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第1話 自販機:未投入モード
九月の放課後。
昼間の暑さをまだ少し残した風が、校門から出てきた生徒たちの制服を揺らしていた。
ハルは肩に掛けた鞄を持ち直しながら、住宅街へ続く道を歩いていた。
隣を歩くソウタは、さっきからスマートフォンばかり見ている。
信号で止まっても見る。
歩き始めても見る。
危ないから前を見ろと言おうとしたところで、ソウタが急に立ち止まった。
「これ、知ってる?」
画面を差し出してくる。
ハルは半歩戻った。
「なに?」
「変な通販サイト」
「買うの?」
「いや、見て」
画面には、妙に簡素なページが表示されていた。
上部には小さく、
幻場.com
とある。
通販サイトらしい。
ただ、並んでいるものがおかしかった。
自動販売機。
ペンライト。
どこかの地面にできた大きな裂け目。
番号の並んだロッカー。
どれも商品写真らしいものが付いているのに、売っている物がよく分からない。
ハルは画面を指で少し動かした。
「自販機売ってんの?」
「違うっぽい」
ソウタが商品を開いた。
商品名。
自販機:未投入モード。
価格、三百二十円。
在庫、∞。
「無限って」
ハルが笑った。
「自販機が無限にあるの?」
「だから自販機を買うんじゃないって」
概要を読む。
お金を入れていない状態で、特定のボタン操作を行うことで占い挙動が発生する自動販売機の情報。
さらに、普通に商品を買った場合でも、ときどき機械側がおすすめの商品を選ぶことがあるらしい。
ハルはもう一度値段を見た。
三百二十円。
ジュース二本くらいだった。
「これ買ったら何が来るの?」
「場所とやり方じゃない?」
「三百二十円で?」
「そう」
「微妙」
そう言いながら、ハルは商品ページを閉じなかった。
画面を下へ動かす。
占い発生率。
十回に一回前後。
同じ場所でも再現しない場合があります。
おすすめは選べません。
レビューの欄もあった。
押してみる。
何も表示されない。
もう一度押す。
やはり何もない。
「レビュー非表示って書いてある」
「じゃあボタンいらないじゃん」
「それな」
二人で笑った。
信号が変わる。
横断歩道を渡りながらも、ハルはまだ商品ページを見ていた。
写真に写っている自動販売機は、特別変わったものには見えない。
飲み物が並び、硬貨投入口があり、その下に取り出し口がある。
どこにでもありそうだった。
だからこそ、少し気になった。
「買う?」
ソウタが聞いた。
「お前が見つけたんだからお前が買えよ」
「ハルの方がやりたそうじゃん」
「やりたいけど三百二十円は高い」
「半分出す?」
ハルが止まった。
ソウタも止まる。
二人はしばらく顔を見合わせた。
「百六十円?」
「百六十円」
「それならいい」
その日の買い食いが一回減るだけだった。
購入後に表示されたのは、長い説明ではなかった。
地図。
自動販売機の写真。
そして、六個の数字。
数字は商品ボタンの位置を示しているらしい。
上段左から番号を振り、その順番で押す。
ただし、お金を入れてはいけない。
時間指定もない。
それだけだった。
「近くない?」
ソウタが地図を拡大した。
学校から歩いて十五分ほど。
二人が普段通らない住宅街の端だった。
「行く?」
「行く」
決まるまでに五秒もかからなかった。
住宅街を抜けると、道幅が少し狭くなった。
古いクリーニング店。
小さな駐車場。
植木鉢の並んだ家。
地図の印は、その先にある細い道を示している。
「ここ?」
「たぶん」
曲がる。
あった。
建物の壁際に、一台だけ自動販売機が立っている。
ハルは思わず笑った。
「普通じゃん」
「普通だな」
写真と同じだった。
特別古いわけでもない。
壊れているようにも見えない。
商品には水、お茶、炭酸飲料、コーヒー、果汁飲料などが並んでいる。
値段も普通。
百三十円。
百五十円。
百六十円。
側面には飲料会社のロゴがある。
「これ本当に変なやつ?」
ソウタが自動販売機の横を覗いた。
ハルも反対側を見る。
何もない。
ただの機械だ。
近くでは自転車が走っていった。
遠くから犬の鳴き声が聞こえる。
ハルはスマートフォンを取り出した。
「順番これ」
一番上。
三番目。
下段。
また上段。
六つのボタンを確認する。
