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その最中、紫色のロベリアの葉がいくつか枯れて床に落ちていることに気付いた。
枯れた葉を拾い上げながら、ロベリアの鉢に目をやる。
鮮やかな紫色の花はまだ元気だが、やはり少し手入れが必要そうだ。
明日の朝、水やりと一緒に傷んだ葉を取り除いてやろう。
生ゴミはまとめてゴミ袋へ。
使い終わったハサミやバケツは、軽く水で洗い流し
明日また気持ちよく使えるように店の隅に重ねて置く。
次に、花たちの手入れ。
特に繊細なトルコキキョウから順番に状態をチェックしていく。
薄い花びらが少し萎れかけているものもある。
そっと指先で触れて、まだ手遅れではないことを確認し、延命剤を入れた新しい水を入れた花瓶に移し替える。
バケツや花瓶の水を全て新鮮なものに入れ替え
花たちが明日も美しい姿を見せられるように丁寧に手入れをする。
冷蔵ケースの中も整理し
売れ筋のバラや、今日入荷したばかりの瑞々しいカーネーションを
お客様が見やすいように配置を考える。
奥の方に、予約の入っている特別なアレンジメントの花材があることも確認しておく。
一人で店を切り盛りする大変さを感じながらも花の手入れが終わると、セキュリティ対策は念入りに行う。
出入り口のドアはもちろん
裏口や窓の鍵が全て閉まっているかを一つ一つ確認する。
防犯アラームをセットし、最後に店内の電気を全て消して回る。
暖房のスイッチが切れていることも再度確認すると、2階のスタッフルームへと上がる。
一人きりの店内は静かで、自分の足音だけが響く。
私服に着替え、エプロンをハンガーにかけてロッカーにしまうと
鍵や発情抑制剤
フェロモン抑制剤の入ったクリーム色のトートバッグを肩にかけて持ち
1階に降りて、確認として、もう一度店内を見渡す。
花たちは静かに眠りにつき、明日のお客様を待っているのを確認すると
今日も一日頑張ったな…と腕を上げて天井に向かって伸びをし、店の鍵を閉める。
シャッターを下ろし、鍵が閉まっていることを確認してから、裏口から外へ出た。
外はすっかり暗くなり、冷たい空気が肌を撫でる。
白い息を吐きながら帰路につく。
ふと空を見上げると、星がきらめき始めていた。
正直、暗闇は好きじゃない。
まだ街灯があるだけ救いだが、それでも怖いものは怖い。
もう27歳になるが
中学時代にハイパーΩという理由で非道な極道組織に暗闇で無理矢理発情させられてから
どうも暗闇には畏怖感を覚えずにはいられないのだ。
あの事件からもう14年経っているが、完全に忘れられるほど器用な人間では無い。
大きな道路沿いを歩くと、車のヘッドライトが眩しいが
人の少ない道を通って襲われるよりはマシなので、そういう道を必ず歩くようにしている。
あまり暗いことを考えないように、店について思考を巡らせる。
今日注文のあった花束も早く作りたいし
明日は生花の他にプリザーブドフラワーの発注もきているから早めに取り掛かろう。
そんなことを考えながら歩くうちに自宅アパートが見えてきた。
築20年の3階建てのアパートで、2階の部屋を借りて住んでいる。
トートバッグから家の鍵を取り出し
鍵穴に挿して扉を開け、中に入ると靴を脱いでリビングに入る。
すぐに電気をつけて荷物を椅子にかけて手を洗剤で洗う。
そしてそのまま風呂場に入り、熱めのお湯で全身を洗い流す。
髪を乾かしてから歯を磨き終えると、寝室に移動して布団に入る。
枕元に置いたスマホを手に取り、ニュース記事を読みながら充電器を挿して眠りについた。
◆◇◆◇
翌朝、3時50分
いつも通りの時間に目を覚ます。
顔を洗って服を着替えると、キッチンで朝食を作り始める。
今日のメニューは野菜たっぷりのミネストローネスープにベーコンとスクランブルエッグだ。
それらを皿に盛り付け、トーストを焼いている間にコーヒーを淹れる準備をする。
コーヒーメーカーから漂う豆の香りを嗅ぎながら、焼き上がったパンをバターと共に皿に乗せる。
スープも熱々に煮込み上がり
カフェオレと一緒にテーブルに並べて食べ始める頃にはもう5時25分だった。
6時には店についていないといけないのであまりちんたらはしていられない。
◆◇◆◇
5時35分
10分で朝食を済ませ、食器を洗い、食器洗浄機にセットしてスイッチを押す。
その間に顔を洗い歯磨きを済まし5分とかからずに身支度を済ませると、いつものトートバッグをカバン掛けから取る。
