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#戦国時代
眠狂四郎
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153
イスカンダル――。
かつて神に最も近い大王と謳われた英雄は、
東方遠征の途上、この地に自らの名を冠した都市を築いた。
幾世紀の時を経た今なお、
その栄華は色あせることなく、巨大な城壁と壮麗な神殿は訪れる者を圧倒する。
歴史は幾度も王を変え、
支配者を変えた。
それでも、この都だけはなお「大王の夢」の象徴として世界に君臨していた。
アントンは数万の軍勢を率い、その壮大な城門をくぐる。
沿道には歓声が響き、
色鮮やかな花びらが降り注ぐ。
人々は、新たな英雄の到来を迎えていた。
アントンは王宮に隣接する壮麗な館へ案内された。
白い大理石の柱が天井を支え、床には色鮮やかな文様が描かれている。
黄金の燭台が柔らかな光を放ち、壁には神々の姿を描いた壁画が並んでいた。
「こちらへ。」
侍従に促され、広間の最奥へ進む。
そこには王が座るために設えられた玉座にも劣らぬ、
黄金に飾られた豪奢な席が用意されていた。
アントンが腰を下ろした、その時だった。
静かに扉が開く。
香が焚かれ、甘く幻想的な香りが広間を満たしていく。
どこからともなく竪琴や笛の音色が流れ始めた。
やがて、美しい衣をまとった女性たちが二列に分かれ、
乱れることなく足並みを揃えて姿を現す。
誰一人として声を発しない。
ただ音楽に合わせるように、ゆるやかに歩みを進める。
その先頭を歩く少女に、アントンの視線は吸い寄せられた。
まだあどけなさの残る面立ち。
だが、その頭には宝石で彩られた小さな王冠が静かに輝いている。
少女はまっすぐアントンを見つめると、優雅に微笑み、その場で足を止めた。
広間は一瞬にして静まり返る。
南方の女王――シャチトルとの、最初の邂逅であった。
「共同統治?」
バルカは、弟からの報告に思わず耳を疑った。
「どうされました、兄上」
「……王宮へ向かう。」
バルカはそれだけ告げると、返事も待たずに歩き出した。
王宮へ着くころには、息が乱れていた。
それでも足を止めることなく謁見の間へ進み、
女王シャチトルの前に膝をつくことも忘れて問いただした。
「どういうことです、女王陛下。」
広間にいた者たちが一斉に息をのむ。
「客人は追い返したのではなかったのですか。」
シャチトルは答えない。
代わりに口を開いたのは、神官イモホテップだった。
「神託が下ったのだ。」
「神託……?」
「西方の獅子を迎え入れよ、と。」
イモホテップは静かに告げた。
「二十万の軍と共に、我らはアントンを迎え入れる。」
「馬鹿な。」
バルカの声が低く響いた。
「分かっているのか。災いを招き入れたのだぞ。」
「あの男に利用されようとしているのがわからないのか」
イモホテップの眉がわずかに動く。
「バルカ。今やグランは崩壊寸前だ。」
「ライナー王は年若く、軍才にも乏しい。」
「我らが後押しすれば、アントンと共に世界を統一することも可能となる。」
「そうはなるまいよ。」
バルカはシャチトルを見た。
「女王陛下。あの男は、共に国を治める者ではありません。国を食らう男です。」
その言葉に、シャチトルの表情がかすかに揺れた。
だが、イモホテップはすでに用意していた書面を広げた。
「バルカ。女王陛下の御意志により、軍総司令の任を解く。」
広間がざわめく。
イモホテップは続けた。
「スパルーニャ属州総督として赴任せよ。」
バルカはゆっくりとイモホテップを睨み返した。
「そこで、お前の可愛い象でも飼っているがよい。」
イモホテップは口元を歪めた。
