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わたしのお母さまの自慢は、肩まで伸びた美しい黒髪で、陽があたると、みどり色に見えたり、青色に見えたりと、まるでしゃぼん玉のようで、
「お母さまの髪の毛は、どうしてそんなにキレイなの?」
と、わたしが聞いても、ふふと照れくさそうに笑うだけで、なにも答えてはくれなかった。
それはいつの時も同じで、ハルピンのカフェで英国紅茶をお飲みになられる際も、お台所で、お父さまを待ちながら、女給の長さんと談笑している間も、キレイな髪の毛の奥に見える横顔は、ふふと恥ずかしそうに笑っていた。
わたしたちの家は、街のすこし外れにあって、お父さまが営む病院は、痛くない歯医者さんと呼ばれていて有名だった。
だけどわたしは、病室から聞こえる機械の音がこわかったから、お母さまに、
「響子、ごちそうさまの後は、しっかり歯磨きをしなきゃね」
と、言われる前に、歯ブラシを手にして磨き方をお父さまに教わっていたし、ふたりで鏡を見ながら、ほっぺをふくらましている時間はしあわせだった。
今朝のこと。
まだお日さまも昇らない暗い時間に、わたしはお父さまとお母さまに起こされて、病院の裏手に止めてある幌付きの、大きなトラックに乗せられた。
「朝の歯磨きは?」
と、お父さまに聞いても、にこりと微笑んで、
「大丈夫、あちらに着いたらしっかりとすれば良いさ。道中お腹が空いたら、班長さんにおむすびを渡してありますから、それをお食べなさい。お母さんをよろしく頼みましたよ。響子、さあ、お父さんとキスをしよう」
「いやよ、キスをしたらもう会えなくなる気がします、お父さまは一緒にお乗りにらならいの?」
わたしのイヤな予感はは的中したように思う。
お父さまはバツが悪そうに笑うと、わたしをひょいと抱き上げて、
「あとで皆さんと合流するから安心しなさい。色々とやらなくてはならなくてね。病院のお片付けも大変なんだ」
「お引越しするの?」
「そうさ、日本へ行くんだよ」
「わあ!」
わたしはびっくりして、大きな声を出していた。だって、日本はお父さまやお母さまの生まれた国で、とても美しくて豊かな国って聞いていたから。
「わかったわ、お父さま」
そう言うと、お父さまはわたしのほっぺにキスをした。
いつもなら、ツルツルなのに、この日ダケはお髭がチクチクしていて痛かった。