中にフェロモン抑制剤と発情抑制剤が入っていることを確認し
最近持病の喘息がまた顔を出してきたので
水を買うための財布も入れてバッグを肩にかけて
火の元確認も済まして電気を消す。
施錠を確認して部屋から出ると
ドアノブを回しても開かないかを確認して
鍵をトートバッグの底に落とし、階段を下りていく。
早朝の街はどこか寂しくて、人通りも少なく閑散としている。
朝特有のツンとした空気を感じながら店に着くと、シャッターを開けて店の電気をつける。
そして売れ筋の花たちをショーケースに入れてい
く。
一連の作業が終わる頃には6時前になっているだろう。
そして朝一番の水やりと掃除は、必ず欠かさないようにしている。
店内の整理や花の手入れを終えた頃には7時前になっていて
そろそろ開店準備に取り掛からなければならない時間になっていた。
店先の電気をつけてシャッターを開けにいく。
店の前には通勤通学中の人々が行き交い始める時間帯で
そんな中、すたこらせっせと花たちを丁寧に並べていく。
◆◇◆◇
10分後⋯
全ての花を並べ終わり、2階のスタッフルームでエプロン姿に着替え終わると
最後に扉にOPENと書かれた看板を下げて、レジに立つ。
いよいよ開店時間だ。
そして開店から数分が経過すると、お客様もちらほらと来店し始める。
花言葉を聞いてくる客は少なくなく
その説明をして、花束などの注文があれば対応し
予約のお客様が来店すると商品を手渡し決算をす
る。
昼過ぎには常連のお客様が来店され始めたので、いつも通り丁寧に接客をしていく。
すると、その中に犬飼さんの姿を見つけた。
彼もまた俺の姿を確認すると、軽く会釈をしてきた。
「ども」
俺も会釈し、笑顔で答える。
「犬飼さん、いらっしゃいませ」
そしてそのままお客様の相手を続ける。
犬飼さんはショーケースに並べられた花たちを眺めながら店内を歩いていると
ふと目につく花があったようだ。
「この白いカーネーションってなんて種類なんすか?」
そう聞かれ、口を動かす。
「それはムーンダストって言うんですよ。少し珍しい品種なんですけど、すごく人気なんです」
そんなやり取りをしている最中も次々とお客様が
やってくるので
その場を後にして接客に戻る。
お客様との会話を楽しみながら接客をこなしていると
いつの間にか時間は過ぎ、15時に近くなっていた。
それからまた数時間が経過し
いつものように一人閉店作業をしていると
エプロンのポケットに入れていたスマホから着信音が鳴り響いた。
「はい、もしもし」
着信に応答しスマホを耳に当てると、相手は高校時代の友人・尾川健司だった。
「よう、楓!久しぶり~」
「え、健司?久々。健司からかけてくるとか、珍
し」
「いやさ~ちょっとお前に頼みがあってさ!」
「頼み?」
「お前、まだ番とかいないよな?」
「え、いないけど」
短くそう答えると
「んじゃ今週の日曜に合コン行かね?」
「いつも急すぎ…」
思わず苦笑が漏れる。
「俺がα不信なの知ってるじゃん、誘う意味がわかんないんだけど…」
「だからこそだろー?いつまでもαにビビって誰も信じようとしなかったらお前ずーっと独身りなだけだぜ?」
「よ、余計なお世話だよ……!」
「まあまあ、そう言わずにさ〜。お前、昔は運命の番見つけるのが夢って言ってたじゃんか」
「そ、それはそうだけど…」
「何がそんなやなんだよ?」
「だって、恋とかわかんないし…みんな真剣に番探しに来てるんでしょ?こんなΩが行ったって冷やかしにしかならないと思うんだよ」
「んなことねーって、意外とみんな軽い気持ちできてるぜ?」
「…で、でも…」
「大丈夫だって、もしかしたらいいやつ見つかるかもしんねーじゃん!」
「うーん……まあ…俺がハイパーΩだってこと黙っててくれるなら、いいけど」
「言わねぇって。んじゃ決まりな!」
「6時から新宿東口の「鶏の宴」って焼き鳥食べ放題の居酒屋予約してっから、今週の日曜必ず空けとけよ!じゃ」
そう言って一方的に電話を切られてしまった。
「ちょ、健司!」
慌ててスマホの画面を見るが、既に通話は切れているようで、仕方なくため息をつく。
「はぁ…合コンか……」
正直あまり気乗りしないが
でもまあ、たまにはいいかもしれない。
それに健司の言葉にも一理はある。
もしかしたら運命の番に巡り合えるかもしれないし
前向きに挑戦してみるのもα克服のためにはいいかもしれない。
それに健司もいるなら、きっと大丈夫だろう。
そんな安心と期待を胸に秘めて俺は閉店作業を再開した。