「象を相手に余生を送りながら、我らの偉業でも眺めているがよい。」
「女王陛下!」
バルカは叫んだ。
「これは神託ではありません。破滅への道です。」
だが、シャチトルは目を伏せたまま答えなかった。
イモホテップが勝ち誇ったように声を張る。
「神託は下ったのだ。今こそ、イスカンダー大王の意志を受け継ぐ時なのだ。」
バルカは拳を握りしめた。
言いたいことはまだあった。
だが、ここで抗えば反逆者となる。
女王を守るために剣を取ってきた男が、女王の命令に背くわけにはいかなかった。
「……承知しました。」
バルカは深く頭を下げた。
そして顔を上げることなく、静かに言った。
「ですが、いつか必ず分かります。」
「今日、ここに招き入れたものが、栄光でも希望でもなかったことを。」
そう言い残し、バルカは謁見の間を後にした。
フィリピアの戦いによって得たグラン属州は、
イージプトとの共同統治領となった。
アントンは現地の有力者たちを味方につけ、
兵たちへ惜しげもなく莫大な恩賞を与える。
故郷に家族を呼び寄せることも許され、多くの将兵は歓喜に沸いた。
その知らせは次々と王都へ届く。
だが、それは序章に過ぎなかった。
さらに一人の女性が王都へ帰還する。
ライナーの姉、オクタビアだった。
アントンから一方的に離縁され、
わずかな供回りだけを従えて送り返されてきたのである。
その姿を見た王都の人々は言葉を失った。
政略結婚の終焉。
それは両国の決別を意味していた。
そして、追い打ちをかけるように新たな報が届く。
ジュリアスが国庫へ納めるよう遺した莫大な遺産。
そのすべてをアントンが接収し、イージプトへ運び去ったというのである。
王宮の執務室は重苦しい空気に包まれた。
誰も口を開こうとしない。
沈黙を破ったのは、最後の報告だった。
「ご報告申し上げます。」
マエクスは震える声で頭を垂れた。
「アントン将軍とイージプト女王シャチトル陛下の婚礼が、
イスカンダルにて盛大に執り行われましたようです」
豪華絢爛な祝宴。
世界各地から使節が集い、街は昼夜を問わず祝いに包まれているという。
ライナーは静かに報告書へ目を落とした。
その手が、ゆっくりと震える。
やがて紙が音を立てて握り潰された。
長い沈黙が流れる。
誰も息をすることさえできなかった。
そして、ライナーは低く呟いた。
「あの恥知らずめ。」
机の上にあった小さな石像を手に取ると
柱に投げつけた。
像は粉々になった
怒りだけではなかった。
姉を辱められた弟としての悲しみ。
ジュリアスの遺志を踏みにじられた後継者としての憤り。
そして、かつて誰よりも信頼した友を失った男の絶望。
そのすべてが込められていた。
執務室にいた者たちは、誰一人として言葉を発することができなかった。
王がこれほどまでに感情をあらわにした姿を、見た者はいなかったのである。
ライナーはゆっくり立ち上がった。
「使者を出せ。」
一同が顔を上げる。
「アントンに伝えろ。」
「もはや我らは同じ空の下には立てぬ。」
「余は、反逆者アントンに宣戦を布告する。」
コメント
1件
第32話、読み終えました……いやもう、息を呑む展開でしたね。イモホテップが「神託」という言葉でアントンを受け入れる判断を押し通すところ、バルカが女王への忠義ゆえに引き下がらざるを得なかった無念さが痛いほど伝わってきました。「象でも飼っているがよい」の皮肉、めちゃくちゃ効いてますよね。 そしてラスト、ライナーが石像を投げつける場面——あれは単なる怒りじゃなくて、姉を辱められた悲しみと、ジュリアスの遺志を踏みにじられた悔しさ、何より“かつて信じた友”を失った絶望が全部混ざった、声にならない慟哭でした。タイトル通り「宣戦布告」で終わる構成、本当に巧いなと思います。次どうなるのか、今から震えながら待ってます。