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文化祭が終わってから、学園はゆるやかな日常に戻っていた。それでも、どこか景色は変わって見える。
寮の部屋に並ぶふたつのベッドも、いつもと同じ場所にあるはずなのに、少しだけ近く感じた。
仁人は、机の上のノートに視線を落としながらも、何度もちらちらと向かいのベッドの上を見た。太智は制服のシャツを脱いで、Tシャツ一枚になってゴロンと寝転がっている。
「なあ、じんちゃん」
「……なに?」
「文化祭、楽しかったなぁ。うち、あんなにワクワクしたの、久しぶりやったわ」
「うん……わたしも、楽しかった」
「……今、“わたし”って言った?」
仁人は一瞬固まったが、すぐに苦笑して、頬をぽりぽりかいた。
「……昔の癖。だいちゃんの前だと、つい戻るんだよね」
「戻ってええよ。むしろ、うちはそっちの方が落ち着くし」
太智は、ゆっくり体を起こして、仁人の方へ向き直った。
「……なあ、じんちゃん。うち、たぶん、ずっと“じんちゃん”のことが好きやってん」
「うん、知ってる」
仁人は、穏やかに、でも照れ隠しのない声でそう答えた。
太智の目がまんまるになる。
「こっちだって……ずっと好きだったよ。昔も、今も」
その言葉が部屋に落ちた瞬間、しんと静かになった。
夜の寮は、窓の外から虫の声が聴こえてくるくらいで、ふたりの息遣いがはっきりわかるほどだった。
太智はゆっくり立ち上がって、仁人のベッドの前まで歩いてきた。
「……手ぇ、出してみ」
「え?」
「いいから」
戸惑いながらも、仁人は手を差し出した。
太智はその手を両手で包み込むように握りしめて、仁人の前にしゃがんだ。
「これからも、“じんちゃん”って呼ばせてな」
「……うん」
太智の手が、仁人の頬に触れた。
仁人は、わずかに目を見開いたあと、すっと目を閉じた。
その仕草に、太智の胸が跳ねるように高鳴る。
──もう一歩、踏み出してもいいんやろか。
答えはもう、目の前の沈黙が教えてくれていた。
太智はそっと仁人に顔を寄せ、迷うように一瞬止まり、それから優しく唇を重ねた。
やわらかくて、あたたかくて──
懐かしいようで、新しい。
ふたりの心が重なった音は、言葉よりもずっと優しかった。
やがて太智がそっと離れると、仁人は少しだけ涙ぐんだような瞳で笑った。
「……だいちゃん、顔赤いよ」
「うるさいわ。……じんちゃんのせいやろ」
ふたりは、まだつないでいた手を離さずに、しばらく黙ったまま微笑み合っていた。
その静かな夜が、ふたりにとって、最初の特別な夜になった。