四年前に私が篠宮フーズに入社した時には、尊さんはすでに〝部長〟だった。
『二十八歳で部長ってどういう事』と興味深く思っていたけれど、イケメンな上に綺麗どころの先輩たちが狙っていたから、近づかないほうが吉だなとすぐに理解した。
だから同じ部署に配属された恵と『ちょっと近寄りがたいけど、顔は格好いいね』と言っていた程度の〝遠い人〟認識だった。
当時の尊さんは、今よりずっと捉えどころのない人だった。
今もだけど、仕事のレスポンスが物凄く速くて指示も適切なのに、いっさいの情熱とやる気が感じられない。
無愛想ではないし、ちょっと笑う時もあったけれど、醸し出すオーラがどことなく恐い。
常に何かに対して怒っているような雰囲気があり、二人きりになったら絶対逃げたくなる感じの人だった。
入社して一年目の私は、仕事を覚えるのに精一杯な日々を過ごし、あっという間に年末を迎えた。
四年前の十二月一日は、日曜日だ。
誕生日が週末にかかるので、私は昭人と金曜日の夜に待ち合わせをして、お泊まりデートをした。
そして土曜日には恵も加わり、一日遊び倒した。
夜は六本木でご飯を食べてお酒を飲んだあと、二人は別方向に帰り、私は彼らに『バイバイ』を言ったあと地下鉄で帰ろうとした。
『ねぇ、アレやばくない?』
歩いていると、前方から来た女性二人組とすれ違った。
『なんだ?』と思っていると、斜め前方の壁際に男性が座り込み、周りなど気にせずに泣いている。
――うわ、やばい奴だ。
しかもその男性は、ボロボロになった仏花の花束を持っていた。
(……やばい人かもしれないけど、訳アリなのかな。……悲しいから泣いてるんだろうけど、関わらないほうが……)
そう思いながら通り過ぎようとした時、男性が顔を上げて涙を拭ったのを見て、足を止めてしまった。
(部長だったああああ!!)
人は物凄いショックを受けた時、つい口が開いてしまうのはどうしてだろう。
私は目を見開いて口も開けたまま、彼から少し離れたところで立ち止まってしまった。
でも部長は私に気づかず、周りを気にせず嗚咽している。
どうやら泥酔しているみたいで、私は自分の上司のそんな姿を見て『うわああ……』とドン引きしてしまった。
(……でも、何かあったのかな。部長に人前で醜態を晒すイメージはない。よっぽどの事があったんだろうか。それに仏花って……)
私だって父を亡くした時、世界が終わったような感覚に陥った。
中学一年生のあの時から、私の人生は大きく変わったと言っていい。
だから、他人にも相応のドラマがあったとしても驚かない。
(このまま他人のフリをして通り過ぎるのは簡単だ。誰にだってできる)
けど、嘆き悲しんでいる部長を前にして、どうしても無視する事はできなかった。
私自身、最も絶望していた時に、見知らぬ人に救われた事はあったからだ。
それに優しい父が生きていたなら、知らない人でも声を掛けて話を聞いたに決まっている。
(タクシーに乗せて家に送るぐらいなら)
そう決めた私は、ゆっくりと部長に近づいた。
すぐ側にしゃがんでも、彼は私に気づかず嗚咽していた。
『部長、もう十二月になるんですから、風邪ひきますよ』
あーあ、せっかくの綺麗な顔、グシャグシャにして……。
私は溜め息をつき、バッグからポケットティッシュを出す。
『ほら、部長。洟拭いて』
私はティッシュを広げて二つ折りにすると、彼の目元を拭い、高い鼻を摘まむようにして洟を拭く。
泥酔した人の介抱なんてまっぴら御免だけど、なぜか部長相手だとそれほど抵抗はなかった。イケメンの成せる技か……。
『……悲しい事があったんですか?』
彼の顔を覗き込んで尋ねると、うつろだった部長の目に微かな光が宿る。
『あかり……』
そして彼は、震える唇を動かして私の名前を呼び、抱き締めてきた!
(えええええええ!?)
私は無言で目を見開き、体を硬直させて驚愕する。
『あかり……っ、すまない……っ』
部長は私を誰かと間違えているようで……、いや、でも私の名前を呼んでいて!?
とにかく、上司に抱き締められるなんて思ってもみなかったから、何が何だか分からない。
コメント
2件
↓うん…逆もあるよね…助けてあげられなかったってね…😣
尊さん、一緒にシななかったのが申し訳ないという懺悔の気持ちもあったのかな。😭