「やるぞ」
「どうぞ」
「お前もやれよ」
「買ったのハルじゃん」
「半分払っただろ」
「だから半分見てる」
「意味分かんない」
ハルは最初のボタンを押した。
カチ。
当然、何も起こらない。
二つ目。
カチ。
三つ目。
四つ目。
五つ目。
六つ目。
静かだった。
「はい」
ソウタが言った。
「何もなし」
「まだ一回だし」
商品説明には、十回に一回前後と書かれている。
ハルはもう一度やった。
カチ。
カチ。
カチ。
途中で順番が分からなくなった。
「今どこ?」
「四」
「五じゃない?」
「四」
「絶対五だろ」
「じゃあやり直し」
二回目は失敗扱いになった。
三回目。
何も起こらない。
四回目。
何も起こらない。
五回目。
ハルの指が少し痛くなってきた。
「これ、ただボタン押してるだけじゃん」
「最初からそうだよ」
六回目。
ソウタが担当する。
押し方が妙に速い。
「それ間隔とか関係ないの?」
「書いてない」
「ちゃんと押せよ」
「ちゃんと押してる」
七回目。
何もなし。
八回目。
通行人が来たので、二人とも一度自動販売機から離れた。
買いもしないのに延々と商品ボタンを押しているところを見られるのは、なんとなく恥ずかしい。
通行人がいなくなる。
九回目。
カチ。
カチ。
カチ。
最後のボタン。
何も起こらない。
ソウタがため息をついた。
「三百二十円」
「まだ十回目ある」
「商品説明の十回に一回って、絶対じゃないだろ」
「でも十回はやる」
ハルはスマートフォンを見直した。
順番を一つずつ確認する。
今度は間違えないよう、声に出した。
「二」
カチ。
「五」
カチ。
「十一」
カチ。
「八」
カチ。
「三」
カチ。
最後。
「十四」
カチ。
何も起きない。
ハルは数秒待った。
「ほら」
ソウタが笑う。
「帰ろうぜ」
「詐欺サイトじゃん」
ハルが自動販売機から離れようとした。
そのときだった。
ピッ。
二人とも振り返った。
自動販売機の商品表示の一つが消えている。
値段が表示される小さな部分。
そこに数字ではないものが流れていた。
文字だった。
ハルが近づく。
短い文章が、一文字ずつ右から左へ動いている。
『あした ひだりをえらぶ』
「……なにこれ」
ソウタも近づいた。
二人で読む。
一度消える。
また表示された。
『あした ひだりをえらぶ』
「占い?」
「たぶん」
「左って何?」
「知らん」
数秒後。
表示は消えた。
そこには元通り、
150
という数字が表示されている。
ハルはボタンを押した。
何も起きない。
もう一度。
普通のボタンだった。
「撮った?」
ハルが聞いた。
ソウタの動きが止まった。
「撮ってない」
「なんでだよ!」
「急だったんだから仕方ないだろ!」
「もう一回出せない?」
二人は十一回目を試した。
何もなし。
十二回目。
何もなし。
十五回まで続けた。
一度も文章は出なかった。
翌朝。
ハルは占いのことを半分忘れていた。
覚えてはいた。
ただ、
『あした ひだりをえらぶ』
という文章が何を指しているのか分からない。
左なんて一日に何度も選ぶ。
家を出たところで左。
学校の階段でも左側を歩く。
教室の席も、自分から見れば左側に友達がいる。
何にでも当てはまりそうだった。
一時間目。
何もなし。
二時間目。
何もなし。
昼休み。
何もなし。
「外れじゃん」
ソウタがパンを食べながら言った。
「まだ今日終わってない」
「左なんて言われてもな」
「右選んだらどうなるんだろ」
「別に何も起きないだろ」
午後。
体育があった。
教師が二つのグループに分かれるよう指示した。
ハルは右へ行こうとした。
そこで昨日の文章を思い出す。
左。
ほんの遊びだった。
ハルは進路を変えた。
「こっちにする」
ソウタもついてきた。
しばらくして、右側のグループが使う予定だった用具に不具合が見つかった。
危険というほどではない。
ただ授業が一時中断し、右側だけ別メニューになった。
ハルとソウタは顔を見合わせた。
「これ?」
「弱くない?」
「占いなんてそんなもんだろ」
二人は笑った。
しかし放課後にも似たことが起きた。
帰り道。
工事中のため、左右どちらかへ迂回する必要があった。
「左?」
ソウタが言う。
「左だな」
左へ行く。
少し歩くと、小さな店の前でキャンペーンをやっていた。
菓子を一つもらった。
「これか?」
