怜香の罪を暴き 復讐をやり遂げた今だからこそ、お互いに全てを打ち明け合ってほしい....🥺 お互い 隠さず語り合うことで、少しずつでも心が浄化され、穏やかになっていけると良いね....🍀✨
朱里ちゃんが言うように怜香だって苦しい絶望だっただろう。でもこやつは超えてはいけないラインを超えた。超えてさらに超えていった。その事に気付き心からの謝罪が出来る時は来るのだろうか…。
二人とも寂しい想いをしてきたから 今、人を想いやる優しさがあるのかな。🤗