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優羽Side
それからわたしは、あてどもなく、校舎の中を走った。
けど、咄嗟に出てきてメガネを忘れてしまったせいで、上手く走れず、すぐに途方に暮れてしまった。
それでも、とぼとぼと歩いていくと、小さなホールに行き当たった。
ホールの半分はテラスになっていて、緑あふれる庭につながっていた。
「わぁ…すごい…」
ぼやけた視界でもわかった。
遥か彼方にある山を背に日光を煌めかせる湖が一望できるそこは、庭園って言ってもいいくらい広かった。
白いベンチやテーブルが置いてあって、きっと生徒たちの憩いの場なんだろうな。
けど、まだ午前の早い時間のせいか、人っ子ひとりいないみたいだった。
高原の風が、泣いて火照ったわたしの肌をやさしく撫でてくれる。
本当に、素敵な学校だな。
普通の生徒としていられれば、どんなにか幸せだったろう。
チチチチ…
小鳥のさえずりが聞こえた。
晴れ渡る空に目を凝らして見れば、数羽の小鳥が悠々と羽ばたいていた。
いいな。
あの子たちは、幸せそうで…。
「ちちちち」
おもむろに庭に出て、そっとわたしもさえずった。
するとひとりが気づいて、ちょっと離れた木の枝にとまった。
もう一度鳴くと、少し近づいて別の木にとまって。
やがて、わたしの指に来てくれた。
小鳥は、どこへ行ってもやさしい。
内気で泣き虫なわたしを慰めてくれるんだ…。
どうしたの?
悲しいことがあったの?
しきりに小首を傾げてうかがってくれる子に、わたしは微笑み返した。
「大丈夫。もう悲しくないよ」
ほんとうに?
ほんとうに?
いつしか回りに集まっていた子たちも、そばまで羽ばたいてきてくれる。
「ちちちち」
小鳥たちに囲まれ、わたしは少し声を高くして、ありがとうと思いを込めた。
チチ
チチチ
そうすれば、小鳥たちも嬉しそうに返してくれる。
もう、涙は完全に乾いていた。
やさしい子たち。
あなたたちの可愛い歌声を聴くと、わたし、元気になれるんだよ…。
『優羽』
『おまえの歌声はみんなを幸せにする』
お父さん。わたし、歌手になんてなりたくないよ…。
どうして、お父さん…。
『歌を歌うのが好きだろう?』
好きだけど…誰かに聞いてもらいたいなんて考えてなかった。
ただお父さんに褒められるだけでうれしかったのに…。
せっかくとまっていた涙が、また溢れそうになる。
泣いちゃだめだ…。
わたしは高原の涼しさを含んだ空気を吸って
大好きだった歌を口ずさんだ。
悲しい時、苦しい時は、歌を歌えば元気になれた。
バサッ
不意に―――
小鳥たちが一斉に飛び立った。
急にどうしたの?
小鳥たちはまるで天敵から逃げるように、一目散に空に散ってしまう。
いったいどうしたの…?
ふと人の気配がして振り返った。
すると、校舎の中から、背の高い男の人が近づいてくる…。
ぼやけてよく見えないけど、迷いなく歩いてくる姿は、まるで挑みかかって来るようで…小鳥たちが逃げたのも、解かる気がした。
こわい…。
けど、わたしは逃げられない。
近づいてきた男の人に、乱暴に手をつかまれて、身をすくめた。
「捕まえた」
このきつい感じの言い方、聞いたことある…。
そうつい最近。
今朝。
はっとなった。
彪斗くん…?
強引に引き寄せられて、メガネの無い目にもそうとわかるくらい、あの綺麗で意地悪そうな顔が近づいてきた。
「もう逃がさねぇぞ、小鳥」
ニッと自信に満ちて笑う顔は、まるで野生の猫みたいにギラギラしてて…。
朝の強引にされたこととか、乱暴な口調で言われたこととかも思い出してしまって、
わたしは震えてしまう…。
そんなわたしに、彪斗くんがさっと手を伸ばしてきた。
びくりと思わず強張った頬に触れて、ゆっくりとわたしの髪を撫で上げる。
「髪下ろしたのか。…あーくそ、反則多すぎなんだよ、おまえ…」
言い方は乱暴だけど、しきりに髪を撫でる手はやさしかった。
そんな真逆さが余計にこわくて、わたしはいつまでも震えたままでいる。
「なに震えてんだよ。俺がこわいのか」
「……」
「俺はこわくねぇよ」
って、またニッと笑ったけど。
やっぱりこわいよ…。その笑い。
カッコいいから余計に…。
狂暴そうなヤマネコみたいなんだもの…。
「聞きそびれてたけど、おまえ、名前なんて言うんだ」
「た…たかなし、ゆう…です」
「たか、なし?ああ、なるほどな。それって芸名?おまえ、ここで歌手目指すのか」
ふるふる、ふるふる、とわたしはしきりに首を振った。
「じゃあなんでこんなとこに来たんだ」
「き、来たんじゃないの」
「来たんじゃない?あぁ、そういうことか。たまにいるんだよな。おまえみたいに、なんも知らないでここに入れられるやつ。ふぅん、カワイソーにな。芸能界なんて、入ってもろくなことないのに」
「わたしは…わたしは歌手になんてなりたくない。歌うのは誰のためでもないもの」
「ふぅん」
ふと、彪斗くんの表情が変わった。
「じゃあ、誰にも歌いたくないなら、俺の前だけで歌えよ」
え…?
「俺がお前を飼ってやる。俺だけの前で、俺だけにために鳴け」
なにを言うの、この人…。
戸惑うわたしに、彪斗くんはおもむろにスマホをかざして見せた。
そこには、わたしの姿が―――さっきまで歌っていたわたしの動画が撮られていた。
「無防備に歌ってるからだよ、ばか」
恥ずかしくて、真っ赤になりながらすがった。
「お、ねがい、消して…」
「やだね。んなもったいねぇこと。―――正直、おまえの声には俺も驚いた。小鳥が寄ってくるわけだよな。だましてでもおまえをここに連れてきたくなるのも、うなづけた。もし、この動画をネットに流せば…おそらくおまえ、今までの平凡な日常を失うぞ。おまえにはそれだけの才能がある」
「……冗談やめてください」
「俺の言うこと信じない?あそう?じゃ、今から流しちゃおうかなー。
『校舎の庭でノー天気にさえずってたバカ女がいました』ってタイトルで」
「や、だめ…」
「いやなの?」
「はい…」
「じゃ、俺のものになれよ」
そんな…。
ひどい…。
「おまえ、わかってねぇな。世の中には血のにじむ努力しても歌手になれないやつがゴマンといるのに。でもまぁ、俺にしてみれば、おまえの歌なんてたいしたことねぇよ。ただのさえずり。好き勝手にぴぃぴぃ泣く、ちっせぇ小鳥とおんなじ」
「……」
「だから、大人しく俺に飼われろよ。すげぇ、だいじにするぞ。誰の目にも触れさせないように閉じ込めて、死ぬほど可愛がってやる」
そう言って、わたしを見つめる彪斗くんの目は、どうしてだろう、乱暴な言葉とは裏腹に、とてもやさしい温かさを帯びているように感じた…。
「優羽!」
その時だった。
突然名前を呼ばれたかと思うと、須田さんと雪矢さんが走り寄ってきた。
やっぱり、わたしを捜しに来たみたいだった。