「さらに弱くなった」
二人は笑いながら食べた。
占いが当たったのか。
偶然なのか。
どちらでもよかった。
三百二十円分くらいは楽しんだ気がした。
それから数日。
二人は自動販売機のことを話さなくなった。
学校では別の話題が次々に出てくる。
テスト。
動画。
ゲーム。
宿題。
給食。
新しくできた店。
都市伝説は、もっと面白いものが現れるまでの短い遊びになった。
幻場.comも、ハルのブラウザ履歴の奥へ沈んでいった。
金曜日。
部活のないハルは、一人で帰っていた。
暑かった。
九月も終わりに近づいているのに、昼間の熱が道路に残っている。
喉が渇いた。
財布を見る。
百六十円。
ちょうど飲み物一本くらい。
コンビニへ行こうとして、ふと思い出した。
あの自動販売機。
少し遠回りになる。
それでもハルは道を曲がった。
占いをするつもりはなかった。
普通に飲み物を買うだけだ。
自動販売機は前と同じ場所にあった。
何も変わっていない。
ハルは商品を眺めた。
炭酸。
お茶。
果汁飲料。
水。
迷う。
今日は炭酸がいい。
財布から硬貨を取り出す。
投入口へ入れる。
チャリン。
表示が、
160
になる。
ハルは炭酸飲料のボタンへ指を伸ばした。
ガコン。
止まった。
まだ押していない。
取り出し口から音がした。
「え?」
ハルはしゃがんだ。
中に一本入っている。
水だった。
普通の水。
透明なペットボトル。
「いや、押してないし」
取り出す。
冷たい。
自動販売機を見る。
投入金額の表示は、
0
になっている。
「おすすめ……?」
商品説明を思い出した。
通常購入時に、おすすめが勝手に選ばれる場合があります。
ハルは水を見た。
「いらねえ」
炭酸が飲みたかった。
よりによって水。
嫌いではない。
ただ、今欲しかったものではない。
「おすすめ下手すぎ」
ハルはキャップを開けず、鞄の横ポケットへ入れた。
家へ向かう。
途中でソウタへメッセージを送った。
『あの自販機、勝手に出た』
すぐ返信が来る。
『マジ?』
『水』
『地味』
『炭酸ほしかった』
『飲めよ』
『いらん』
そんなやり取りをしながら歩く。
自動販売機から離れて十分ほど。
住宅街の角を曲がったところで、小さな声が聞こえた。
「すみません」
ハルは顔を上げた。
道端に、一人の男の子がしゃがんでいた。
小学校低学年くらい。
その隣には自転車が倒れている。
膝を擦ったらしく、少し血がにじんでいた。
「大丈夫?」
ハルが近づく。
男の子はうなずいた。
泣いてはいない。
ただ、困った顔をしている。
「転んだ?」
またうなずく。
ハルは自転車を起こした。
チェーンが外れたわけではない。
タイヤも大丈夫そうだ。
「立てる?」
男の子が立ち上がる。
膝についた砂が傷へ張り付いていた。
「洗った方がいいな」
近くに公園がある。
ハルは男の子と一緒にそこまで歩いた。
水道。
蛇口をひねる。
出ない。
「あれ?」
もう一度。
出ない。
蛇口には小さな紙が巻かれていた。
設備点検中。
使用できません。
「マジか」
ハルは周囲を見た。
近くにコンビニはない。
男の子の膝を見る。
そのとき、鞄の横ポケットが目に入った。
透明なペットボトル。
水。
ハルはしばらく見た。
取り出す。
まだ冷たさが残っていた。
キャップを開ける。
「ちょっとしみるかも」
少しずつ水を流す。
砂が落ちる。
男の子が顔をしかめた。
「痛い?」
「ちょっと」
「もう少し」
全部使う必要はなかった。
半分ほど残った。
男の子の家は公園から近かった。
一緒に歩き、家の前まで送る。
玄関から出てきた母親らしい人に礼を言われた。
ハルは何度も首を振った。
「いや、別に」
帰り道。
手には半分になった水。
ハルは歩きながら、それを眺めた。
数時間後でもなかった。
自動販売機から十分ほどだった。
でも。
あのとき炭酸が出ていたら。
たぶん使えなかった。
炭酸で傷を洗う気にはならない。
お茶でも嫌だ。
果汁飲料ならもっと嫌だ。
水だったから使えた。
ハルは立ち止まった。
スマートフォンを取り出す。
幻場.comを開く。
履歴から商品ページへ戻った。
自販機:未投入モード。
価格、三百二十円。
在庫、∞。
概要も変わっていない。
仕様。
効果例。
注意。
そこまで読んで、ハルの指が止まった。
効果例。
・今日の出来事が軽く当たる
