テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる

#恋愛
ばたっちゅ
20,605
83
meyu0530
198
翌朝、浮かない気持ちのまま職場へと向かう。勤め先の料理教室は商業施設の一角に入っており、他の教室と比べても開放的な内装が特徴的だ。人によってはヘルプで違う教室の授業へ駆り出されることもあるが、私は基本的に異動なしで勤務させてもらっている。
朝一の授業の準備を進めていると、同僚の大荒郁(おおあら いく)が、眠たげな表情で声をかけてきた。
「緋真ちゃん、おはよ~。この時間に会うの久しぶりだね」
「おはよう。そうだね、私今週シフト少なかったから」
「最近全然会えなかったから、寂しかったよ~」
ハイトーンのミルクティーベージュの髪をまとめあげ、肌は粉砂糖のように白くきめ細やか。細く長いまつげから覗く色素の薄い瞳は日本人離れしていて、まるでお人形さんのような見た目をしている。
郁ちゃんとは学生時代に通っていた料理教室で知り合い、年齢が一緒だったこともありすぐに仲良くなった。
大学卒業後、彼女はそのまま講師として就職、私は一度食品会社へ就職をしたあとで講師へと転職をした。その際に、今の料理教室に口を利かせてくれたのが郁ちゃんだったのだ。
「ねね、今度ご飯行こうよ。終わりの時間合わせて」
「いいね、最近話せてないし。あとでスケジュール確認しよっか」
「やった~! 緋真ちゃんの新婚話聞きたい!」
郁ちゃんは天真爛漫で、同い年だというのにやや幼い印象を受ける。しかしながら、そこがなんとも愛らしく彼女の魅力のひとつでもある。
そして伊織さんとも結婚前に一度顔を合わせたことがあり、私たちがお見合い結婚である事情などは大方理解していた。
「新婚話っていっても、大したことないよ?」
「またまた~。あ、でも仕事の後だと遅くなっちゃうし、休みの日がいいかな? 伊織さんに何か言われる?」
「一応聞いてみるけど、どっちでも大丈夫だと思うよ。ご飯は作り置きしておけばいいし」
「そっか、緋真ちゃんが毎日ご飯作ってるんだもんね。やっぱり結婚したら自由にできないかぁ」
「そうでもないよ。わりと自由にさせてもらってるし。ただ、私が作りたいだけで」
私自身も結婚したら自由がなくなってしまうのではないかと漠然に思っていたが、意外とそんなことはない。伊織さんは仕事もプライベートも好きにしていいと言ってくれて、ありがたい限りだった。それでも念のため、事前に断りを入れるようにしているけれど。
夕飯もできる限りで問題ないと言われているものの、私が作ってあげたいのだ。
何とはなしに答えると、郁ちゃんがニヤニヤと口元を緩める。
「へえ、ラブラブなんだ~? 上手く行ってそうでよかった」
「うーん、どうだろう……」
「あれ? なになに、訳あり? 私でよかったら惚気でも愚痴でも聞くよ?」
逆に聞きたいと言わんばかりに、郁ちゃんがどんと構える。
彼女は見た目通り異性からもモテるタイプで、聞く限り学生時代から恋愛経験も豊富なほうだった。だから、ここ最近悩んでいるデリケートな相談にも乗ってくれるかもしれない。
そんなことを考えていると、今度は心配そうに顔を覗き込まれた。
「でも、緋真ちゃん大丈夫? 結婚しても仕事変わらずだし、無理してない? 昨日も料理動画アップしてるの見たよ~」
「大丈夫だよ。なるべく休みの日に作業してるし、結構楽しいから」
「頑張り屋さんだな~。ま、だから人気なんだよね、緋真先生は! 今日なんてこの後の授業貸し切りになってたし」
「それは関係ないよ。貸し切りなんて滅多にないんだし」
私たちが勤める料理教室では、少人数制をとっており、通常講師一人につき生徒が四、五人ほどつく。もしマンツーマン授業を希望する生徒がいれば、四回分の授業料を払えば講師一人を貸し切りできるシステムになっているのだ。
マンツーマン授業といっても制度があるだけで、授業料が高額ということもあり、利用する人はほとんどいない。稀にあっても、年末のおせちなどの特別授業やホームパーティーのために料理を持ち帰りたいといった特殊なケースばかりだ。
ところが、今日は基礎の家庭料理の授業を貸し切りで予約している生徒がおり、この後私がつくことになっている。しかも、一度も教えたことがない生徒だから、少し不思議に思っていた。
「もしかしたらSNS見て予約してきたのかもよ? そういう生徒さん多いもんね」
「どうだろう。でもそうだったら嬉しいな」
急に騒がしくなり出した教室を見回すと、十時からの授業に向けて生徒たちが続々とやってくる。
郁ちゃんとの話はそこそこに準備を急いだ。
◇
授業の時間になると、料理教室に似つかない甘やかなフローラルの香りを連れて、小花柄のエプロンを身に着けた女性が現れた。年齢は二十代前半くらいだろうか。くりっとした大きな目に、ぷっくりと濡れた厚い唇。顔のパーツは全体的に丸みがあって愛らしいが、意外にも身長が高く、視線を少しだけ上に向けた。
「おはようございます。ええと……」
ネームプレートを見ると、白鷹智美(しらたか ともみ)と書かれている。珍しい名字には、なぜか見覚えがあった。
「白鷹さんですね。椹沢です。よろしくお願いします」
仕事用に旧姓で名乗ると、彼女はじっと私を見つめたまま。
探るような視線に戸惑っていると、にっこりと笑顔を向けられた。
「お会いできて嬉しいです。実はずっとSNSフォローしていて。緋真先生って呼んでもよろしいですか?」
「わ、ありがとうございます。ぜひ、お好きなように呼んでください」
「はい。あ、私のことも下の名前で呼んでほしいです。名字、あまり好きではないので」
「智美さんですね。わかりました」
何度も通ってくれる生徒の中には、親しみを込めて下の名前を呼んでいる方もいる。だからあまり呼び方は気にしないのだが、初めての授業で自らお願いされるのは初めてだ。
「それじゃあ、二人きりなので早速始めましょうか。今日は和食の基本メニューについて学んでいきますね」
「はい、よろしくお願いします。あと、すみません貸しきりにしちゃって。こっちのほうが緋真先生とゆっくりお話しできるかなと思ったので」
「え?」
「緋真先生のファンなんです。だから、料理のこととか含めていろいろ聞きたいなぁって」
そのためにわざわざ貸し切りにしたというのだろうか。他の生徒たちがいても、ある程度全員と話すことはできるのに。
もしかすると熱心なファンなのかもしれない。いずれにせよ、高いお金を払って予約してくれているのだから、ありがたく思わないと。
「もちろんです。聞きたいことがあれば作業の途中でも構わないので、いつでも聞いてください」
営業スマイルを浮かべると、智美さんも嬉しそうに微笑んでくれる。笑顔まで愛らしくて、男性が好きそうなタイプだなと思いながら授業を開始した。
コメント
1件
読み終わりました!智美さん、最初はただの熱心なファンかなって思ってたんですけど、「相手の方、お医者さんなんです」のところで一気に空気が変わってゾクッとしました。主人公が感じる違和感が読者にもひしひし伝わってきて、次がすごく気になります。伊織さんに繋がる何かなのかな…。女同士の不穏な空気感の描き方が本当に巧みで、引き込まれました!