・選ばれた飲み物が後の行動と一致する
・押していないボタンが反応する
前にも読んだ。
確かに読んだ。
だから驚くようなことではない。
書いてある通りだった。
ハルはソウタへメッセージを送った。
『水使った』
『飲んだ?』
『違う』
事情を書く。
しばらく返信がない。
やがて、
『じゃあ当たりじゃん』
と来た。
ハルは歩きながら返す。
『たまたまだろ』
『じゃあまた買えば』
『もう買った』
『飲み物』
ハルは少し笑った。
『また勝手に出たらな』
送信。
画面を閉じようとする。
その前に、商品ページをもう一度見る。
レビュー。
非表示。
押す。
当然、何も出ない。
戻る。
そのとき。
商品説明の一番下に、見覚えのない項目があることに気付いた。
更新履歴。
そんな項目が前からあったかどうか、覚えていない。
開く。
一行だけ表示された。
『おすすめ排出:本日1件確認』
ハルは歩くのをやめた。
時刻を見る。
今。
ほとんど同じ時間だった。
「……誰が確認したんだよ」
小さく呟く。
更新する。
表示は消えた。
もう一度更新する。
出ない。
ページを閉じる。
開き直す。
更新履歴という項目そのものがなくなっていた。
ハルは数秒、スマートフォンを見ていた。
それから残った水を一口飲んだ。
少しぬるくなっていた。
普通の水だった。
翌週。
ソウタと一緒に、また例の道を通った。
「あれ?」
ソウタが先に気付いた。
自動販売機がない。
壁際には何も置かれていなかった。
四角く色の違う地面と、壁に残った薄い跡。
それだけ。
「撤去された?」
ハルが近づく。
「早くない?」
「故障してたとか」
「普通に売ってたじゃん」
「勝手に売ってたけどな」
二人で周囲を見る。
自動販売機が移動した形跡もない。
ハルは幻場.comを開いた。
商品はまだある。
自販機:未投入モード。
価格、三百二十円。
在庫、∞。
地図を開く。
場所が変わっていた。
「え」
ソウタが画面を覗く。
「どこ?」
ハルは地図を縮小した。
前より遠い。
電車で何駅か行った場所。
別の町だった。
写真も変わっている。
そこには前とは違う自動販売機が写っていた。
機種も違う。
並んでいる飲み物も違う。
ただし操作手順は同じだった。
「行く?」
ソウタが言った。
ハルは少し考えた。
三秒くらい。
「今日はいい」
「珍しい」
「遠いし」
スマートフォンを閉じる。
二人は帰り道へ戻った。
少し歩いたところで、ソウタが言う。
「でもさ」
「ん?」
「十回に一回なんだろ?」
「書いてたな」
「俺ら、十回目で出たじゃん」
「うん」
「じゃあ次の場所でも十回やったら出るのかな」
ハルは歩きながら考える。
「知らん」
「試したくない?」
「ちょっとだけ」
「じゃあ今度」
「暇だったら」
二人はそんな話をしながら歩いていった。
住宅街はいつも通りだった。
車が通り、自転車が走り、家の窓から夕食の匂いが流れてくる。
特別なものは何もない。
そのころ。
何駅か離れた町。
小さな駐車場の隅に置かれた自動販売機の前で、一人の女性が財布を開いていた。
硬貨を一枚入れる。
商品を選ぼうと顔を上げる。
まだ何も押していない。
ガコン。
取り出し口に一本落ちる。
女性は驚いてしゃがんだ。
入っていたのは、温かい飲み物だった。
「これじゃないんだけど」
そう言いながら取り出す。
表示はすでに、
0
へ戻っていた。
女性は困ったように商品を見つめる。
やがて諦め、その一本を鞄へ入れた。
自動販売機の商品表示が、一瞬だけ消えた。
数字の代わりに、小さな文字が流れる。
『きょう わたす』
女性は見ていなかった。
表示は数秒で元に戻った。
何事もなかったように、
150
という数字だけが残っていた。
コメント
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うわ、これ好きなやつだ……「十回に一回」って文言がちゃんと効いてて、十回目で出た瞬間のゾワっとした感じが伝わってきたよ。あと、水が出た場面で終わらず、実際に役立ったところまで描いてくれるの、すごく好み。ただの偶然かもしれないし、ちゃんと「選ばれてる」のかもって思わせるバランスが絶妙だね。続き、気になる……!
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